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October 2016

October 31, 2016

将軍塚

以前から行きたかった京都の将軍塚に思い立って行ってきました。

京阪の祇園四条駅を降り、八坂神社、円山公園を抜け、長楽寺入口前からスタートsign03

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将軍塚道の石碑があった。ここからの石段を登っていきますshoe

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途中「お宿吉水」という旅館があった。築百年の数奇屋造りの片泊まり宿。

明治時代に席貸、料理屋と化していた安養寺の塔頭、安養寺六坊(連阿弥、重阿弥、正阿弥、春阿弥(眼阿弥)、左阿弥、也阿弥)に隣接した場所に人工温泉「吉水温泉」があったが、六阿弥も吉水温泉も相次いで滅亡し、現在は左阿弥だけが残っている。吉水は東山大谷の地名で、境内から霊水が湧き「良い水」であったことから称されたという。安養寺は、法然が庵を結んだ「吉水草庵」といわれる場所。

「お宿吉水」は、元は安養寺の宿坊とのことで、明治期の吉水温泉とはつながりはないようです。

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「左 螢の窟(ほたるがいわや) 参町 知恩院 四町」の道標。

ひたすら東山山頂を目指します。登りはそこそこ急な山道ですfuji
東山ドライブウェイの頂上には無料駐車場があるので普通は車かバスで行くところ。
たまに私のようなトレッキングの人に会います。
私は車を持たないのでどこでも基本電車と歩きです(免許は持っている)。そもそも車が大っ嫌い!誘われても乗りたくない。頸部の2度の手術をしてからは首の回りが悪くなったこともあり自転車に乗るのも危ないと止められている。現在は歩き専門ですbearing

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途中迷いそうなポイントは何箇所かあったが、華頂山山頂に無事到着。
祇園四条駅からは楽勝の約35分でしたhappy01
2014年に出来た将軍塚青龍殿の大舞台。
木造の大舞台でなかなかの開放感。
清水寺の舞台の4.6倍の広さとか。

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京都市内を一望できる大パノラマに感動happy02
京都御所や鴨川、五山送り火がよく見える。

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青龍殿の裏側。
青龍殿はもともと京都北野天満宮前にあった「大日本武徳会京都支部武徳殿」、後の「平安道場」を解体して青龍院が京都東山山頂に「青龍殿」として移転再建したものだそうです。
大舞台に全面ガラス製の茶室が公開されている。

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右側の建物が青龍殿、真下に見えるのが直径約20m、高さ約2mの将軍塚です。

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将軍塚を下から見たところ。

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青龍殿(青蓮院門跡)福徳門。
もともとここは知恩院北隣にある青蓮院門跡の飛地境内で将軍塚や大日堂があったのを新たに青龍殿を造ったというわけですね。
これからは紅葉が楽しめます。将軍塚青龍殿では12月4日(日)までライトアップするそうです(17時から21時30分まで)。大舞台からの夜景も綺麗なんでしょうね。みなさんにもお勧めしますsign01

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再び同じ山道を降り帰り道、京都の四条通りを通っていたら四条通りの北側には面白い路地(小路)がたくさんあるぞcoldsweats02
京都では路地(ろおじ)、辻子(ずし、図子)、ろおじ裏、突抜(つきぬけ)とか呼び方があって使い分けがよくわからない。
「こいし小路」という通りの名前かと思ったら物件名だったcoldsweats01

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ここは祇園かsign04
十四番小路。
錦市場で買い物をして帰りましたtrain

October 24, 2016

四貫島 その三

もう既にかなり歩いた気がする。
午前中は太陽がでて晴れていたのが、幸い曇ってきたのでまだ歩けそう。
引き続き梅香界隈を歩きます。

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工場の労働者が楽しむ繁華街として栄えてきた梅香・四貫島エリア。
地元の常連客の集まるスナック・居酒屋などの飲食店が多い。

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住吉神社です。別称、四貫島住吉神社、

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こんなところに路地がと思ったら「茜小路白鳥町七番地」という名前のアパートでした。
つい最近まで人が住んでいたようではあるが、入口が板で塞がれています。

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四貫島・梅香界隈は下町の雰囲気が漂う、昭和な香のする街である。

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人が住んでいるのかわからない長屋住宅。
お決まりのように公明党のポスターが貼られている。

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独身アパートと書かれた善進荘。
トイレ・お風呂は共同で一人ぐらし向きのようです。
独身アパートどくだみ荘』を思い出しますね(^ε^)

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六軒家川沿いのバラック。

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千鳥温泉

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鉄腕ビル?( ̄□ ̄;)

