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February 16, 2019

『近松秋江伝』

『近松秋江伝―情痴と報国の人』(小谷野敦 2018年 中央公論新社)読み終えた。
近松秋江ものでは『近松秋江と「昭和」』(沢豊彦 2015年2月 冬至書房)以来。

小谷野敦さんの伝記ものの中では今までより大分薄くなっているので楽に読めた。

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あとがきに小谷野さんも書かれているけど、小谷野さんがわからないことがあると亀井麻美さんにツイッター上で質問して、それに亀井さんが見事に答えるというのをリアルタイムで見ていた。小谷野敦さんも最初は『近松秋江伝』を出す気はなかったのが、亀井麻美さんとのやり取りの中で徐々に気が変わったのではなかろうか。

本書を読んでわかったこと。
近松秋江といえば自分の女性関係等の私生活を暴露する私小説作家で情痴のイメージがつきまとう。しかし秋江は『別れたる妻』や『黒髪』連作を書いたあとでも、これらを書いたことは恥ずかしことだ、自分本来の意図ではない、と言い続け、自分は本来馬琴や頼山陽のようなものを書きたかったのだと言って歴史小説を書き「床屋政談」をするということが続いた。もとから政治趣味があり歴史小説を志していた秋江ではあるが、結婚して子供が生まれ、愛欲私小説はネタが尽きてしまったので、書いて食いつないでいくためにはそうせざるを得なかったというのが本当のところのようである。また子供2人が可愛い女の子だったので、娘たちが年ごろになって、若いころ自分が書いたものを読んで顔を赤らめるだろうと懸念もあり、真面目なものを書いて帝国藝術院会員にでも選ばれれば、その名誉で情痴小説のイメージの帳消しにもなるし、年金も入ってくると考えていたのだろう。

――つまり主として私の性格、境遇から由来した種々雑多な悲しい思ひ、味気ない思ひもした。固より嬉しい思ひもした。また不思議な嫉妬もした。それが為には私は身体が痩せるまでに悲み悶えた。併しながらそれが、何ういふことであつたか。此処ではそれを言うまひ。――或は一生言はない方が好いかも知れぬ。いや、言ふべきことでないかも知れぬ。断じてゝ言ふべきことで無い。何となれば自己の私生涯を衆人環視の前に暴露して、それで飯を食ふといふことが、何うして堪えられやう!。(「雪の日」)

亀井麻美さんが言われるように、確かに沢豊彦さんの『近松秋江と「昭和」』は、「秋江の政治観をことさら高尚なものに祭り上げようとして牽強付会に陥っている観がある」というのはある程度頷けるが、近松秋江の政治好きは「政局好き以上のものではなく、場当たり的で、確固たる理念や政治信念と呼べるほどのものはない」というのはちょっとそのまま賛成し難いところである。

P.150に、15歳も年下の宇野浩二が「近松秋江!」と呼び捨てにしているのだから、宇野も大概変である、と書かれてあるところを読んで思わず笑ってしまった。松山千春が、大先輩の井上陽水や吉田拓郎を「よーすい」「たくろう」と呼び捨てにしているのも大概変なのである。

近松秋江が最後に住んだ借家のあった、東京市杉並区東田町二ノ一七五 は、私が東京時代の最後に住んだ松ノ木町の隣である。

誤植なのかよくわからなかった所。

・111頁6行目 法学士→文学士?
・11頁10行目、124頁11行目 祖父→曾祖父?
・148頁13行目 上池院→上宿院(同宿院)?
・293頁上段4行目 陽太郎→陽一郎?

