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September 2016

September 28, 2016

小川温泉

黒部宇奈月駅からの無料送迎で二日目の宿泊予定地小川温泉に移動。
宿泊したのは「小川温泉元湯ホテルおがわ」。

ウィキペディアを見ると、小川温泉には、源泉地にある「小川温泉元湯(小川元湯温泉)」と、過去にはそこの湯を引湯した「小川温泉」が存在した、とある。
小川温泉元湯(小川元湯温泉)」は、小川の上流部の渓谷にあり、朝日岳山ろくの渓間にわく源泉地(富山県下新川郡朝日町湯ノ瀬)。
小川温泉」は、あいの風とやま鉄道線泊駅から東へ約2kmの泊りの海岸近くの町の中にある。源泉は朝日岳の山ろく小川渓谷にある小川温泉元湯から、ここまで引湯している。「天望閣」という宿泊施設が1軒存在したが、2009年9月末に閉館した(富山県下新川郡朝日町横尾)。

なお松川二郎氏の「全国花街めぐり」にも小川温泉として一項さかれているが後者「小川温泉」の方であり、私たちが宿泊したのは、前者「小川温泉元湯(小川元湯温泉)」の方である。

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ホテルの入り口に、「小川温泉の源泉」がある。
ここで「全国花街めぐり」などを参考に小川温泉の歴史を振り返っておこう。

小川温泉元湯が開湯したのは今から約400年前。1626年(寛永3年)秀恵上人が神託を受けてこの山渓に入ったところ、薬師像の立っている岩根に発見したと伝えられている。温泉側は1617年(元和3年)を開湯の年としていて、来年2017年に開湯400年を迎えることになっているのであるが、どちらが正しいのかわからない。小川温泉元湯ホテルおがわは、明治19年(1886)に創業し、ちょうど130年の歴史を持つ。宿泊設備を併設した湯治場として創業した小川温泉元湯は、不老閣、長生館、繰泉堂、紅葉楼他十二棟あり、百三十八の客室を有する、広大な温泉場であったが、明治45年(大正元年)7月の大洪水によって温泉施設の全てが流出してから泊町へ移したのである。大正2年6月に小川温泉株式会社を設立。小川温泉への引湯も大正2年6月に完成。薬師岳・朝日岳の山麓・小川渓谷にある源泉に湧出するものを、三里四町の間周到な保温装置を施した木管に依つて引湯したもの。旅館が同年10月に完成。旅館は鬣山閣、不老閣、長春閣(以上旅館部)、光風樓、霽月樓(以上自炊館)の五館に別れていて、光風樓・霽月樓の二館は自炊の客の為の貸間で、鬣山・不老の二館は設備最とも完備し、浴場も別に「瑠璃の湯」というのが専属している。この新しい温泉場に本之家という芸妓屋が出来十名からの芸妓を抱え、大いに発展していたが、昭和2年に失敗して廃絶してしまったため、それからは泊町の「神田新地」から芸妓を呼んでいた。

一方、洪水で流されてしまった源泉地の元湯温泉の方は、バラック式の分湯場を復活させる。明治19年の創業時は洞窟野天風呂のあたりに宿があったが、現在と同じ場所に建物が建てられた。昭和40年代には湯治場から温泉旅館へと形態を変えていったが、現在でも本館横に炊事場を完備した湯治の宿「不老館」がある。

なお小川温泉は、残っていた宿泊施設である天望閣が2009年9月末閉館し、現在宿はない。今年8月に「ホテルおがわ」の旧運営会社「新川総合開発株式会社(旧(株)小川温泉)」が破産。「ホテルおがわ」は、すでに旅館再生を手がける愛知県の海栄館(かいえいかん)に事業を譲渡していて、営業を続けている。

金沢出身の作家泉鏡花は小川元湯温泉を舞台に幻想的な小説「湯女の魂」を書き、竹久夢二は1915年に泊町にあった小川温泉に逗留したことがある。

小川温泉とともに発展してきた神田新地には「泊芸妓」の伝統が今なお受け継がれおり、
朝日町には富山県で唯一の芸者さんの置屋「さとのや」があり、町内の宿や料亭に呼ぶことができる。

