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2019年8月18日 (日)

夏の記録 2019

ちょっと旅に出てきました。
香住・網野・舞鶴方面、山陰海岸から丹後を巡る旅。

私と母、姉夫婦、妹の家族、この中に昨年まで一緒だった父がいないのは寂しい。総勢8名、車で出発。早速渋滞にあい予定が崩れる。「道の駅 丹波おばあちゃんの里」で昼食休憩。フードコードは混んでいて満席。席を確保するのにも殺気だっていて怖い。

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湯村温泉の温泉街を通過して、余部鉄橋「空の駅」に到着。
鉄橋の橋脚は一部上部が切り取られる形で下の方が残っている。
また余部クリスタルタワー内のエレベーターで駅の展望施設まで楽に登れるようになった。

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香住鶴に寄り「吟醸 酒アイス」を食べた後、本日の宿「味と游ぶ 夕庵」(香住)に到着。
宿の目の前に柴山漁港(柴山港、沖浦湾)が広がる。
岸壁が埋め立てられるまで昔はここも丹後・伊根町と同じような舟屋風景が広がっていたそうな。冬場は「柴山ガニ(松葉ガニ)」の町として紅色に染まる。

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夕食までの時間を利用して、のんびり漁村を散歩することに。
全但バス沖浦のりば。「男はつらいよ」にも出てきそうなバス停です。

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村瀬理容院。渋い。

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香美町香住区沖浦という地区。江戸時代は北前船の寄港地として隆盛を誇った。海岸沿いから一歩集落の中に入ると漁師町特有の板塀の家々が建ち並び、細い路地が入り組んでいる。

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上の写真の積み上げられているのはタコつぼ!?
昔ながらの漁村の風景が楽しめる裏路地探険でした。

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2日目。城崎に向かう途中、御待岬から竜宮城を見下ろした後、城崎温泉に立ち寄り、「一の湯」横の足湯に浸かる。

「ふくとみ」の前の細い路地は雰囲気がある。
「ふくとみ」は地元の常連さんで賑わう人気店。

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皆が買い物に夢中になっている間に私は一人で脇道に潜り込む(汗)。
地蔵湯の裏あたりにあったという城崎新地界隈は今もスナックや旅館が目につく。

スナックぼちぼち、カラオケドン、スナックちづ、旅館錦水、旅館かに庵、しののめ荘、旅館泉翠など。

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スナックナイフ、居酒屋樹々、バー伽羅など。

右側手前が瓢箪マークのある千成遊技場(スマートボール・射的)、その隣がバー伽羅(元・カラオケスタジオせんなり)。で、その奥にうめのや遊技場(遊技ホールうめのや、射的・パチンコ・スマートボール)があったのだが消えている、どういうことだろう?調べてみると昨年6月には解体されたみたい。かつて遊技場の奥にヌードスタジオゴールドが入っていた。歓楽街にある元和風旅館で「ガラス戸や高欄の意匠やモルタル仕上げの外観に昭和初期の特徴を留める」という特徴から国登録有形文化財に登録された木造建築だっただけに残念。ヌード炎が入っていた建物が消え、ついにヌードスタジオゴールドが入っていた建物も消えるとは・・・。

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出石に到着。出石のシンボル辰鼓楼から一番近いところにある「出石皿そば登城」で昼食。10皿いただく。美味しいかどうか聞かれると微妙なところ。

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城下町でもあるので、周囲を散策。
皿そば屋、御土産店、飲食店が増え賑やかになった印象。
出石は美しい町並みが保存されているとは言え変に観光地化されてしまった感があるが、こういった古い建物を見るとほっとする。

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店先のホオズキとトマトが美しい。

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森の中の家(和久傳ノ森)を見学。
「森の中の家 安野光雅館」は、絵本作家の安野光雅さんの美術館で、建築は安藤忠雄さんの設計したもの。建築学的にも面白い。

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途中、峰山教会、網野教会に立ち寄り、本日の宿「丹後半島 海遊」に到着。
京丹後市網野町三津にある海岸沿いの宿。夕食は舟盛お造りとあわびで豪華。
アワビの踊り焼きをいただくのは久しぶり。