以下は小谷野さんブログの正誤表。
・96頁注3行目 よく来たがある→よく来たことがある
・110頁14行目 樗牛→樗陰
・151頁9行目 安井金刀比羅宮の三軒長屋の場所について。葵ホテル→もっと南東寄り

本書を読んで安井金刀比羅宮(通称「安井神社」)の三軒長屋の場所に行ってみたくなった。病院帰りに、天満橋から京阪特急に乗って四条まで行ってきました。

姿を消した前田志う(源氏名・金山太夫)の居場所を突き止めようストーカーまがいに尋ね歩く秋江。1919年(大正8年)1月、ようやく安井神社の南側の通りから入った路地の、棟割り三軒平屋中央に隠れていた前田志うを発見する。
その彼女の母親をそっと尾けるシーンの足取りが『モダン京都 〈遊楽〉の空間文化誌』(加藤政洋編  ナカニシヤ出版 2017年)の序章と口絵に記されているのでその口絵の地図を参考にしながら歩いてみる(亀井麻美さんの足取りも参考)。

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四条通から花見小路通に入って、ずっと南下。建仁寺の門のところで突き当る。ここからは左右左右…と何度か曲がりながら進んでいく。建仁寺の塀と大中院の間の曲がり角のところは「続 男はつらいよ」(昭和44年11月)に出てくる。実の母に会いに行くため安井毘沙門町のグランドホテルを探す寅さん(渥美清)と夏子(佐藤オリエ)のシーン。このコースは『男はつらいよ』第2作のロケ地巡りのコースでもある。

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うなぎ「吾妻家」と「雲町屋・小松」。「雲・小松」は宿泊施設のようです。

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この手前あたりで夏子が従業員のお澄さん(風見章子)にグランドホテルの場所を尋ねる。
左の建物は井伊美術館(旧・甲刀修史館)。

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近代京都オーバーレイマップ」のレイヤーを「昭和26年頃京都市明細図(総合資料館版)」に設定してオーバーレイすると、井伊美術館の所は旅館で、その同じ並びに席貸が8軒並んでいるのがわかる。この写真の古風な建物も席貸と記されている。「安井神社の界隈もまた、雇仲居倶楽部と席貸の双方の集積する、ある種の二業地とでもいうべき擬制的な花街なのであった。」(『モダン京都 〈遊楽〉の空間文化誌』より)。この安井神社界隈の席貸街が今のラブホテル街につながっている。

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「スイーツ巡礼」の幟が立っているところがスイーツのお店「小多福」。この小多福の前で夏子がお澄さんにホテルの場所を質問する。この写真の建物も趣があるが「近代京都オーバーレイマップ」では住宅になっている(両側は席貸)。席貸の建物は、「洒落た飾り窓や破風をあしらった玄関をもつ小家」というような洒落た造りが多い(『モダン京都 〈遊楽〉の空間文化誌』 加藤政洋編)。

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安井金比羅宮に寄ってみると若い女性が縁切り縁結び碑をくぐるのに行列している。
「絵馬の道」東側の「葵ホテル」はなくなっていた。

安井金比羅宮の南側に目的の細い路地発見。
石畳みの小綺麗な路次ではないが・・・。

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路地の突き当たりを右に曲がると確かに民家が三軒並んでいる。昔の地図を見るとこの路地の突き当りを右に折れて元来た道に抜けることが出来たが、今は突き当りが行き止まりになっている。

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三軒建ちの真中が前田志ふと母親とが隠れ住んでいた平屋の家があったところ。ナンテンの赤い実が美しい。前田志ふの居所をようやく突き止めた秋江は喜んだでしょうが、前田志ふ親子にとっては一番会いたくない人だっただけに驚きだったでしょうね。

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席貸4軒が並んでいたホテルリバージュある南北の横町を北上すると、寅さんの実母・お菊(ミヤコ蝶々)が経営している「グランドホテル佛蘭西ハイツ」に辿り着く。現在はホテルサンデーブランチに変わっている。ん、ん、外塀工事中のようです。昭和44年の京都・安井の温泉マーク旅館街(ラブホテル街)の面影はなく、暖かみの感じられた街並みは今は無機質な街並みに変化。半世紀経っているので致し方無い。右側の空き地から東に連なる場所(席貸4軒が連なる場所)には「モナリザ」があったがこちらも消滅。安井のラブホテル街も年々縮小してきている模様で現在4軒程しかない(ホテルラブインパート2、ホテルサンデーブランチ、ホテルリバージュ、フルスファーホテル)。一方で京都では安井界隈でも見かけたゲストハウスなどの簡易宿所が増えてきているようである。

