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December 05, 2018

奇跡の万博 12/2(日)

日曜日(12/2)は西日本代表校決定戦・ウェスタンジャパンボウルのテレビ観戦。
最後はまれに見るスリリングな展開で興奮。さすがに家では大声をあげたり拍手したりしませんが、好プレーが飛び出すと思わずガッツポーズの拳をあげている(汗)。

試合開始。関学最初の攻撃でWR#85松井がフォルススタートの反則。この反則で攻撃のリズムがいきなり崩れる。逆に立命の1stシリーズ、相手にずるずると進まれ止めることが出来ない。先制のTDを許すが、TFPのキックを三笠がブロックし、立命は6点止まり。この最初のTFPの一本をはずしたミス時に、テレビ解説の神戸大監督増田卓司さんが語った「この1点が後で響いてくる。」との予想が見事にあたることになる。最初の先制点をとった方が試合を有利に進めるという傾向があっただけに先行される展開は関学にとっては予想しないいやな流れに。その後WR#35富永がパント隊形からランで1stダウンを奪うこの日唯一のスペシャルプレーを見せたり、DB#45畑中がファンブルリカバーで攻撃権を奪い返したりするもののTDにはつながらずフラストレーションがたまる。第1QにエースRB#34山口が痛恨の負傷退場。最終節の立命戦から3プラトン体制のQBは、同じく1Q終盤にQB#18西野が怪我をしたのか、その後はキャプテンのQB#10光藤が交代に入ることになり要所要所で流れを変えるプレーを繰り出しチームのピンチを救う。

最終戦の試合から立命も戦術を立て直してきたのか立命ディフェンスの突っ込みが鋭い。パスを投げようとするQB#3奥野に対して、立命のDL、LB、DBらがブリッツで突っ込んでくる。リードされた焦りもあったのかプレッシャーを受けた奥野は無理にパスを通そうとし前半だけで2つのインターセプトをくらう。

第3Qの4:04に立命にFGを決められ3-16と点差が13点にまで広がる。ようやくここから関学攻撃陣も反撃開始。2本のTDを返し、第4Qの8:16に17-19と2点差まで迫る。残り3:44からの立命最後の攻撃。立命の消極的な攻撃に助かる。勝ちが見えてきて消極的になる、そして最後逆転され勝ちを逃す、というのはありがちなことなのか。それは2013年のライスボウル(関学-オービック)での関学の最後の攻撃に似ている。相手の攻撃を1分48秒で終わらせた関学は、残り1:56から最後の執念の攻撃を繰り出す。ゴール前64ヤードからQB#3奥野がWR#85松井、WR#81阿部へパスを決め、ランで時間を巧みに消費し、残り2秒からキッカーWR#8安藤が24ydの逆転サヨナラフィールドゴールを決め逆転に成功。20-19で勝利。最後の安藤のキックはジャストミートしていないミスキックだったようで左側に反れたようにように見えたボールはポールの内側を巻いていた。安藤は高等部時代2014年、2015年とクリスマスボウル(全国大会決勝)2連覇を達成した立役者だ。さすがの強心臓。

QB荒木に途中まで100%の成功率でパスを通されたり、RB立川や藤岡のランを止められない場面もあったが、関学ディフェンスも頑張っていた。特にLB#51大竹が大活躍。動きがよかった。