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3日目。朝、海岸沿いを散歩。
宿から5分程歩いた所に、三津漁港という小さな港がある。

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伊根の舟屋群。向井酒造に立ち寄り。

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天橋立を通過して舞鶴に移動。
父の実家は売却してしまい他人に家になっているが、代々のお墓は残っている。母は墓前で持参した父の写真を取り出し、「お父さん舞鶴に連れて来たよ。」と語りかけ、感慨深いものがあったのはなかろうか。このお墓も墓じまいすることに決まった。父の兄弟姉妹もそれぞれに歳を取り、遠いところから墓参やお墓の掃除にそうそう来ることが難しくなった。そこで墓じまいし遺骨を東京の新墓地に移転することになった。これが舞鶴での最後のお墓参り。
写真は、墓地そばの北吸トンネル。
帰路は、舞鶴港とれとれセンター、道の駅京丹波味夢の里に寄って無事帰宅。

こうやって旅行に行けたことは嬉しい。
また次も行けるよう頑張ろう!!

2019年8月10日 (土)

西成徜徉記(84)

千本南から玉出西にかけて30℃越えの中あてもなくぶらぶら。

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田ノ川子安地蔵尊を通り過ぎると格子のあるお家。

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熱海荘近くの路地に水色のタイル。

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黒壁の突き当りには赤・黒・白と派手に塗られた家屋が。
のれんを見ると「BIJOU SUITES HAKONIWA(ビジュー スイーツハコニワ)」という宿泊施設でした。民泊じゃなくて貸別荘とかバケーションレンタル?いや民泊なのかな?最近の大阪のホテル・民泊などの宿泊事情は混沌としている。

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玉出西。
西成徜徉記(17)でもちょっとふれたが、玉出西界隈には立派な日本家屋が今も残っている。

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千本南。
二階の三角マークがいいアクセント。

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長屋住宅の南端に入っている大安酒店。
昼間からのれんが下がっているところを見ると角打ちですね。

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さつき荘。

ついつい寄り道してしまった。また、南津守に戻ります。

8月9日は、こだんみほさんの作品展におじゃましました。
『懐古小路 こだんみほ×木工房KOKO作品展』(須田画廊 田辺駅前) 8月9日(金)~13日(火)
家で暇そうにしている母を連れて行ったこともあり、あまり長居できませんでしたが、素敵な展示でした。最近は花街よりも銭湯がメインに移ってきていると言うこだんさん。消えつつある街の銭湯のタイルの魅力に触発されたかのようなアート作品が並び、目に鮮やかなモザイクタイルが美しい。
また次回楽しみにしています!

西成徜徉記(83)

南津守からの帰り道、千本南を歩いていたら懐かしい場所に出てきた。

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熱海荘。
玉出東にも同じ名前の熱海荘があった。

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入口から踏込みを覗かしてもらうと、あらっ、綺麗なタイル。

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私の好きな通り。「町に花 空に青空 心にまこと」通り。ゆるやかに左にカーブしている。

千本通のサントリーレッドと味の素サラダ油の看板があった古い店舗は更地になってしまい悲しい( ̄□ ̄;)!!

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こういった景観が好き!

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看板建築の上部が丸みをおびていていい感じ。
古い住宅地図ではクリーニング屋だった。

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左にマキ美容室。
右側の長屋住宅は規則的に段差がつけられているように見えます。

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分岐点。
右側は芝野米穀店のある通り。

西成徜徉記(82)

8月8日、故人の所得税の準確定申告の提出(4か月以内)が終わり、亡き父の手続はほぼ終了。所得が公的年金しかなかったので確定申告の必要はないのだが、多額の医療費を支払っていたし、取り戻せるところはちょっとだけでも取り戻しておこうと面倒だが申告。税務署に提出が終わってほっとした。あと相続税の申告(10か月以内)もあるが、これも不要そうなので確認のみで済ませる予定。

引き続き南津守を歩きます。

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第3Aハイツの入口。
南津守は工場や大きなショッピングセンター(コーナン・ホームズなど)が目立ち逆に古いアパートが珍しい。