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まずは歩いて7~8分上流にある、天然洞窟野天風呂に行くことにした。
混浴である。女性専用の野天風呂蓮華の湯もある。

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小川にかかる湯ノ瀬橋から見た小川温泉元湯の全景。

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道端に咲いたオレンジの花にみとれる。

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混浴でも脱衣所は別々です。

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ええっーーー外から丸見えでは・・・

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天然記念物に指定されている湯の華が凝固してできた石灰華の天然洞窟風呂。もちろん、天然温泉100%源泉掛け流しです。三本の打たせ湯が流れ落ちている。洗い場はありません。

夫婦らしき方が入られていたのですが、私たちが来てから遠慮したのか恥ずかしかったのか出て行かれました。

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「ホテルおがわ」の左手に湯治部の「不老館」がある。だいぶお安くなっているようです。

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隣の木造の建物は職員寮だそうだが・・・
使われているのであろうか?

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小川温泉元湯は泉鏡花『湯女の魂』(明治33年(1900年)5月)に登場する。泉鏡花がいつ頃小川温泉元湯を訪れたのかははっきりとしない。

ある男が北陸道の旅の途中、泊の町で東京の友人の言葉を思い出し、友人と深い仲だった“お雪”という湯女(入浴客の世話をする女)に会おうと越中の小川温泉を訪れる。お雪は温泉宿でその友人の恋わずらいから寝込んでおり、そのうえ何かに取り憑かれて毎晩うなされていた。男は宿の主人の頼みでお雪の世話をすることになる。お雪が言うには、夜ごとに怪しげな年増の女が現れ、男への思いを断ち切るようにと折檻するという。その晩、お雪の部屋に突然大きな蝙蝠が入り込んできて、女を連れ出し、荒野の一軒家へと導く。その家に入ると、怪しげな年増の女が待ち構えていてお雪をいたぶり、男を金縛りにする。そして、お雪が男への思いを捨てないのでその魂を抜き、それを男に預けるから東京の友人に届けるようにと言って、コウモリに変じて男の懐へと入り込む。男は早々に宿を立ち、東京の友人宅へと向う。東京の友人宅へ着くと友人はあたりをきょろきょろしながら言った。「君が連れて来て一足先へ入ったお雪が、今までここに居たのに、どこへ行ったろう。」後日、小川温泉より、お雪が亡くなったとの報せが届く。
(参考:旅館におかれていた北日本新聞切抜きのコピー。2010年8月17日 越中文学の情景29 立野幸雄)

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癌になってから普段肉は食べないことにしている。そんな私も旅行の時は例外です。

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朝食はバイキング。和食にする。
ハム、ベーコン、ソーセージ類は当然避ける。食べ過ぎたーー。

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明日帰ります!

September 22, 2016

黒部峡谷トロッコ電車

2日目。トロッコ電車で大自然の秘境、黒部渓谷へ。
黒部峡谷鉄道のトロッコ列車の始発駅・宇奈月駅。

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駅のホームに富山地方鉄道のさまざまなヘッドマークが飾ってある。
レトロな雰囲気がいい。

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宇奈月駅を発車。

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宇奈月駅を出発したトロッコ電車が一番最初に渡る橋が新山彦橋。
新山彦橋から見た山彦橋と宇奈月温泉街。

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宇奈月ダムとうなづき湖(宇奈月ダムのダム湖)。奥は湖面橋。
エメラルドグリーンの湖面が美しい。

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西洋の古城を思わせる新柳河原発電所の建物が見えてくる。

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後曳橋を渡る時に左手に見えるクラシカルな水路橋。

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出し六峰。

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途中駅ではすれ違うため対向の電車を待ち合わせる。
行きは窓のないオープン型の普通車両に乗ったが、トンネルも多く9月上旬とはいえあまりにも寒かったので、帰りは窓付きの車両に乗った。