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安井金比羅宮北側鳥居の「モナリザ」の電飾看板だけは昔のまま。
4月になるとこの看板のところに綺麗な桜が咲くんですよね。

寅さんが訪ねてからちょうど50年、近松秋江が彷徨ってから100年後の安井訪問でした.
帰りは四条通の西利で漬物を買って無事帰宅。

February 02, 2019

ムック本

押入れのダンボール箱の中には怪しい本が保管されている。
本棚には並べる事の出来ないムック本たち。
今回はその中の一部をピックアップ。

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左から11冊は『裏風俗』もの(左から古い順)。左から10冊の発行年は、1998年から2003年。この時期が裏風俗ブームの頃か。11冊目の「全国ネオン街完全ガイド」だけ少し離れて2008年の発行。株式会社大洋図書の関連会社・ミリオン出版は2018年12月に大洋図書に吸収合併されるかたちで消滅した。その右は、双葉社・好奇心ブックの『裏ワザ快楽街』シリーズ1~8(1997年~2000年)。

双葉社ムック 好奇心ブック 双葉社
双葉社スーパームック 双葉社
シーズムック 満足王国シリーズ (株)シーズ情報出版
バウハウスムック (株)バウハウス
ミリオンムック 遊びの達人シリーズ ミリオン出版・大洋図書
ミリオンムック ミリオン出版

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こちらは全国裏ワザ読本、歓楽街もの、ソープ、ストリップ、噂の闇風俗読本などアラカルト。発行年、1997年~2002年です。司書房は桃園書房の子会社。司書房・桃園書房とも2007年に破産宣告を受け消滅。ワニマガジン社はKKベストセラーズから独立した会社。シーズ情報出版は2016年10月まで風俗情報誌「MAN-ZOKU」を刊行していたが、その後プレジャー・パブリッシングに引き継がれておりその経緯はよくわからない。

ツカサムック 全国裏ワザ読本 司書房
トーエンムック 全国裏ワザ読本 桃園書房
シーズムック 満足王国シリーズ・潜入30連発 (株)シーズ情報出版
別冊宝島 宝島社
ワニマガジンムックシリーズ ワニの穴 ワニマガジン社
双葉社ムック 好奇心ブック 双葉社
ベストムックシリーズ ベストの本・噂の闇風俗読本 KKベストセラーズ
バウハウスムック (株)バウハウス
ミリオンムック 徹底追及BOOK 大洋図書

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こちらはコミック本、裏モノJAPAN、平口広美さんのフーゾク魂などです。コミック本、裏ネタJACK、裏モノJAPANになるとムック本扱い(裏にISBNコードがある)ではなく雑誌扱い(裏に雑誌コードのみ)になります。

トーエンムック 桃園書房
裏ネタJACK ダイアプレス
シーズムック 満足王国シリーズ (株)シーズ情報出版
裏モノJAPAN 鉄人社
フーゾク魂 イースト・プレス
平口広美の新・フーゾク魂 青林工藝舎

February 01, 2019

万国博覧会

2025年、大阪万博が決定されたそうな。55年ぶりの大阪での開催です。
私は東京オリンピックにしても万博にしても基本反対なので・・・・。

1970年に日本で最初に開催された大阪万博(EXPO’70)に私は昭和45年8月8日(土)、4歳11か月の時に行っているのですが全く記憶がない

私は本当に万博に行ったのだろうか!?