2年生ながらエースに抜擢されたQB#3奥野は試合ごとに成長。京大戦でWR#85松井が復帰し、WR#85松井、WR#83小田、WR81阿部のトリプルホットラインが確立してからは、3人へのパスがおもしろいように決まり止まらない。しかし、この日のQB#3奥野は立命ディフェンス陣のきついプレッシャーにさらされる。プレッシャーをかけられて、パスプロテクションを破られ入ってこられ、投げ急いでインターセプト。今シーズン試合によって好不調の波がある関学オフェンスライン。OL73#森田陸斗欠場の影響はなかったはず。プレーシャーが迫る中苦し紛れのパスで3本のインターセプトを許した奥野。1Qには他にも2本インターセプトされそうなパスがあった。ああいう場面は、無理して投げるより投げ捨てるか早めにかわして逃げるかそのまま守備選手に捕まってダウンするかしないといけない。試合後鳥内秀晃監督は「あれだけターンオーバーされて、よう逆転サヨナラできた。最後まであきらめんと学生はようやったんちゃう」と称賛。(奥野については)「ちょっと調子に乗り過ぎや。ええ勉強になったんちゃう」とコメント。確かに選手たちは切れずに最後の笛が鳴るまで頑張ったと思う。試合中鳥内秀晃監督はインセプを繰り返す奥野に「どやねん?」と聞くと「いけます。大丈夫です」と答えたという。強気にパスを投げ続けた奥野は試合後の整列時には号泣。常に冷静沈着、落ち着きのあるプレースタイルは1993年のQB#8芝原学(4年)に似ている。しかし奥野はまだ2年生。以前「僕がチームを勝たせる」と語っていたRB#34山口(途中負傷退場)も奥野と抱き合い「あいつが甲子園に連れて行ってくれた」と目を赤くした。

次は、12月16日に早稲田大学と甲子園ボウルで対戦。QB柴崎、RB元山、RB片岡、WR遠藤らがいて一杉縄ではいかなさそう。

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December 01, 2018

決戦前夜

いよいよ明日(12月2日)は西日本代表校決定戦・ウェスタンジャパンボウル。

残念ながら今年は自宅観戦(>_<)

みんな頑張れ!

RB#34山口祐介の「僕がチームを勝たせる」の強い言葉を信じよう。

最強WRトリオ、WR#85松井理己、WR#835小田快人、WR#81阿部拓朗が魅せる。

LB#40繁治亮依&LB#44海﨑悠が攻める。

DL#90三笠大輔、DL#78藤本潤、DL#50板敷勁至、DL#齋藤圭吾らDLのラッシュ。

TE#91對馬隆太、TE#89勝部樹の活躍に期待。

DL#52寺岡芳樹、DB#32吉野大也は復帰できるか。

11月18日(日)の立命戦の試合中継を見ていたら、QB#10光藤は「QBで主将は関学史上68年振り」と紹介されていた。2つ前の私の記事「関学歴代QB」をみると、68年前の1950年のQBは米田満さんですね。米田満さんは関西学院大学の元コーチ・監督・総監督。

その試合中継の冒頭、ゲスト解説伊豆充浩(関西学院OB)・西山雄斗(立命館OB)両QBのパスシーンの動画が流れ、解説の濱田篤則さんも2年まではQBだったとの意外な話しから、1980年(2年時)の濱田さんの白黒写真が紹介され、みんながパスなのに自分だけオプションの場面との落ちに笑いを誘う。昭和55年前後はQBの情報が少なく私も初耳であった。

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November 30, 2018

11月のあしおと

早いもので11月も今日で終わり。
何か書かないと記録が途絶えてしまうので書いて置こう。
どうも最近は病気のこととか暗い話になりがちであまり書く気がおこらなかった。

骨転移か第2頸椎の骨折かどちらかわからないまま、毎週抗がん剤治療に通う日々が過ぎ、首の骨が折れるとやばいので、ソフトカラーで首を固定することとなった。

頸椎ソフトカラーのおかげか、10月よりかは首から後頭部にかけての痛みが和らいできた。痛み止め(医療用麻薬)の使用量も減ってきた。頭の痛みがひどかった時は体力・気力とも落ちてきて外を出歩くことはもちろんのこと考える力もなく本も読めないので一時期はベッドでぐったりと横になっているしかなかったが、痛みが若干治まって起き上がってきたものの何かやらないといけないと気があせるばかり・・・。

そんななか11月8日、がんセンターの紹介状を持って緩和ケア病棟のある地元の小松病院を訪れる。「ひまわり」というホスピス病棟。病棟の見学と医師・看護師との面談。環境、施設とも好印象。全て個室で半分は無料、半分は有料。ただ無料個室は空きがなくて、数カ月空くのを待つ必要があり、先に有料個室に入らないといけないみたい。いずれにせよ今のがんセンターでの抗がん剤治療が効かなくなり、打つ手がなくなったらこちらにお世話になる予定。思い起こせば4年前、口の中の異変に気がつき、小松病院の口腔外科を訪れ大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)への紹介状を書いてもらったのが最初だった。4年たってまた元の病院に戻ってきたということで感慨深いものがある。小松病院の口腔外科でがんの可能性が非常に高いと言われ、その帰り道ショックでとぼとぼと落ち込んで歩きながら自宅まで帰ったことが忘れられない。