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若草荘。窓の欄干が素晴らしい(*^ω^*)/

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モトダバコヤ。此花アーツファーム事務局(「此花アーツファーム」というプロジェクトを展開)が入り、シェアショップやお試し暮らしも行っている。梅香、四貫島地区内にある、借り手のない古いボロアパートや使われなくなった工場跡を住宅兼アトリエ、ギャラリーなどとしてよみがえらせ、街を若い力で活性化させようと、住宅兼アトリエなどを会場にした地域“再”活性化イベント「見っけ!このはな」というイベントを数年前より開催している。梅香・四貫島地区をアーティストやデザイナーら若いクリエーターたちの集うエリアにしようという試みである。
(参考:産経ニュースWEST 2012.11.23[関西の議論])

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松月旅館と丸山表具店

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初代大坂船奉行所跡
左の案内板より。「初代大坂船奉行所跡 大坂船奉行は元和6年(1620年)に、近世には難波津に代わって大坂の要津として、賑わっていた伝法・四貫島に設置され、徳川幕府最初の大坂船奉行所を四貫島村としました。公事屋敷が185軒あるという規模で、6軒や3軒で村がある時代の全国約200藩中で日本一の船奉行所になります。
現代地図 荷役場跡小公園(2011年11月現在)
新修大阪市史 芦田家「大和川筋大絵図」
此花区郷土史研究会 史跡広報事業」

この石碑の裏面に「橋下徹 書」とある。あの橋下徹さんが書かれたものですが、あまり字がうまくない!?

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梅香の路上鎮座の御神木。路上に鎮座する神様です。
昨年までこの東の筋の道路上にも白砂大神(しらすなおおかみ。通称銀杏の神様)が鎮座していていました。道路拡幅工事のため何度も銀杏の木を切り倒そうとすると、事故が続いて起こるためずっと残してきたのが、昨年の11月3日に撤去されたそうです。

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此花飲食業協同組合がある並びのスナック。山吹茶色の壁面が渋い味を出している。

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探索終った。朝日橋上から六軒家川と梅香方面を眺める。
西九条を出発してから4時間45分歩いていた。
これだけ歩けるのだから体の方ももう大丈夫だろうと自信をつけました(^-^)/

※2016年12月11日追記

記事を書いた時は、四貫島德平町、四貫島千鳥町、四貫島宮居町はどこだかわからず歩いていたので、見当違いのところを歩いていたのでは不安になり、先日複製吉田地図の昭和36年のものを確認してみました。四貫島德平町が春日出北一丁目まででっぱっていた以外は、現在の四貫島・梅香内で大きな間違いはなかった。
戦後昭和36年の街の様子をあらためてみてみた。

四貫島德平町 旅館(1 重乃家)、スタンド・バー(6)、その他飲食店(11)、劇場(2 ブラザーズ映画館、日本劇場)
四貫島千鳥町 旅館(2 吉積屋)、スタンド(14)、その他飲食店(6)、劇場(1 大和劇場)
四貫島宮居町 スタンド(3)、その他飲食店(3)、劇場(1 此花劇場) 

德平町は、現在蘆花亭、ラウンジ美樹が並ぶ南北の通りから東側にかけてスタンドやバーがちらほら見える。
千鳥町は、阪神千鳥橋駅前の千鳥橋交差点から鉄腕ビルのあたりまで南方向に伸びる千鳥橋筋商店街の両側にスタンドが多く並んでいる。千鳥橋筋商店街には現在も昭和な臭いを感じさせる商店が多く残っている。

四貫島 その二

引き続き四貫島から梅香を歩きます。

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四貫島にあった金巾製織株式曾社が明治39年に大阪紡績と合併し、更に大正3年、大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式会社(現、東洋紡株式会社)となった。東洋紡績四貫島工場は、朝日2丁目の昇陽高校(中高一貫校、元は淀之水高等学校という女子校)あたりにあり、朝日橋詰から千鳥橋、北側は正蓮寺川迄全部が東洋紡績の工場であったという。なお、此花区には他に東洋紡績四貫島工場から約1km離れた場所の此花区伝法六丁目に浪華紡績の工場があった(後に東洋紡績西成工場となる)。

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欄干コレクション(σ・∀・)σ

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スナックやラウンジが並ぶ通り。

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阪神なんば線の千鳥橋駅を中心とした四貫島界隈は、大阪北港の工業地帯に隣接し、紡績や硝子、造船などの操業が明治初期に始まる。昭和初頭から戦時にかけて造船、鉄鋼など重工業を中心とする臨海工業地帯に隣接した地域として発展してきた。千鳥橋界隈は5,6軒の映画館も有した一大歓楽街として発展し活気に満ちた街であったという。
(参考:非常時の少年たち(2) 映画『僕らの弟』をめぐって 米田米男)