昔の写真帖めくってみると写真残っていましたcoldsweats01

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ボロボロになった「日本万国博覧会地図 EXPO'70」(昭和45年 ワラヂヤ)を参考にどこか見ていこう。

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太陽の塔ですね。母親に甘えている私coldsweats02

大阪万博開催中、太陽の塔の目玉の中に登った男のニュースがありましたね。

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「スイス」「光の木」の文字が見えるので、スイス館の「光の木」下の広場のようです。
後ろに見えるのが屋根付きの「動く歩道」。
おかっぱ頭の妹(1歳9か月)が父の頭の上に持ち上げられています。
私は奥で母の手を握りしめています。

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「ソ連邦」の文字が見えるのでソ連館の前にある「土曜広場」辺りでしょうか。
左の標識には金曜広場の文字も見えます。
またもやおかっぱ頭の妹の後ろ姿happy01
姉が走り出したすり鉢状の所に私は母によって持ち上げられたところです。
この後姉を追っかけていくのでしょうhappy02

やっぱり大阪万博行っていたのですねthink

January 31, 2019

信太山新地

某紙に掲載された信太山新地。

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新地近くのマンションの上からでも写したのかナイスショトです。
歓楽街百景(2)とあるので何回か連載されていたのだろうか??

四谷新の風俗地帯全国行脚 特別編

私が裏風俗に関心を持つようになったのはこのマップです。

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月刊「BUBKA」(コアマガジン)に掲載されたもの。
四谷新の「風俗地帯全国行脚」は、裏風俗ブーム(90年代後半から2000年台初頭)を巻き起こすきっかけにもなった。
四谷新は今どうしているんだろう。

花馬車

前記事「赤い街・青い街」の写真が載っているアサヒグラフ(昭和31年6月24日号 朝日新聞社)をパラパラとめくっていくと驚きの記事に出くわす。

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天竜の秋葉ダム工事場(天竜川に注ぐ白倉川の左岸)附近にある“花馬車”というモグリ売春宿が摘発されたというもの。刑事が踏み込んでいくところが生々しい。秋葉ダムの工事場附近には正規の特飲店が7軒あり、軽飲食店名義で売春宿を経営している店が約十軒ある、と解説されているが、売春防止法が施行されるまでは、こういった工事現場付近には売春宿がつきものだったんですかね。

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次のページは「伸びる尼崎特飲街」。

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もと飛行機工場跡に出来たという神崎新地には、大きな家屋や設備が規則正しく並んでいる。今の戸ノ内では考えられない景観。中央が特飲店、その右は旅館と料亭、左はマーケット。

January 29, 2019

赤い街・青い街

三橋順子さんの労作『新宿 「性なる街」の歴史地理』(2018年 朝日選書)ようやく読み終わった。

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昨年10月に贈っていただき、さぁ読もうという矢先骨転移による激しい頭痛に襲われ本も読めなくなった。その後骨転移の治療の甲斐もあり今は痛みも落ち着ついており無事読了。楽しく読むことができた。

自分の東京勤務時代(1993年~2000年)は7年半と短かったけど、新宿にまつわる事を色々思い出してしまった。東京時代の終わりごろは仕事のことや上司との関係や遠距離恋愛やらとうまくいかない事が多くなってストレスが溜まり、仕事帰りは飲まずにはいらない気分で電車を途中新宿で下車、新宿ゴールデン街やハイジアから百人町にかけての立ちんぼ(街娼)地帯にかけてひととおり歩き廻らないと眠れなかった(まだ新宿や池袋のラブホテル街の立ちんぼが賑やかな時代だった)。

歌舞伎町界隈の風俗店のお世話になることはなかったが、ストリップの新宿DX歌舞伎町や新宿TSミュージックにはよく入った。'90年代、新宿ニューアートは休館していて、本番まな板ショーのためのじゃんけん大会が繰り広げられていると聞いた新宿OS劇場に入る勇気はなかった。それと歌舞伎町界隈の裏ビデオ屋さんにはお世話になった。会社の寮のポストによく裏ビデオのちらしが放り込まれていることがあって、ものは試しにと一度注文したことがあり、車で怪しい男性に運ばれてきたビデオを鑑賞するとモザイクありでがっかりしたことがあった。それに懲りてからは新宿の裏ビデオ屋さんに直接買いに行くことに。VHSのビデオテープの時代。ダイヤモンド映像のものとかが多かったのかなぁ!?裏モノのビデオテープやストリップ劇場で撮ったポラ写真は引っ越しの時に処分してしまって今は手元に残っていない。