11月21日、CT検査。結果は第2頸椎が溶けてきているのか少しえぐれた状態になっていた。骨転移ということで放射線治療を行うことになった。11月29日が放射線治療計画CT撮影。2015年に同じ場所に放射線をあてていて再照射となり、どうしても前回あてた箇所と重なってしまうが、前回あてた所とダブらないように綿密な計画を立てる必要があるとのこと。12月7日から5回の照射。

8月3日に私と同じがんで入院した父が11月14日に退院したと思ったら、また19日に救急車を呼び入院。先は長くなさそう。今年に入って急激に衰えた感じの父はほとんどベッドに寝た切りの状態。ボケがかなり進行していので何を聞いてもわからない。体力・気力の衰えを感じつつも何かやらないとと思いたった私は、まずは父が家で管理している資産・相続・預金関係の把握や資料の整理から着手することにした。「家族が亡くなった後の手続き」関係の本も2冊買ってこれから読んでみる。父が死ぬ前私が死んでしまったら元も子もないが・・・。

みんな元気であればいい。

生きて欲しい。

October 31, 2018

関学歴代QB

骨転移かどうかの最終判断は今週に持越しとなった。
先端技術の詰まったPETやMRIやCTで検査を受けても医者が見てわからなのではなぁー、役にたたないというか話にならない。骨転移について調べてみると「がんの骨転移そのものは、生命を脅かすものではありませんが、痛み・骨折・麻痺(脊髄圧迫)・高カルシウム血症を生じることでがん患者の生活の質(QOL)を大きく悪化させてしまいます。」とあった。んんーーん、実際痛みで色々やりたいことができなくなってしまっているからなぁー、どうしたものだか…。
夜、布団に入って寝ようとしていたら、関西学院大学ファイターズの歴代のクォーターバック(QB)が頭をぐるぐるめぐりだして眠れなくなってしまった。ここで整理しておこう。

年度 エースQB、控えQB、4年生QBなど
(順不動。カッコ内は学年。下級生時は一部省略しています。)

