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February 2012

February 29, 2012

修善寺温泉

伊豆長岡から伊豆箱根鉄道に乗って修善寺温泉にブラリ立ち寄り!
修善寺温泉に来るのはは3回目ぐらいかしら。
桂川と独鈷の湯(とっこのゆ)を望む。
かつて丸見えのあの場所で本当に入浴している人がいたのですが、
今は入浴は禁止となっているんですね。

S1202201

橋を渡り指月殿に向うと、
キタ━(゚∀゚)━! 伊豆長岡温泉に続いて、ボットル落とし!
午前中だったのであいてなかった(>_<)
修善寺温泉には残念ながらストリップはない。
遠い昔ここから東の方に少し歩いた南町に修善寺南劇場があったとか…。

S1202202

修善寺温泉街にはレトロな雰囲気いっぱいの遊技場が7軒もあります。
いなみつ遊技場(射的・ボットル落とし)
初音遊技場(射的・スマートボール)
レジャーセンター柳川(射的・スマートボール・パチンコ)
矢かた(射的)
山口遊技場(ボットル・射的・鬼退治)
木戸橋遊技場(射的)
梅原遊技場(射的・ボットル落とし)

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オオー!、その左隣の建物を見ると何だろう、
ただのスナックだったのか気になる(^-^;

(終わり☆)

伊豆長岡温泉

旅行に行く前日の17日Yさんに逢って色々と話を聞いた。
出会って10年を超えた。
この先ずっと友達でいられるのか、
ずっとプラトニックな気持ちを持ち続けられるのか
自分にもわからないけれど大切にしたい。

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「温泉銀座」界隈の路地を探索しました。
バスターミナルから伊豆の国パノラマパークローブウェイの方に西に向う道路両脇の細い小道が目指す場所です。
「全調査東海道 酒・女・女の店」(昭和42年 有紀書房)にも紹介されている長岡銀座の「バー暁」の場所には「スナック夕月」。「スナックわかな」「スナック春」の看板は見当たらず。

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伊香保温泉と並んで遊べるスナックがあるという話も聞いていて、夜歩かなかったので現役のちょんの間であるのかわわかりませんが、スナック街のたたずまいが脂粉の巷といった場所であった雰囲気を残しています。地図や数年前の写真と照合してみても、摘発にあっては店の名前を変えているんでしょうね。「スナック春」は「スナックあざみ」に変っています。

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「全調査東海道 酒・女・女の店」(昭和42年 有紀書房)に紹介され唯一現存しているのが長岡銀座の「オニー」。「踊れる喫茶バーをキャッチフレーズにしている店である。」と紹介されています。

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狭い町の通りが奥まで続く。

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このあたりで行き止まり。かつてはペンキ塗りの小屋もあったという。

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いったん逆戻り。「スナック京の家」。

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和風建築を見るとなんとなく脂粉の香り濃い街という感じがしてくる。

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芸妓学校や芸妓まつりもあるようで芸妓さんは健在。

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スマートボールは知っていますがボットルっていうのもあったんですね!

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丘を登るようにゆるやかな坂になっていて、すぐ上が八景園です。

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銀座通りを渡り細い路地を歩くとしもた屋風の家が両側に。
この近くに「スナックりんご」があったはずだが、見落とした!?

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「が、朱に交われば赤くなるのか、一つ名になった現在は、狭い町通りの両側の家の二階から、女の首がひょこひょことでて、みだらな呼びかけ声を浴びせるようになっている」(「酒と女 全国温泉めぐり」 昭和32年 田中書店)

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「スナック ブス」の看板ははずされてしまった??

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メインストリート(温泉通り)にある射的場。
温泉街が人で賑わっているという感じはしないです。

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ホテルサンバレー伊豆長岡に宿泊したのですが、温泉街を歩いいて感じたのは、ホテルサンバレー伊豆長岡だけ賑わっているのではということです(汗)

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ホテルサンバレー伊豆長岡は朝食・夕食ともバイキングで、このバイキングがうりなんですかね。温泉「満天の湯 夢殿」もゆったり出来てよかったです。まぁ、私は温泉に関係なくサウナにずっとはいってますが・・・

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旅の終わり。帰りは古奈温泉経由で伊豆長岡駅まで歩いて帰りました。

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February 26, 2012

停電スト

18日は掛川に泊まり、静岡に向かいました。
静岡市内を散策。

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駿府公園、静岡浅間神社、賤機山を回って、三島に移動。
三島駅前をちょっとだけ歩いてホテルの送迎バスで伊豆長岡温泉に入りました。

パンタライ社に端を発するお座敷ストリップは昭和30年台から40年台の高度経済成長時代の温泉旅行ブームとあいまりヌードスタジオやストリップ劇場として全盛を迎える。昭和42年の「全調査東海道 酒・女・女の店」(梅田春夫著)によると伊豆長岡温泉には十数軒のヌードスタジオがあったという。「ナニワ」「ローズ小劇場」「カサギ劇場」「霧島スタジオ」「マイ・ヌード」「ヌード純情」「ロマンス」・・・とヌードだらけだった。

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伊豆長岡温泉街探索開始。ゆらっくす公園隣にあったヌード長岡小劇場のピンクの看板は見当たらなかった。郵便局横をはいったところにある霧島スタジオを建物は健在でした。2階部分の霧島劇場の看板は取り外されたものの2階建てのバラック風情は昭和42年当時と変わらず。