亡くなった後の手続きでは、家族全員(姉妹も含む)の戸籍謄本、住民票、印鑑登録証明書が必要なケースが多々あり色々面倒。相続人全員が集まっての遺産分割協議は予想外にすんなりと話が決まり拍子抜け。普段から家族全員で旅行に行ったり、姉・妹のところとも仲良くしている。親・兄弟とは普段から仲良くしておくのに限ります。

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サンヨウ文化。

相続手続きでは故人の生まれてから死亡までのすべての戸籍(除籍)謄本が必要とのこと。数年前父の舞鶴の実家を売却するまで本籍はずっと舞鶴だったので、あっても2・3通だろうと思っていたら、舞鶴市役所の方が親切に教えてくれ必要な戸籍は合計で5つになった。昭和32年と平成6年の法務省令によって戸籍が編成されたり改製されたりしている(改製原戸籍謄本)。しかし、マイナンバーを記入すれば全国の役所から戸籍謄本が集められ提出不要にならないものかと思うのだが…。引っ越しのたびに本籍地を変えている人とかは大変だと思う。あの縦書きでかつ手書きの読みにくい戸籍を見ると相続手続にマイナンバー制度が完全に導入されるのは難しいことのようにも思えてくる。

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細い路地の奥に残っていた人の住まなくなった文化住宅。

不動産の相続手続き(不動産の登記申請)は専門の知識が必要そうなので司法書士にまかせようかとも考えたが払う費用がもったいなく自力でやることにした。法務局の受付というのは、本当に受付だけでちょっとした質問にも答えてくれない。登記相談の予約をとってください、法務局のURLが書かれた紙きれ1枚を渡されこちらのサイトを読んで下さい、との対応で不親切だなぁと思ったものです。そこで不動産登記申請手続のサイトと数日睨めっこしながら何とか申請書を作成。法務局のホームページはわかりづらい。これでは登記相談に来る人は減らないだろうなぁと…。自分達の仕事を減らすことを考えていないのだろか。法定相続情報一覧図の取得も含め5回も法務局に足を運ぶことになった。登録免許税という登記手数料みたいなものを結構取られたが、相続の場合不動産取得税は発生しないということと司法書士に払う費用も節約できたので良しとしよう。

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千本松大橋のそばにレンガ造りの建物がたたずむ。

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千本松渡船の南津守側乗場から木津川を眺める。前方に船が泊まっている。
この手前左側にナニワ企業団地第1団地があり多くの工場がひしめいている。

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ファザードが特徴的な家屋。

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お好み焼き・たこ焼「たこ松」。

後ろの電柱に「8月15日5時~8時、天津橋北側高速道路下、お盆の精霊流し」の貼り紙。
もうすぐ新盆(初盆)を迎える。

2019年7月29日 (月)

西成徜徉記(81)

南津守を歩きます。

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スナックビルの縦長看板。かなり古びている。
正面のアストロ・アークと書かれたビルにスナック等が入っていたのであろうか。

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長屋住宅の1階が店舗になっている。
たこやき居酒屋ゆかちゃん、麻雀大一クラブ、喫茶つた、丸新金物、丸伊・・・。

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白い壁が剥がれ落ちてしまったようですね。
地震か台風か何かの影響でしょうか。

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公衆電話というのも最近使わなくなったなぁー。

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エメラルドマンション南津守のゲートは結構めだつ。

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千本松大橋とアサノライトと書かれた大きな煙突。
千本松大橋(めがね橋)を歩いて渡ったのも4年前か。なんか懐かしい。

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ちょっと古そうな建物の丸福は何のお店だったのでしょうか。

終点がようやく見えてきた。

西成徜徉記(80)

25日は天神祭りの雰囲気をちょっとだけ味わおうと陸渡御の始まる前の昼間に出掛けてきました。
JR天満駅から天神橋筋商店街を南の端まで歩き、大阪天満宮を経由して大川端に出、露店を冷やかし京阪天満橋駅に帰着。商店街を練り歩く神輿や夜に向けて準備中の露店が多かったが賑やかな出店にお祭りの雰囲気を味わう。ごまの専門店「萬次郎 蔵」で買い物&お茶休憩、フジハラビルをぼーっと眺める。

