女をためす三カ条
「芸者の手紙」(大正元年十一月 彩文館)中の、益田太郎冠者の話。
*
ある朝のこと、いつものとおり朝食の卓につくと、新聞と一緒に数通の手紙があった。その中に水茎のあともはっきりと、おしろいのにおいのする封書がまじっているではないか。
一家の旦那様たるべきもの、面くらわざるを得ない。まるでうしろぐらいことでもしたように、あたりに気がねして、そっとその手紙を忍ばせたが、何となく気が落ち着かない。
それでいつになく、そそくさと食事をすませ、洋服を着て会社へ人力車を飛ばした。車中で例のものを開封してみると、新橋の顔見知りの芸者からのものだ。
──今夕お目にかかってお話したいことがあるから、御多用のところ誠に恐縮だが、例のところへお立寄りを願いたい。
といったような意味のことが、すらすらと書き流してあった。
車上で、もうすっかり色男をもって自ら任じてしまった。
その日は会社の仕事もうわのそら。時計ばかり見て、午後四時になるのを待ちあぐんだ。さあ時間だ、仕度もそこそこに脱兎の勢いで「例の処」へ乗り込んだ。
やっこさん、きっと先へ来て待って、待って、待ちくたびれているだろうと、うぬぼれが先きで座敷へ通ると、女将があいさつにきただけ。
「只今かけましたら早速参ります。まあごゆっくり遊ばして……」
そういわれて、ともかく待つことにしたが、待てど暮せど、なかなかやって来ない。御機嫌がななめ、そろそろ形勢が不穏になりかけたところへ、きのうのいま時分といったような顔をして、いやに落着きくさってやって来た。これじゃまるで気の抜けたサイダーをおわんでのまされるような気分だ。
とはいうものの、来てみれば、さすが女は芸者なり、で、悪い心持はしない。まして、呼び立てて何をいい出すのかと、いろいろ連想が先に立っているから、それをいついい出すのか、いまいい出しはしないかと、そればかりうかがって胸がはずむのである。
だのに女はケロリとした顔でおさまりかえっている。その顔を見ると、気が気じゃない。やぶからぼうに手紙をもらって、のぼせてしまっているからだ。たまらなくなって、こっちから逆襲に出た。
「けさほどはありがとう」
「あら、何がです?」
「何がって、手紙をさ……」
「ああ、そうそう……」
逆襲されて、はじめておもい出したふうに出られては、ギャフンと参らざるを得ない。
「起請誓紙はみんなうそ」と浄るりの文句どおり、一から十まで自己をあざむいているのをへともおもわない。それが商売女だ。だから、あの声でトカゲをくうといわれるのだ。
*
──商売女に、自分はほれられているなんぞとおもうのは男のうぬぼれである。男のその急所を心得ているから、女の手紙は値打ちがあるともいえるのだ。
「あいつ、おれにぞっこん参っていやがる」
と、いう男があとを絶たないから、世の中はおめでたくできているのである。それで女があぐらをかきながら、男の財布の中のものを軽く頂ける仕組みである。
「ほかの男はだまされても、おれだけはだまされないぞ」
と、いうのがすぐ手を上げてくるが、これなどは極上のうぬぼれ男で、女にとっては福の神さま。
「そういう女が、こっちにどれだけほれ込んでいるか、それは試してみればすぐわかりますよ。……」
その道の達人荷風がいう。
「先生、どうして試すのですか」
これはわたくしのぼんくらな質問である。
「最初、こっちがわがまま一ぱいにふるまうんですよ。それから冷淡な素ぶりを加え、さらにケチケチしてみせるんですよ。そうしたら大がいの女は、イヤ気がさして自分から身を引いちゃいますよ。商売女で、この三ヵ条に寛容なのなんかいません。いやしません。それでもなおこっちをおいまわすようなら、それはしんからほれている女だな。男の方だって、この三ヵ条はなかなか実行できるものじゃありませんよ。みんな女にちやほやされたいものだから徹底できないんですよ。それを徹底させながら遊ぶところに、ああいうところで遊ぶ本当のおもしろさがあるんですよ。ぼくなんかそうやって遊んだんですぜ、むかしは。いまの若い人なんかできゃしませんよ」
──それが晩年の荷風のご託宣であった。
『荷風耽蕩』(小門勝二 昭和35年 有紀書房)より

手紙をメールに置き換えて読んでしまった。『荷風踊子秘抄』(小門勝二 昭和35年 有紀書房)には、がっかりさせられたけど、この『荷風耽蕩』は読めます。
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