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終点の欅平駅に到着後、猿飛峡までの遊歩道を散策。往復1時間。猿飛峡は、黒部川の本流で最も川幅が狭いところ。岩壁から猿が飛び越えられるほどに、峡谷が狭まっていることから名付けられたという。別名「景雲峡」とも呼ばれている。

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帰りは京阪3000譲渡車の10030形モハ10044

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V字峡谷とエメラルドグリーンの清流がおりなす絶景の連続を堪能しました。

宇奈月温泉

荷物をホテルに預けて宇奈月温泉を散策。

山彦橋(旧山彦橋)を散策路に整備した「やまびこ遊歩道」をまずは散策することに。「やまびこ遊歩道」はかつてトロッコが走っていた旧軌道と鉄橋・トンネルを利用した散策コース。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅近くの遊歩道入口より渓谷美を望む。
右手がかつて軌道だった山彦橋。左手は弥太蔵橋。
列車の音がやまびことなって温泉街に響くことから「山彦橋」という名前が付けられたとのこと。

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山彦橋からはトロッコ電車が走る新山彦橋が間近に見える。
新山彦橋は真紅の鉄橋。

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「やまびこ遊歩道」の旧トロッコのトンネル内。

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トンネルの中に開けられた空間から橋上を走るトロッコを望む。

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宇奈月温泉街に戻る。
温泉街には、やまびこ通り、おもかげ通り、中央通り、湯の町通りとあり、ゆっくり歩いても30分もあればひと回りできる。今年の4月にオープンしたという宇奈月温泉総湯「湯めどころ宇奈月」の施設だけ異彩を放っているが、あとは落着いた雰囲気の温泉街である。
かつては芸者さんもたくさんいて、当然置屋や検番もあり、また売春防止法施行までは特飲(赤線)もあって、渋いお色気が漂よっている温泉郷だったとか。
「かわいお方と黒部の谷はヨ、深くサイサイなるほど、好きが増すドウジャイナ」

昭和三十年代後半から四十年代にかけて、関西電力の黒部川第四発電所の完成前後の頃が観光客や工事関係者、芸者さんたちで賑わい温泉街として一番にぎやかだったようである。歓楽温泉郷につきもののストリップ小屋もその当時はあったが、今は遊びに行くようなところは当然ないし、飲みに行くバーやスナックすら見かけない。

で、温泉街をぐるぐる。んん・・・、スナックラセーヌ。
しゃれた名前である。
なんか屋根の方が潰れています(>ω<)

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よく見ると廃墟状態ではありませんか(;´Д`)
こういう建物も見ると滅びる寸前の美しさすら感じる。。。

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「風ぐるま」というお店の建物もかなり古い。
宇奈月温泉の街角には、いたるところにブロンズ像が置かれている。

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横から眺める。

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先ほどの「風ぐるま」から中央通りを挟んで反対側の建物。
こちらも同様に営業していなさそう。壁面の意匠とカーブが素晴らしい。

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フィール宇奈月の横の通りで。

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おもかげ通りに宇奈月温泉唯一のスナック「カラオケスナックブービー」があった。
右隣の居酒屋「和(やわら)」は営業しているようにみえなかった。

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宇奈月公園。
多くの文人墨客に愛された宇奈月温泉らしく、与謝野晶子・鉄幹夫妻の歌碑がある。与謝野晶子は昭和6年の北陸地方の旅で宇奈月温泉・延対寺荘で越年(昭和5年大晦日)。

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宇奈月公園に野生のお猿さんがいた(^ω^)

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平成4(1992)年に宇奈月温泉に来た際は蝶仙閣というホテルに泊ったのだが、地元の人に聞くと既に廃業しているとのこと。跡地に行くとコンビニ・ポプラの前に建物は残っていたが使われていないようであった。街の中に残っていたかなり古い宇奈月温泉観光案内図の看板に記載されていたホテルの名前を調べて見ると、以下の宿泊施設が廃業したか経営が変わっているようである。他の小さなホテルや民宿、企業の保養所も廃業したのか営業しているようみえないところがあるのはどこの温泉街でも同じではあるが寂しい気がする。