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引き続き津守方面を歩きます。
阪神高速15号堺線の西側、津守は広い。

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山口酒店横の井戸ポンプ(サンタイガーポンプ)とお地蔵さん(西成区旭)。

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1年前売り物件の貼り紙があった「山水園」(西成区鶴見橋)は復活したのか入口が開いていて人が住んでいる。踏込みは良く見るタイプのタイル張りでした。

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津守3丁目のえいちゃん食堂。
えいちゃん食堂で検索すると、すじカレーうどん、すじうどん、すじチャンポン、すじカレーちゃんぽんの美味しそうな写真が出てくる。今も営業しているのかは不明。

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「高級風呂付文化」の看板。
近畿地方特有の集合住宅であるところの文化住宅には風呂が無いケースが多くて、近くに銭湯や風呂屋があることが必須だった。西成区内には、今もお風呂屋さん(銭湯)が多い。家賃が安くて風呂・トイレ付き、またはシャワー付きであれば言うことがない。

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先ほどの看板のあった川眞田文化の裏側の麻生文化。

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白・水色の市松模様のタイルに錆びたトタン壁(南津守)。

2019年7月26日 (金)

西成徜徉記(79)

暑い中、引き続き津守を歩きます。

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木津川沿いの道路と新なにわ筋が広大な津守下水処理場で東西が分断されていると思っていたら、下水処理場の中を通れる通路が一本あった。
剥き出しの配管が工場風景のようで萌える。

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津守神社で一休み。
大日本紡績津守工場の玉垣もあった。

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文化住宅。みみず腫れ状態です。

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十三間堀川沿いの路地。

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西天下茶屋銀座商店街。夏祭の季節ですね。

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商店のタイルを見るとつい反応してしまう。

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病気持ちの身。2時間ちょっと歩いただけで熱中症気味に。早々と撤退。
これからはちょびちょび歩いていきます。

西成徜徉記(78)

久しぶりに西成徜徉記再開します。

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津守に向かうため鶴見商店街を通過。
「山七」は酒屋さん。関西ニューアートに足繁く通っていた頃この店で良くチューハイとかを買った。その頃は依存症でアルコールがないとどうしようもない時代だったから。

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南海汐見橋線と新なにわ筋の交差するところに大きな木が生えていたのをぶっ切ったようですね。なんで白く塗ったのだろう!?

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大阪あそ歩 鶴見今昔ものがたり」のマップを読むと、津守南海高野線(鶴見橋)跨線橋で今車が走っている上の所を昔は三宝線(大阪市電阪堺線)の市電が走っていたようです。

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津守文化、万代住宅、松永文化、中野文化。
西成の文化住宅は2棟が向かい合って建っていて2階が渡り廊下で繋がっているというタイプをよく見かけます。

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原田文化。二階の窓の下に貼られたタイルがカラフル。

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木津川沿いの一本道をずっと南下。
阪南産業や早来工営に向かうトラックが頻繁に横を通る。この辺は産業廃棄物の処理場が多い。どうもこの先は行き止まりっぽいので引き返すことに。

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前方の建物に目をやると、なんだこのむき出しの残骸のようなものは!?
昨年の7月10日、早来工営大阪工場で爆発火災があったのを覚えているが、その名残でしょうか。

しかし、梅雨明けした大阪、暑い(;´д`)ゞ

2019年7月22日 (月)

父を偲ぶ会

またまた沈黙状態ですみません。

というのも先週末親族一同集まってもらい「父を偲ぶ会」を開催。
その準備やらなんやらで忙しく落ち着いてブログどころではなかった。

四十九日に忌明けの法要的なものを何か開催したいと思いながらも日程の調整がつかなかったりで中々決まらず、結局1ヵ月ずらして食事会というか「父を偲ぶ会」を開くことができた。

父方、母方両方の親族の参加者の調整、開催の案内、ホテルの会場の調整、メッセージカードの作成や父に関連した写真集の作成等色々やることがあった。途中風邪をひいたのか発熱でダウン。なんとか開催日当日には体調を持ち直した。