1941 石田喬(商経3)、野橋靖二郎(法文2) ※昭和16年度
1942 野橋靖二郎(法文3)、川埜秀(専3) ※昭和17年春
1943 久保寿一(法文2)、竹中正市(商経3) ※昭和17年秋~18年春
    (太平洋戦争で中断)
1946 深谷晃弘(文2)、金沢義郎(高商2)、松島保(経1)
1947 米田満(高商2)、松島保(経2)
1948 米田満(経2)、藤井浩月(高3)
1949 米田満(3)、藤井浩月(1)
1950 米田満(4)、藤井浩月(2)
1951 武田健(2)、藤井浩月(3)、井上周(1)
1952 武田健(3)、藤井浩月(4)、井上周(2)
1953 武田健(4)、井上周(3)、鈴木智之(1)
1954 鈴木智之(2)、井上周(4)
1955 鈴木智之(3)、東山修(2)、濱野哲(1)
1956 鈴木智之(4)、東山修(3)、濱野哲(2)
1957 東山修(4)、濱野哲(3)、原田耕一(2)
1958 米田正勝(2)、濱野哲(4)、星野頼信(1)
1959 米田正勝(3)、勝田鐐二(1)、星野頼信(2)
1960 勝田鐐二(2)、米田正勝(4)
1961 勝田鐐二(3)、星野頼信(4)、岩田健一(1)
1962 梅田一夫(1)、美田和茂(2)
1963 梅田一夫(2)、勝田鐐二(4)、柏木修(1)
1964 梅田一夫(3)、柏木修(2)、奥井捷弘(1)
1965 梅田一夫(4)、奥井捷弘(2)、下村勝(1)
1966 奥井捷弘(3)、下村勝(2)、雑賀進(2)
1967 奥井捷弘(4)、広瀬慶次郎(1)、下村勝(3)
1968 広瀬慶次郎(2)、下村勝(4)、秋田恭司(3)
1969 広瀬慶次郎(3)、秋田恭司(4)
1970 広瀬慶次郎(4)、萬田博一(1)、志村安男(3)
1971 萬田博一(2)、志村安男(4)
1972 玉野正樹(1)、萬田博一(3)、千田英雄(1)
1973 萬田博一(4)、玉野正樹(2)
1974 玉野正樹(3)、千田英雄(3)
1975 玉野正樹(4)、西村英男(3)
1976 西村英男(4)
1977 猿木唯資(3)
1978 久保篤嗣(3)、猿木唯資(4)
1979 松井晃(2)、久保篤嗣(4)
1980 松井晃(3)
1981 松井晃(4)
1982 小野宏(3)
1983 小野宏(4)、芝川龍平(1)、竹田篤史(3)
1984 縄船敏之(3)、芝川龍平(2)、野村康平(1)
1985 芝川龍平(3)、縄船敏之(4)
1986 芝川龍平(4)、野村康平(3)
1987 野村康平(4)、溝口博之(3)
1988 溝口博之(4)、埜下雅基(3)
1989 埜下雅基(4)、東村智司(2)、城之園哲朗(4)
1990 大矢邦雄(2)、東村智司(3)
1991 東村智司(4)、大矢邦雄(3)、谷本繁樹(4)
1992 大矢邦雄(4)、芝原学(3)
1993 芝原学(4)、芝高雅浩(正浩)(4)
1994 村岡敬介(3)、津田敬三(4)
1995 村岡敬介(4)、高橋公一(2)
1996 有馬隼人(1)、高橋公一(3)、藤吉裕久(4)、正重高志(4)
1997 高橋公一(4)
1998 金崎吉保(4)、岡村幸太郎(2)
1999 有馬隼人(4)、岡村幸太郎(3)、赤坂浩司(4)
2000 岡村幸太郎(4)、尾崎陽介(2)
2001 尾崎陽介(3)、山田篤史(4)
2002 尾崎陽介(4)、出原章洋(1)、田宮直人(4)
2003 出原章洋(2)、河野順(3)
2004 河野順(4)、出原章洋(3)
2005 出原章洋(4)、加納祐輔(1)
2006 三原雄太(3)、幸田謙二郎(2)
2007 三原雄太(4)、加納祐輔(3)
2008 加納祐輔(4)、加藤翔平(2)、幸田謙二郎(4)
2009 加藤翔平(3)、浅海克豪(4)
2010 加藤翔平(4)、糟谷啓二郎(3)、畑卓志郎(2)
2011 畑卓志郎(3)、糟谷啓二郎(4)
2012 畑卓志郎(4)、斎藤圭(2)、遠藤洋紀(4)
2013 斎藤圭(3)、松岡弘賢(3)、橘良汰(4)
2014 斎藤圭(4)、伊豆充浩(2)、前田龍二(4)
2015 伊豆充浩(3)、中根弘人(3)、百田海渡(2)
2016 伊豆充浩(4)、西野航輝(2)
2017 西野航輝(3)、光藤航哉(3)、百田海渡(4)
2018 奥野耕世(2)、西野航輝(4)、光藤航哉(4)

フォーメーションの進化と変化、戦術の多様化と複雑化、体格・体力の向上・・・隔世の感がある。関学QBのパスも得意のパターンは継承しつつ進化している。私が知る歴代のQBの中で三原雄太のパスは別格かなぁ。イケメンは尾崎陽介か(写真はタッチダウン表紙より)。上記のQBの中で現地で生で見た一番古いQBは“奇跡の学年”(1976)と言われた西村英男。1988年神戸王子陸上競技場で行われた神戸ボウルで松下電工インパルスのエースQBとして登場した。“涙の日生”猿木唯資以降のQBはYouTUBEの動画でも見られる便利な時代になった。プロフェッサー・ケン(武田健)は私が社会学部の学生時には学長で、アメフトの現場(1987-1988年総監督、1989年コーチ)にも復帰していた。