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「停電スト」 伊豆長岡温泉

 五月十四、五日に催される「あやめ踊」は色艶もあり情緒もあり、伊豆長岡温泉が年にたった一度、その持ち味を示すときだが、あとはたいへんな色情狂の里。芸者は約百五十名、特飲姐さん約百名。両方共にツワモノ揃いで、代表に出て貰って秘戯を御披露してもらおう。
 第一は名づけて「停電スト」。
 これは電燈会社のストライキとはわけがちがう。ハダカに判天だけを着た女の子が、豆懐中電燈をパッパッとつけたり消したりしながらマンボを踊る。パッと照らし出されたところがおッぱい突端であったり、その他であったり、うす暗い部屋のなかで影絵のように踊るからだの流れと、ちらっちらっと照らされ部分照明で、前夜祭のフンイキを出しておき、ゼネスト<銭を出して貰ってストリップをやる意味だそうだ>に突入する。いやはや、気の弱い男はショック死を起こしかねない代物。
 次なる芸術品は「油屋」といういかがわしき踊り。
 或る百姓家へ油屋の外交が注文を取りに行くと、おかみさんがひとりで昼寝の最中、あられもない寝姿にへんな気を起した油屋が……といったパントマイム、これを芸者が一人二役。
「お姐さんの芸はマンソウさんもハダシだわ」
 と、土地の若い妓がしきりにほめる。マンソウとはマルセル・マルソーのこと、念為。
 こういった調子だから、旅の恥はかきずてを女の方が地でゆくソラ・オソロシの湯里である。(「温泉・女・風土記」渡辺寛 昭和31年)

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十九首裏

6年振りに姉の住む掛川市に行ってきました。
高校生だった姪はもうりっぱな社会人になりました。
姪が参加する掛川吹奏楽団の定期演奏会見学が目的です。
私は6年前と同じく掛川の街をぶらぶら探索することに。

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なつかしのキネマ食堂から十九首、小鷹町遊郭跡へ。
東光寺の毎月28日の縁日には大変賑わったと言われています。
今ではかつての歓楽街としての賑わいはなく
キネマ食堂とスナック叶に名残をとどめるぐらい。
掛川のすずもとさん曰く旅館すずもとは解体されたと聞き行ってみるとやはりなかった。

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しかし旅館萩の家の建物はかろうじて残っているではありませんか(感動)。

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旅館営業「萩の家」の木で出来た表札がちゃんと残っています。

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なんだか荒れ放題で放置されているようです。

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傾いて倒壊寸前にも見える・・・

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橋本やネオン坂歓楽街でも倒壊寸前の廃墟になった建物を見たことや、
今はなき舞鶴・丸山新地にあった同様の物件の事を思い出したりと、
色々と思いをめぐらせながら十九首裏をあとにします。
この風景いつまで残っているのだろうか…

February 02, 2012

パンタライ社

もう2月ですね。割と元気にしています。

恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。(芥川龍之介)

今はそんな気持ちです。

「散人叢書」第三巻「荷風二人妻奇談」は特に書き留める事もなく読み終え、第四巻「裸体交響曲」を読んでいます。
「パンタライ社の女」が収録されています。
パンタライ社とはなんだったのか・・・

『断腸亭日乗』の大正11年12月31日には、松崎天民が連れていた女が「パンタライ社とかいふ地獄宿の女なりべし」と出てきます。

--「パンタライ社」というのは、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが唱えた「人はふたたび同じ河の流れに立つことはできない」という有名な万物流転説、つまりパンタ・レイ(Panta rhei)の実践者だとのふれ込みで、今日のお座敷全スト、はやりことばでいえばヌード・ダンスの元祖だといわれている。
 パンタライ社は、浅草の待合を舞台に、秘密のストリップを観せて特定の客を集めていたのであった。当時はそういうことは珍しかったから、銀座に集る作家たちの間では好個の話題になり、それでは押しかけてみようというわけで、人気の的になっていたのだった。劇評家三宅周太郎氏の往時の懐古談によると、そのダンスはちゃんと整っており、いちおうどこかの舞台に立って修行した女たちであったという。しかもすこぶる美人ぞろいだったからその裸かダンスは空前の人気を呼んだ。
 それもそのはずで、浅草の一角に現われた「パンタライ社」は、歌劇女優のデカタン派を会員とし、一時間いくらという料金で愛敬の切り売りをした。会員は客の求めに応じ、客の好みの服装をし、客の希望する楽器を携えてお座敷へはべるのだった。そのうえ、客から声がかかれば同伴外出もした。
 当時、「歌劇女優」という言葉は、相当魅力あるものであった。職業的商女を圧倒し去る実力があった。
 それがだんだん評判高くなり、あちらこちらに「パンタライ社」の流れをくむ女が現れはじめた。(「荷風二人妻奇談」より)

そんな「パンタライ社」の流れをくむ女の1人が、大竹とみ(お富)で、なぜか小門勝二氏が工藤富子としているのはよくわからない。そして、もう1人河合澄子の名前をあげている。
河合澄子は割と有名な女優さんだったみたいで、本当に彼女が「パンタライ社」に関係していたかどうかというのは今となってはわからないのですが、大正15年8月22日の『断腸亭日乗』を読むと「壽美子ダンス場に出入りする怪し気なる女を多く知れる由」とあって、大竹とみが「おねえさん」と呼んでいることからも、「パンタライ社」のボス的な存在だったのかもしれませんねぇ。大竹とみ、河合澄子は、ともに『断腸亭日乗』の重要な登場人物であります。

歌劇女優がお座敷ストリップに出て人気を博すというのは、現代、AV女優・小向美奈子が大阪東洋ショーのストリップ公演に出演し話題を呼んでいるに似たものを感じるのであります(汗)。

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