新小久保寄りのところに彦左小路がまだ残っていた。新宿南口に高島屋が出来、そのそばの紀伊国屋書店に良く寄ったが、その脇の道路にぽつんと残された桂屋旅館をいつも不思議に眺めやっていた。旭町ドヤ街の新宿ビジネスホテルに寒い冬泊まってみたら、部屋の狭さに驚き、寒さで寝れなかったっけ…。バブル期の新宿は家電量販店の「さくらや」がやたらと多かったイメージがある。私はさくらやのウォッチ館がお気に入りでよく買い物をした。あと新宿では「食」と関連して思い出すことが多い。よく寄った店は、「沖縄そばやんばる」、地下街にあった牛タンの「ねぎし」、閉店した「博多天神 歌舞伎町店」、新宿TSミュージックの近くにあった台湾料理の店、西武新宿駅の近くにあったペッパーランチ、「名代 富士そば 西武新宿店」、熊本ラーメンの店(桂花ラーメンではなく歌舞伎町1丁目24あたりにあった店だが・・・店名は失念)などなど。

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(写真は「アサヒグラフ」(昭和31年6月24日号 朝日新聞社)より)

本書では新宿の赤線や青線が多くの地図や写真をまじえながら語られていて興味は尽きない。三番街や柳小路、追分小路(追分新地)、千鳥街、緑苑街といった渋いところも紹介されている。新天地に関しては確かに今一決め手に欠けるような気がする。新宿ゴールデン・花園街の起源が関東尾津組の「龍宮マート」(闇市(自由市場)「新宿マーケット」の後身)であるという通説はやはり誤りだったのか…。東京にいた頃から赤線や裏風俗というものに関心を持ちはじめていた私は、2001年から2003年ごろに「街の噂(巷談)」というのを記したが、今見直すと新宿の箇所の住所は間違いだらけで恥ずかしいかぎり。

私が所蔵する朝山蜻一著の『女の埠頭―変貌する青線の女たち』のカバー写真もP.210 に掲載されていてちょっと嬉しい。しかし残念なことに私の購入したのはカバーに帯がついていなかったんですよね。「日本の古本屋」で献呈署名、初版カバー帯ありのものが今¥120,000 の値がついていて、あまりの高さに驚き!!

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芥川龍之介が一高に入学した翌年の明治44年2月上旬に、芥川一家は本所区小泉町から東京府下豊多摩郡内藤新宿二丁目七十一番地に転居した(大正3年、田端に転居するまで)。龍之介の実父・新原敏三の経営する耕牧舎新宿牧場のわきにあった実父の持ち家で建物は木造二階建てであった。

芥川は明治44年4月25日付の山本喜誉司(中学以来の友人、龍之介夫人・文子さんの叔父)宛ての書簡で、新居までの略地図を書いて、いつでも遊びに来るようにすすめている。その略地図を見て、なんでこんなところに遊女屋が描かれているのだろうと思っていた長年の疑問が、第一章の「「新宿遊郭」はどこにあった?」を読んで解決した。

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略地図は松本哉さんが上下反転して書き換えたものを拝借(『芥川龍之介の顔』松本哉 三省堂選書 1988年)。