錦水
かなやま
おもかげ旅館
ホテルふく井
河内屋
ホテル蝶仙閣
NTT健康保険組合宇奈月保養所・越山荘
老人保養センター・新川荘
宇奈月ニューオータニホテル→宇奈月杉乃井ホテル
地方職員共済組合宇奈月保養所・黒部荘→フィール宇奈月
黒流荘→宇奈月レディースイン

旅に出る

先月の退院後特に問題はなく経過も良好で、体力もほぼ回復して元気にしています。

9月12日にはYさんに久し振りに会う。こうやって元気になってまた会えることは何よりも嬉しい。会った時思っていたほど痩せてはいなかったのでほっとしたと言われ自分も安心する。今はしゃべるのが少し悪くなっているとか、飲み込みが悪くなっているので食べるのが遅くなっているとか、ありのままの自分をみてもらうしかない。

9月15日から久し振りの旅行。宇奈月温泉・小川温泉・富山方面に二泊三日で行ってきた。

京都駅からサンダーバード9号に乗り金沢を目指します。

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金沢駅からは北陸新幹線に乗り込む。

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新高岡・富山を経て黒部宇奈月温泉駅に到着。
朝8時前に大阪を出て12時に到着したので関西からも近い。2015年の北陸新幹線の開業でアクセスがぐっと便利になった感がある。昨年開業したばかりなので駅舎は真新しい。駅前はロータリーにタクシーが止まっているだけで大きな商業施設があるわけでもなくがらんとしていて殺風景で寂しい。観光案内所やお土産コーナーを備えた施設とパン屋さんがあるくらい。お昼を食べるところを探したところすぐそばに「仁助」という店が1軒だけあったので昼食抜きはまぬがれる。メニューに「白えび天丼」でもないかと期待していたがなく「白えびカレー」なるものはあった。

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乗り換えの富山地方鉄道新黒部駅。
新幹線の駅にあわせてこちらも昨年開業したばかりなのできれい。

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富山地方鉄道14760形電車が着たー。
富山地方鉄道は地鉄の電車だけでなく、地元京阪電車の特急車両や東急、西武の懐かしの?車両も走っているのが面白い。京阪電車の割と新しいダブルデッカー車両まで走っているのにびっくりした。

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富山地方鉄道の途中の内山駅。
待合所がいい味を出している。

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宇奈月温泉駅到着。
私たちが乗ったのは10030形電車(モハ10042)でした。車体は京阪3000系電車の特急型車両を使っていて、この色に塗装し直しているようです。

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富山の奥座敷、名湯で知られる宇奈月温泉。
宇奈月温泉駅前。
駅前広場では温泉の湯を使った噴水が観光客を迎えてくれる。

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宿泊はホテル桃源。
入口を入ったところがフロントのある6階になっていて、黒部川沿いの下の方に降りていく構造になっている。宇奈月温泉のお湯は黒部川上流の黒薙温泉から引湯されている。手術時に開けた気管の穴がようやく塞がったので温泉にも問題なく入れるのであるが、傷が塞がったばかりということもあり、肩までつからずこわごわ浅めに入った。

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お楽しみの夕食
アルコールは飲めないのでウーロン茶です。

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富山湾にしか生息しない、富山の特産・白えびの天ぷら。

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食後にホテルの売店で「やまとや」の手作りとうふプリンを買い部屋で食べる。