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October 25, 2018

麻薬

ここのところの体調急変で自分もかなりとまどっている。

10月 6日(土) 首周りの痛みがで始める。最初は寝違えた程度に思っていた。
10月12日(金) 右後頭部の痛みが激しく病院に電話。
10月16日(火) 頭頚部外科診察。抗がん剤治療キャンセル
10月19日(金) 全身PET検査
10月22日(月) MRI検査(脊椎MRI(単純))
10月23日(火) 頭頚部外科、腫瘍皮膚科診察。抗がん剤治療キャンセル
10月26日(金) 腫瘍皮膚科、整形外科診察(予定)

10月3日(水)のCT検査でも頭は写っているが所見では特に問題なかった。右側後頭部の痛みは骨転移(こつてんい)の可能性があるとのことで、PET検査とMRI検査を受けることに。10月12日ぐらいからあまりの頭の痛みに一日ベッドの上で横になっているしかできない状態。頭が痛いと本も読めないのでつらい。痛み止めに麻薬を処方してもらった。医療用麻薬を飲んでもあまり痛みは変わらずの結果にがっかり。オキシコンチンTR錠の量(5mg→10mg)を増やしてもらった。検査の結果もあがってきた。PET検査(○○関節炎)とMRI検査(骨への転移の可能性あり)の結果が異なっていたが、担当医は首への激しい痛みがあるので転移性骨腫瘍であろうとの見立てであった。担当医から整形外科へのコンサルティングをしてもらい今週整形外科で見てもらうことになった。がんとは別に昔からあった背中のこぶ(粉瘤)が腫れて痛みが出てきたと思ったら膿んで汁が出てきてしまったので、23日に腫瘍皮膚科で切除手術をしてもらった。今までなんともなかったのがこんなことになったのは、やはり免疫力が落ちているので菌が入り込みやすくなっていたり炎症や感染を起こしやくなっているからであろう。頭や背中の痛みやらで災難の日々でした。

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October 18, 2018

3人のQB

関西学生アメリカンフットボールリーグDiv.1 は第4節まで終わり、関学、立命館、関大が4勝で並んでいていよいよ後半戦の戦いを迎える。

我が応援する関西学院大学ファイターズは三人の正QB争いが注目の的。

QB#18西野航輝(4年)
筋力トレーニング好きで体を相当鍛えているのか体幹が強く肩も強いのが魅力。
剛腕パッサーでNFLのQB並みの早いパスを見せることもある。
パスの精度を上げて欲しいところが自分の走りに頼りすぎるところが難点。
大学での試合経験は奥野より豊富。

QB#3奥野耕世(2年)
視野が広く危機回避能力にすぐれている。
サンテレビ中継時(10月7日)の小野ディレクターの談「スクランブルでプレーが崩れた時に捕まえられそうになりながら牛若丸のようにひらりひらりとラッシャーをかわして自分で走るのかあるいはレシーバを探して投げるのかという正確な判断をしてゲインをかせぐという、チームの歴代の中でも非常に突出した選手だと思います。」「視野が広いので、ラン、パスの切り替えが上手。逃げながらでも、ターゲットを探すのがうまい。」
鳥内監督「奥野は視野が広い選手。ファーストターゲットに投げれないと切り替えてレシーバーを見つけて投げれる。(ディフェンスのマークから)逃げながらターゲットを探すのがうまい。」

QB#10光藤航哉(4年)
キャプテン。サウスポーQB。
2人に比べると少し出遅れ。少し線が細く怪我をし易いがフットボールセンスはピカイチ。

平尾渉太(1年)
U19日本代表で大器を予感させる期待の1年生パサー。
立命戦で秘密兵器として登場させる可能性もある。いやまだ早いか。

思えば2014年10年ぶりクリスマスボウル(全国高等学校アメリカンフットボール選手権決勝戦)を制覇した時のQB大橋一也が最終的に入部しなかったことは残念なことだった。パスのフォームやショベルパスの投げ方、それにプレーコール時のふてぶてしさまでが当時高等部のコーチだった三原雄太にそっくりでそのクォーターバッキング振りは天才かと思ったものです。