芥川が内藤新宿に住んだ明治末年から大正の始め頃の遊廓は新宿御苑に近い甲州街道沿いに妓楼が連なっていたという。略地図を見ると芥川は「追分」で電車を降りた方が近そうに見えるのに「新宿二丁目」の停留所から少し引返し遊女屋の横を通って左りへ折れるというようにわざわざ遠回りをさせている。その自宅までのぐるっと回るルートを芥川は矢印(→)で記しているが、これについて『芥川龍之介の顔』の著者・松本哉さんは、純真無垢な少年(山本喜誉司)に遊廓街の真ん中を歩かせるのはかわいそうだという配慮で、→のルートを行っても遊女屋の角を曲がることになるが、一つぐらいは勉強に見ておけ、ということではないかとの見解を示している。しかし当時の内藤新宿の貸座敷は「下町」(大木戸~太宗寺入口)「仲町」(太宗寺入口~今の御苑大通りあたり)「上町」(御苑大通り~追分)の甲州街道沿いに53軒あったというから、「追分」で降りても「新宿二丁目」で降りても何軒かの遊女屋は避けることが出来なかったと思われちょっと解せないところもある。松本哉さんは、明治44年の「内藤新宿・千駄ケ谷」と題する地図と昭和62年の地図を重ね合わせて、芥川龍之介の住んだ二階家のあった場所は、現在「警視庁四谷警察署 御苑大通交番」(新宿二丁目19番地9号)のあるところと特定している。

新原敏三は大正7年までに経営していた耕牧舎新宿牧場を手放す。一方、内藤新宿の妓楼は、大正7年の警視庁の命令により大正10年3月には「牛屋ケ原」と呼ばれる耕牧舎の跡地に集団移転が完了。直後の大火による建て直しの後、大正11年春に新宿遊廓の営業が再開された。戦後の赤線にもつながる二丁目の遊廓の誕生である。

何故か芥川龍之介の事に話しがそれてしまった(汗)。
そうそう、東京から大阪の実家へ帰る時のお土産に、いつも「追分だんご本舗」のよもぎだんごを持って帰ったなぁ(笑)。

January 12, 2019

糸屋町

1月8日・9日、がんセンター。9日、がんセンターからの帰り道に、近くの中大江公園に寄り宇野先生に新年のご挨拶。

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糸屋町・中大江公園にある宇野浩二文学碑。広い公園の北西の端っこの方にある。もう何度も足を運んでいて定期的に挨拶に来る。

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東西に横に細長い狭い地域(約500m×100mぐらい)の糸屋町を歩いて見てもビジネス街らしくビルばかりで古い家屋は1・2軒ぐらいしか見当たらない。所々に古い商店が点在している。そんな中、ビオール大阪大手前タワーという巨大なマンションの前に大阪市立船場中学校歌・大阪市中大江東尋常小學校跡地の碑が残っていた。

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いつもの通院コースを歩く。老舗料亭という雰囲気のある日本料理店「大乃や」「青竹庵」は外壁が渋い黒塗りでいつも見とれてしまう。「リストランテ イル ピアット」というイタリア料理のレストランも営業している。3店のうちのどこかに一度入ってみたい。

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横から見ても雰囲気あります。

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楼ノ岸砦(織田信長と本願寺勢力が戦った石山合戦の際、織田信長が築いた砦)があったとされる北大江公園を抜けると、高倉筋と呼ばれる趣のある階段が現れます。左手前に花月書房という古書店がある。上町台地の北の端です。

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突き当り土佐堀通の右手にある永田屋昆布本店の前に八軒家船着場跡の石碑があるということは、当時は土佐堀通のすぐそばが川で、この辺りにかつての八軒家浜があったのでしょう。この階段も八軒家浜の名残でしょうか。

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クリーニング屋さんの建物も木造で古そう。奥には常夜灯が。ここから土佐堀通を少し西に行ったところに天満八軒屋船・宿京屋忠兵衛跡(幕末期、新選組の近藤勇や土方歳三、沖田総司の常宿だった)があります。

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ガソリンスタンド横の本翁菓舗。やってないのかなぁ(>_<)

以上、通院風景でした(^^;)