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1日目は無事終了。

September 03, 2016

渡辺寛 赤線全集

『渡辺寛 赤線全集』がカストリ出版から出たので早速読んだ。

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今年1月に渡辺豪さんにお会いした際には、渡辺寛さんの赤線関連のみの全集を出版予定とお聞きしていたので、まだかまだかと待っていただけに、この出版は信奉者にとっては近年にない嬉しい画期的な出来事でした。本書では単行本に収録されなかったガイドやエッセイを収録。『旅行の手帖 №20』『全国女性街ガイド』『旅行の手帖 №23』『鄙びた湯・古い湯治場』『温泉・女・風土記』は苦労して手に入れた思い出があるが、雑誌類に発表された作品までは自分には手が回るはずもないので、この全集に纏めてくれたことはありがたいことである(著者氏名のない『酒と女 全国温泉めぐり』は渡辺寛の著作から外した方がよさそう)。おまけに今回の本では、連載作品の収録対照表まで付けるという微に入り細に入る懇切丁寧な編集で、労作にただひたすら感謝。(鷹目さんのサイトの夕凪さんのリストと比較すると、現時点では「遊ぶ湯の里 芦原 百人百湯‐作家・画家の温泉だより」(旅行の手帖 1956.06.20)と「女のいる全国避暑地ガイド」(100万人のよる 1963.08.01 共同編集)の2作が収録されていない。)

もう一つの収穫は今まで不明であった渡辺寛の消息があきらからにされたこと。自分で調べてみたいと思ったこともあるが、なかなかそう簡単にはできないことである。残った文章として渡辺寛の名前を挙げているのは作家仲間では松田解子と徳永直ぐらい。松田解子をきっかけに突破口が開けたことは渡辺豪さんにとって幸運であったといえる。

本人が「経歴をぼかしていた」と書いているのにびっくりしたが、最終学歴や死亡した時期とか間違って伝わっていた面もあった。私が抱いていた渡辺寛像としては、「独り者。酒好きや女好き。破滅型のどうしようもない生き方。風来坊で早死にしたのでは…」と勝手にイメージしていた。本人直筆のプライベート日記や家族へのインタビューを読むとそのイメージは覆させられた。「家庭的。奥さんを大切にした愛妻家。子供好きで家族を大事にしていた。」というのが伝わってくる。旅の日記に、奥さんと娘さんの写真が載っているが、いい表情をして写っている。幸せだったのだろうというのが伺える写真である。娘の圭子さんがりんごを二切れしか食べていないのに、三切れ食べたと固執して、説得するのに30分もかかったというエピソードが微笑ましい。

私としては戦前の労働組合におけるオルグ活動時代のことが気になる。三つ前の記事で松田解子も関淑子も渡辺寛も同じ頃江東地域を拠点に活動していた時期があったということに触れた。接点はどこにあったのかだ。以下、私の推測が混じるが…。渡辺寛は、芝浦の青バス工場のスキャップ、大和電球工場雑役工、電灯線設備下働き、印刷工場など労働者生活や押上の帝大セツルメント労働学校のキャップをやったり、労働者劇団「江東あかつき座」を作ったりしていた。一方、関淑子は、関東金属労組本部の書記になり、沖電気、芝浦製作所、日本科学などの分会を回ったり、青バスの新宿営業所に勤務したりしたが、後に共産青年同盟の活動に入る。松田解子は子育てや執筆活動をしながら、昭和5年当時住んでいた本所・柳島の同潤会アパート前にあった帝大セツルメント児童部や柳島消費組合婦人部の活動に参加している。この同潤会柳島アパート時代に、松田解子と関淑子の交流が始まっている。渡辺寛は柳島消費組合にも出入りしていて松田解子とは顔見知りであったと思われる。彼が関淑子を知ったのは彼女が関東金属労組本部の書記であった昭和4年のこと。昭和6年頃より二人は労働者に寄りそう形で本格的に工場に入り込みオルグ活動に打ちこんでいく。不思議なのは、何回もの逮捕・投獄を経験しながら昭和15年以降は日本経済新聞や交通新聞社という普通の会社に勤務していることである。どこかのタイミングで転向したのであろうか。新田満夫編『日本浪曼派とはなにか』(昭和46年 雄松堂書店)の中に「尚、ここで一筆しておきたいことは、少なくとも郡山弘史、渡辺寛、緑川貢の3人は、情勢におされて後退はしながらも、終始左翼の立場を捨てなかったことだ。」との緑川貢氏の記述があることを思い合わせると、その時代の松田解子や佐多稲子がそうであったように、戦争へ突き進むなかでまともに戦争反対の主張や権力との対抗の姿勢を貫くことが困難となり国策に沿わざるを得ない時代となっていったということであろう。それから時を経て、昭和34年年末年始の北海道・青森の旅行中電車に乗り合わせた全学連主流派の学生たちを見て、自分の若かった頃の事が偲ばれてならなかったと、日記に記している。