RB陣は関西学院高等部でも活躍したRB#35富永、RB#21三宅、RB#28前田公らが使える見込みができてきたことは収穫。TE#89勝部をもう少しレシーバで使ってほしい。エースRB#34山口がけがで欠場中なのが気がかり。10月7日の甲南戦ではWR#85松井がスタンスして練習に参加していたと聞いた。高等部出身でRBとして活躍していたDB#2出光浩太朗がキッキングチームのカバーメンバーや二枚目のDBとして出場していてびっくり。二年連続クリススボウル制覇時(2014年、2015年)の立役者たちが今3年生、4年生になっている。主力メンバーであった稲付、八瀬らが途中退部している。高校時に活躍しても大学で活躍できるとは限らないという厳しい世界である。

先日の甲南大学戦で今シーズン初タッチダウンを決めたRB#35富永将史(4年)のお父さんが私と同期で関学アメフト部OBの富永晋であるというのを始めて知った。私の同期生(1989年に4年生)の埜下雅基、渡辺肇の息子(WR#1埜下大雅(3年)、RB#渡邊大(3年))もそれぞれ現在アメフト部で活躍している。昨年度の主務のTE#93三木大己のお父さんはひょっとしたら同期の名RB三木仁人であろうか。

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学院、新学生会館にて(4年生)。
「Fight on, Kwansei 関西学院大学アメリカンフットボール部 50年史」より。

前列右から、DE廣部智巳、LB白石章、?、QB城之園哲朗、QB埜下雅基、RB三木仁人、RB中川雅之、?、RB築坂実、OL幸田浩明
後列右から、?、TE目黒元之、RB渡辺肇

1989年のイヤーブックも確認したが全員顔と名前が一致しない。富永晋は後列?4年生唯一のWR渡部総一郎や京大水野監督が「いいDE。」と褒めていたDE竹中理もいるはずだが…。追尾型の名LB白石章。豪快な走り方が魅力のQB埜下雅基はそのランに目がいきがちだったけど決してパスも下手ではなかった。ただ、芝川が槍投げのようなフォームだったのに対し、埜下は砲丸投げのようだった(笑)。TE目黒は関学史上最高のTE。甲子園球場で行われた関京戦(3-3)はRB三木仁人の1000ヤードラッシュの記録を意識し過ぎたか。

1989年は関西学院が創立100周年を迎えた年。1月、昭和天皇が崩御。昭和から平成に変わった。世の中はバブル景気に沸いていた。経営の神様・松下幸之助が4月死去。後に松下電器に入社することが決まるが創業者の声に直に接することはなかった。就職が決まり秋のアメフトシーズンは甲子園ボウルまでKGの試合は全試合観戦。あれから29年、息子たちの世代が活躍する時代に変わった。

体調が良ければ大阪モノレールアメフト1dayチケットが使える日(11/4、11/18、12/2)に万博記念競技場に観戦に行きたい。

October 13, 2018

ねえ あんた

10月8日(月)、読売テレビ放送の『マツコが日本の風俗を紐解く「かたせ梨乃が進駐軍の前で踊り狂った時代…マツコ」』を見た。
飛田新地の映像は料理組合がよく許可したなぁと。
撮影が禁止されているような場所を撮影するなと禁止している側が公に晒す矛盾。
ふるさとの老人ホームでのヨコハマメリーさんの姿。
渡辺豪さんの発言の場面が少なかったような気がする。

番組中バックに流れていたちあきなおみの「ねぇあんた」心に染み入る名曲ですね。

テロップ「昭和20~30年代 赤線地帯に従事する女性の悲しくも温かい心を綴った唄」

マツコさん「自分の家に迎い入れる形の風俗よね。そこに住んでいる女性がその常連のお客さんがいて本人としてはもう半分夫婦になったぐらいのつもりのさぁ会話をするわけよ。でもある日ちょっと暴言までもいかないけど生意気を言ったらもう二度とその男の人が帰って来なくなったという唄なのよ。」