January 02, 2019

ワルツ釣具店

最近はもっぱら近所をブラブラ歩くぐらい。
昨年11月にワルツ釣具店が閉店した。

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閉店の案内の貼り紙と青い装飾テントはなくなっていたが、釣りキチ三平が描かれたシャッターは残っていた。地元で長く愛されたお店がなくなるということは寂しい。

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香里園駅周辺では京阪本線連続立体交差事業(高架事業)が進められていて、この古めかしいビルも立ち退きの対象になっているみたい。線路沿いは用地買収で更地が目立つようになり、京阪電車からは今まで建物で見えなかった商店街の通りの方まで見通せるような場所も出てきて、少しずつ高架事業が進んでいるのを感じる。しかし用地取得がうまくいっていないのか、建物が残っているところも多々あり、当初の予定では今年から工事着手なのであるが、予定通りにはすんなりと行かなさそうな気配を窺わせる。

近くにワルツ釣具店のある通りの案内看板があった。
右上の向井電器がヴェガムカイからパナットムカイに変わったのが1990年頃と考えると、このカンバンは1980年代後半のものか…。

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ポピーショップや焼肉スタミナ軒はよく覚えているが、寿温泉(銭湯)・・・思い出せない。現在美井元町にあるフードセンターセルフイナバも元はこの通りにあったのだろうか??

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陸橋から南側。こちらには沢の湯という銭湯があったみたいですね。

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香里園駅南商店街という名前があるのをはじめて知った。
右側のパナットムカイ(向井電器)は私が販売実習(松下電器入社時の研修)でお世話になったお店。向井電器も高架事業による立ち退きの影響で1月15日からは東に50mほど移動した新店舗で営業されるようです。

これからも京阪本線連続立体交差事業の動きには注意してみていきたい。

January 01, 2019

今年もよろしくお願いします

明けましておめでとうございます。
ブログの更新が止まったまま12月を過ごしてしまった。
今年もよろしくお願いします。

昨年を振り返ると癌の治療に明け暮れ、闘病生活という程の大袈裟なものではないが、病院通いの日々。なんとか年を越すことが出来て嬉しいかぎり。2014年の発病から5年が経ち、よく言われる5年生存率の5年を超えることができた。

昨年度前半のオプジーボによる治療中に左鎖骨上のリンパ節の腫瘍が外に大きく飛び出すまでに腫れてきて痛みもあり、もうダメかと思ったが、8月から抗がん剤を変えて好転。肺への転移も少し小さくなり、左鎖骨上のリンパ節転移の癌が死んできたと思ったら今度は骨転移とは・・・。第2頸椎の骨転移で10月からは後頭部のひどい痛みやら骨折の可能性やらもあって、ほとんど外出できなくなってしまった。

12月から骨転移の治療(ランマーク)を開始した。放射線治療も12月上旬に終了。後頭部の痛みがMAXだった10月から飲み始めた麻薬も痛みが今は治まり飲むのもやめた。3度目の放射線再照射で副作用が出てしんどかったが、今は徐々に治まってきている。

抗がん剤の副作用がつらかったりすると、こうなったら体に毒(抗がん剤)をどんどん入れて体の組織が全て壊れてしまえっ・・・と、やけになってしまうこともあるが、耐えるしかない。亡くなった今井雅之さんが「モルヒネを打って殺してくれ」と言ったのも今になって理解できる。元気なころは70キロ台まであった体重も今はどんどん下がってきていて50キロぐらい。40キロ台がみえてきた。今のところ食欲があるのが救いで、美味しいもいのはどんどん食べている。

心配なのは父のこと。8月から12月半ばまでほぼ入院。退院して在宅療養になってからも寝たきり。食欲がないとのことでほとんど食事が摂れていない。

こんな家の状況で今年も何があるかわからず、楽しいこともなく明るい状況ではないけれど、悲観もせず楽観もせず、いつか好転することもあると信じて頑張ろう。昨年やり残したこともいっぱいある。まだまだ死ねない。時々ブログを見て応援していただければと思います。

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