久しぶりにお会いする親族の方もいて懐かしい限り。大勢の方に集まっていただきワイワイ賑やかにでき楽しいいい会でした。盛大な会を開くことが出来たのも亡き父の人徳・人柄だったのかなあと実感。集まった皆さんにも喜んでいただけ良かった。準備に頑張った甲斐がありました。

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曇天の中、久しぶりに近所を散歩ヽ(;゚〇゚)ノ

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友呂岐緑地沿いを流れている細い川沿いのピンサロ「モンロー」。香里園モンローに対する寝屋川モンロー。2Fは「ぎゃるはうす」という店だったんですかね。「STAR」という名前のファッションサロンだった時代(2014~2015年頃)もあるようです。

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バス通り沿いにも何かあったなぁ。
フロアレディー募集中と貼ってあるが店は閉まっているようなのでグーグルマップのストリートビューを2009年に巻き戻してみると、「ヘブン(Heaven)」と、2F「ファッションヘルスモモ(MOMO)」の看板が見えます。

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近づいてみると「一八才未満の方入店お断りします」とあります。
いずれにしても人通りの多い通り場所、入りにくいですね。
ノーパン喫茶がブームの頃、寝屋川にオープンした店もこの東大利町にあったのだろうと想像していたが、「週刊大衆」(昭和56年3月12日号)の記事を見てみると、ノーパン喫茶「ABS」は、「京阪・寝屋川市駅東へ500m郵便局並び」とある。今の初町あたりか。意外な場所でびっくり。

2019年7月 5日 (金)

怖かった話

7月2日は2週間置きの抗がん剤の日。
この日6日27日に受けたCT検査の結果を聞いた。
特に変わりはない、悪くなっていないとの事で一安心。
バクリタキセル+アービタックの治療で今一番つらいのが皮膚障害。
顎の下の首との境目あたりが腫れて痛かったところは、口の中に見えない小さな穴が開いていて、そこから食べた物や飲んだ物が顎の下の傷口から漏れて出てきているということがわかった。傷口が化膿すると膿が溜まり腫れてきて痛くなっていた模様。とにかく新たな癌ではなくてよかった。
抗がん剤治療は止める、早く止めたい、といつも言っている私が未だに止められずにずるずると続けているのに矛盾を感じるが、止めた後の事を考えると踏ん切りがつかない。抗がん剤を止めてまた腫瘍が大きくなっていくのではという不安や恐怖。一方で抗がん剤を止める事で副作用も治まり白血球数やリンパ球数の数値も上がって免疫力が増し自然治癒力が強まるのではと考えられるが…。悩ましいところである。

話は変わり前の記事「彦左小路」を読んでいて90年代終わり頃のことを色々思い出してしまった。「彦左小路」のある線路沿い東側の道を歩いていたのも百人町の絶世の美女に会いに行くためだった。

怖い思いをしながら夜遅くに現役の色町をふらつく。
いったいそんなところに何しに行ったんだと言われても困るのだが(-_-;)

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黄金町から日の出町にかけてのスナック街。
ガード下の店が立ち退きで撤退。周辺部にプレハブ造りの急造のちょんの間会館が次々に出来て賑わいを見せていた頃か。「リバーサイイド飲食店街」「極細」「コの字」とかあった。

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道後温泉・ネオン坂歓楽街。
坂の下に客引きのオバチャンがいて、かなり強引で怖かった。
松山・土橋の路地も無言の圧がかかっているようで恐ろしかった。
川崎・南町の薄暗い通りでオバチャンに追っかけられたっけ・・・。
横須賀・安浦で深夜突然現れるポン引きが怖かった。

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沖縄・真栄原社交街。置屋街に佇む女性。
人通りの多い真栄原と異なり、真っ暗闇の中に怪しげな客引きが佇む前島は怖かった。

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金沢・石坂のスナック街。
近づくと座っていた女の子たちがワラワラと寄って来て「どう?」っていう感じだったんだけど・・・。京都五条の高瀬川会館前にたむろしていたパイプ椅子のおばちゃんたちは「何の御用で?」という感じだったなぁー。

くだらない話になってきたのでこの辺でやめておこう。

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