ちあきなおみさん「昭和20年代から30年代にかけてのそんな時代の日本の片隅に悲しい女たちがいました。」

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痛い

近況報告
10月2日(火) 診察・外来化学療法
10月3日(水) CT検査
10月9日(火) 診察・外来化学療法
その他、長期入院中の父の見舞いなど。

10月2日は7週目で抗がん剤・パクリタキセルはお休み。この7週目で1サイクル終了。
10月9日は10月3日に受けたCT検査の結果を聞く。鎖骨上あたりの腫瘍と肺の転移ともに少し小さくなっているとの評価。副作用がひどくならなければこの治療を続けていくことになった。この日から2クールの治療開始。少しずつでも小さくなることを期待して頑張ろう。不思議と首周りの痛みも治まっているので一安心。小林麻央さんはリンパ節のほかに肺や骨、顎下に転移していたと聞くが、顎への転移は相当痛かったのだろうと想像する。副作用の方は口内炎と便秘がおさまってきた。かわりに髪の毛が毎日大量に抜けて悲しい。髪の毛は抜けるばかりなので、せっかく買ったバリカンの登場の機会もない。髭も生えてこなくなったのでシェバーも使わなくなった。

10月1日、本庶佑さんのノーベル生理学・医学受賞のニュースは免疫チェックポイント阻害剤・オプジーボが全く効かなかった私としては複雑な気持ちで聞いた。オプジーボは再発・進行がんで他の抗がん剤が効かなかった時に適用されるみたいで、色んな抗がん剤を使ってきてダメでようやく夢の新薬・オプジーボが投与できると喜び、1月から7月まで頑張ってオプジーボの治療を受けたが効果は出ずがんは逆に大きくなり悪化。副作用がほとんどなかったことだけは感心した。担当医からは効かない方が多いと事前に聞いていたので高額の治療費をどぶに捨てたとも思わない。ノーベル賞を与えるのなら、万人に効く薬を開発した業績に対して与えて欲しいものであると最初思ったが、新たな発見とか新しいがん治療の道を切り拓いた功績が評価されたということで今は理解している。

私のがんの原因はアルコールだと思っている。一時期大量に飲酒してアル中状態だった。私は基本お酒に弱く飲むとすぐに顔に赤みが出る。酒に弱くて顔が赤くなる人はガン体質といわれている。飲酒するとアセトアルデヒドと呼ばれる毒性のある酵素が体内で生成され、これが二日酔い等の原因となるが、私の場合は肝臓でのアセトアルデヒドの解毒作用がかなり弱いタイプで普通はアルコールが摂取できなかったり、少量しか飲めないところを無理して長期間大量に飲酒し続けたことが良くなかったのであろうと。

ここのところ調子が良かったのが、今週にはいって右後頭部に激しい痛みが出てきた。あまりの痛みに寝ているしかない。他のところに転移しているのか骨転移か…。

今月後半に緩和ケア病棟のある病院へ面談・見学に行く予定。
まだ終末医療(ターミナルケア)の段階に入るには早いが準備しておかないと。

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October 01, 2018

長野新地と長野温泉(後篇)

八重別館や三陽荘のあたりは18年前から時が止まったかのように変わっていないことに感動。

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三陽荘(みはるそう)。
急な階段に沿って積み上げられるように立っているのが凄い。

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二階部分が渡り廊下になっていて下がトンネル状になっている。

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少し上の方にもトンネルがある。

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三陽荘の看板も長いこと放置されたままで廃墟状態。
この看板の他にも「三陽荘(土地)」の看板がいくつか放置されていた。

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トンネルの反対側。

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入口付近。もう少し奥に玄関らしき場所がある。

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三陽荘をさらに上に登っていくと左手が河内長野荘で右手の奥に日蓮宗妙長寺がありました。河内長野の妙見さん。観光山と書いてありますね。

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引き返して石川にかかる鉄橋「黄金橋」に戻ってきました。

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黄金橋を渡ると先ほどのニューニッカの看板のスナックが出てきます。

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八重別館のならびにあった青柳、ごんべ、玉屋、一力、喜楽、あづまなど料理屋・旅館・飲み屋は跡形もなく今は新しい住宅が建ち並んでいます。
電柱には遊園地とあります。長野遊園地は長野公園のことなのですが、大人の遊園地(新地)を連想してしまう。

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石川の河川敷に降りてみました。

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石川と天見川の合流地点に近いここが長野温泉の源泉。
河内長野荘にはポンプで汲み上げられているのかな。
前日の雨の影響で川の水量が多い。
長野温泉は黄金橋と落合橋の間の石川右岸にあり、閉鎖していた極楽寺温泉を引き継ぐ形で昭和36年に開業。