今回あらためて読んでみて感じたのは、東京の赤線や全国の温泉のガイドでは、その文体はギャグや駄洒落がちりばめられた「笑い」の要素含んだ独特の形容や言い回しが、今となっては赤線という陰鬱な世界を紹介していても暗さがなく惹きつけられるものがある。一方で“女をめぐる旅”のエッセイとなると一転「笑い」を廃し、土地土地の女たちとの交流にほのかな哀歓が漂う詩情にあふれたしみじみとした旅情が感じられる名文となっている。

以下は内容的に気になったところをピックアップしておく。

■検診
渡辺寛さんは赤線のガイドで必ず検診日あげていて、検診日を確認の上検診直後に登楼することをやたらと勧めているのが面白い。この当時の検診というのも当てになるのでしょうかね・・・。

■鳩の街
美女が多い目抜きの通りとして銀座通りと並んで栄町通りがあげられている。『東京の性感帶-現代岡場所図譜』(『人間探求』25号 1952年5月)の地図のイメージから銀座通り、東通り、東小路、辰巳通り、末広通り、サクラ小路、箱根山通りしか頭になかったが、東通りの一本西側である南商栄通、すなわち現在鳩の街通り商店街となっている目抜き通り側にも店が並んでいたようである。

■新小岩
ひところ永井荷風が通いつめた伝説も伝わっているという新小岩。断腸亭日乗をひも解くと確かに戦後荷風は小岩(小岩の舞踏場・東京パレス)とともに良く新小岩を訪れているが、何をしに新小岩に行っていたのでしょう?荷風は新小岩を私娼窟と呼んでいる。日記を読む限りでは、新小岩を散歩したり買い物をしたりしただけで具体的に何も書いておらず、ただ市川から浅草に出るための中継地点であったとも取れるが、戦前の玉の井や亀戸を懐かしみ、新小岩の田舎っぽい街の雰囲気が気に入ったのではなかろうか。

■新宿
P.74に珍しく新宿の青線が紹介されている。「花園小路・花園街・歌舞伎新天地・同小路・同新町・新宿センター」の6箇所のうち「花園小路」は「花園小町」の間違いではなかろうか。

■玉の井
玉の井の入口に関する記載。「正しい入口はマスヤ薬局、交番、スズラン通り入口の三つ。」(昭和30年4月「あのまち・このまち花街めぐり」) 1年半後は「正しい入口は交番脇・マスヤ薬局・スズラン通り・新玉映画館の四つ。」(昭和31年11月「東京の女体めぐり」) ちなみに『東京の性感帶-現代岡場所図譜』では「入口は澤山ある。いろは通りに二ケ所、派出所から左へ入る道、また玉の井稲荷からも、鐘ヶ淵の南入口からも入れる。」とある。日比恆明さんの『玉の井 色街の社会と暮らし』(平成22年 自由国民社)の「昭和28年頃の玉ノ井界わいの住宅地図」よりマスヤ薬局は「マスヤ化粧品」の場所であろう。しかし、スズラン通り?というのがわからない。日比さんの「遊客の通り道」を参考にすると残りは、玉の井劇場をやり過ごした次の左へ曲がる路地で別府温泉の方へ向かう通りがスズラン通りにあたりそうである…。別府温泉の先角地にあった「第二ナンバーナイン」が後に「鈴蘭荘」なったことを考えると考えられなくもない。

最後に、温泉好きの私としては渡辺寛の各本に記載された温泉別の索引を作ってみたいという思いにかられている。

カストリ書房様 ご開店おめでとうございます。
東京へ行く際はぜひ寄らせていただきます!

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