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北の方にある諸越橋からさらに北の方、「たから亭」があった場所を目指して歩いてみました。んんっ、なんか料理旅館がある。

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表札の漢字が読めない。「料理旅館たから亭」とも読めるが…。
人の気配がなく営業している感じではなかった。

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「たから亭」裏の用水路と細い道。

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白萩荘や白樫亭があった方も車道沿いに歩いてみました。
渓流沿いの古ぼけた一軒家がいい感じ。

ぐるっと1周して1時間半ちょっと。
まだまだ見落としたところもありそうなので今度は温泉にでも入りにゆっくりしに来たい。

長野新地と長野温泉(前篇)

9/25(火)は、6回目の抗がん剤治療。発疹、口内炎、便秘、脱毛の副作用やら体がだるかったりでしんどい。左鎖骨上の腫瘤はぽっこり出ていたのがあきらかに小さくなった。抗がん剤は効かないと常々私が言っていたのと違う結果が表れているのだが…。肺に転移している癌は体の中なのでCT検査で見ないとどうなっているかわからないが小さくなっているという期待は薄い。抗がん剤も繰り返し使っていると耐性ができてしまいますからね。6週続けたので来週はパクリタキセル(タキソール)は休薬で、アービタックス(セツキシマブ)のみ。パクリタキセルによる脱毛は確実に出てくるのがわかった。千春のようなツルツル頭になりそう。

急に思い立って長野温泉や長野新地のあった河内長野駅前まで散策に行ってきました。約18年振りの訪問。
京阪電車を北浜駅で降りて大阪メトロ堺筋に乗り換え天下茶屋まで行き、そこから南海高野線の急行に乗り換え河内長野に到着。南海高野線の23分の乗車で490円というのは高い。

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南海河内長野駅の東口を出て北に向う路地を入ってすぐの所に「おばな旅館富貴亭」がある。昔は料理屋だったんでしょうね。

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料理旅館八重別館のアーチが出迎えてくれる。
左側の「チャイニーズキッチン匠」のところには以前「こがね旅館」があった。
その頃このアーチ看板には店の名前がずらっと並べられていた。

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黄金橋の方に降りていくとニューニッカの看板。
昭和の頃はこの石段のある坂道の両側にもバーやスナックがあったそうです。

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黄金橋は渡らずいったん線路沿いに戻り南の方に向って歩き回り込むことに。
多喜乃家、翠月、楠館、河鹿荘、楠翠閣(南楠荘)があったところを横目に痕跡が残っていないことを確認しつつ、錦水橋を渡り錦水楼があったとされる場所に到着。

錦水工房は装飾インテリアのお店で喫茶店・孫九郎も併設。

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建物の横を見ると丸窓やひょうたんのくり抜きもあったりして雰囲気がある。

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錦水楼のような古い建物は残っているはずがないと思っていたが、築100年ほどの古い旅館の離れをリノベーションしたとの記載がフェイスブックにあり納得。

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落合橋から如来会館を望む。
後ろには山肌にへばりつくようにコンクリート建造物が建っている。

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如来会館裏手のコンクリート建造物の1階入り口部分がかわっている。
あとで上に登ってみたら上部には、犬猫のホテル&美容院「ペットビューティー」があった(営業していない模様)。

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こんもりとした山裾に佇ずむ千成山荘。
旧ラドンセンターの脇を長野公園の方に登っていくと公園管理事務所や千成山荘、河内長野荘などがある。

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如来会館の右手から石川と並行して用水路と細い道がついている。

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北に向かってしばらく歩くと飾り窓に出合う。

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料理旅館「八重別館」に到着。

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この空間好きです。
「岩風呂 料理旅館 八重別館」「八重別館 割烹小町」。

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「和風スナック古都」。手前に古い案内図が残っている。

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「和風スナック古都」は、三陽荘に併設のスナックだったのかな!?

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丸い格子窓がいい感じ。

長野新地は昭和8年にカフェ歓楽街として誕生し、行楽客や団体客向けの観光料理旅館が繁昌。戦後は青線に指定され、売春防止法施行後も行楽客向けの料理屋として営業を継続した。しかしその後も売春はひそかにおこなわれ続けていたという。

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