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四貫島界隈は工場街で周りには労働者の住宅街が広がっている。空にはいつも煤煙に覆われていた。四貫島にも朝日橋下流に寄せ場(日雇労働力の売買行為がまとまっておこなわれる場所)があった。労働者の生活・労働状況は、おおむね過酷であることが多かった。職工・プロレタリアの労働者街の中には貧民窟・スラムとも呼ばれる地区もあったと思われる。
吉田源治郎と賀川豊彦は大正14年10月1日に「日本労働者伝道会社・四貫島セツルメント」の看板を掲げ四貫島セツルメントを設立、隣保事業に取り組んでいる。また、さかのぼること大正4年5月に地元の篤志家・廣岡菊松によって四貫島文徳町10番地(現四貫島2丁目)に大阪暁明館という工場労働者のための宿泊施設が開設されたが、昭和初期に関西学院学生奉仕団に経営移管されてからセツルメント化した。現在は西九条で病院として運営されている。

※隣保事業(セツルメント):宗教家や学生が、労働者街やスラムに定住して、住民との人格的接触を図りながら、医療・教育・保育・授産などの活動を行い、地域の福祉をはかる社会事業。

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あさがおがまだ綺麗に咲いている。

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錦荘(梅香)。この界隈は古い文化住宅や○○荘というアパートが多い。

「大阪湾岸の此花区は、高度成長期に重工業を中心とした臨海工業地帯として栄え、梅香、四貫島地区は労働者らの住宅街だった。しかし、その後の景気低迷で、企業の撤退や移転などに伴って労働者が離れていって人口が減少。アパートや工場などの空き家も増えていったという。」
(参考:産経ニュースWEST 2012.11.23 [関西の議論])

工場の労働者の住宅地も、近年は工場の地方や海外への移転や、少子高齢化が進み、空き家も増えて、かつての活気を失いつつある。その空き部屋や空き地の有効な活用方法として、アーティストやデザイナーなどの活動を志すクリエーターに、アトリエや住居となるアパートには風呂がないなど条件は悪いが安い家賃で貸して、若いクリエーターたちを集結させようという取り組みが行なわれている。

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此花住吉商店会にある公設住吉市場。
中は真っ暗ですが営業している店があるみたい。

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近寄って看板を良くみてみると「宮居荘」と書いてある。このあたりが宮居町であったのだろうか。「宮居町」は住吉神社の所在地であることから町名が付けられたとのこと。

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北港通沿いの古ぼけた建物。

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水色に塗られているのが印象的。

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こういう何気無い細い通りが好き。

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紡績工場の女工さんたちの労働條件や寄宿舎での生活環境は過酷、悲惨であった。東洋紡績四貫島工場から少し離れたところで正連寺川のただ中にあった女工の寄宿舎(女子寄宿舎)が「奴隷島」とも呼ばれていた時代である。
(参考:神戸経済研究所の公式ブログ 2009.01.17 田野登著「水都大阪の民族誌」を読む)

男工さんに欺されて、私娼という倫落の淵に陥ち行くものもあったという。
「大正5年中住吉署に検挙せられたる密淫売婦108名に就き、その私娼となる以前の職業を調査したる処聞くに、総員中57名、即ち5割強は紡績女工にして、他は待合雇女2,仲居1,其の他46名なりしと」
(参考:「救済研究」第5巻12号大正6年12月 紡績女工の寄宿舎-大阪毎日新聞記者 村嶋歸之)

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このあたりにスナック、ラウンジ、バーが多いのは、やはり昔私娼窟があったという名残りなんですかねー。

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地図をみながらとはいえ自分が今どこを歩いているのか突然見失い同じところをぐるぐる歩いているのに気づく(>ω<)

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またもや細い路地に吸い込まれる(´∀`)

四貫島 その一

治療の副作用もほぼなくなったので、久し振りに街を歩きにいこう。
ここのところ10月とは思えない陽気が続いていて天気がいいのも好都合。

『性欲の研究 東京のエロ地理編』(井上章一・三橋 順子[編] 平凡社 2015年3月)を以前読んだ際に、加藤政洋さんと三橋順子さんの対談で加藤さんが「大阪では湾岸の工業地帯そば、(中略)四貫島あたりに大きな私娼窟ができています。」と語られていたのが気になっていた。

今年6月にカストリ出版より復刻された『業態者集團地域二關スル調(昭和8年・昭和9年・昭和13年・昭和14年)』を見ると全国戦前私娼窟リストに大阪の四貫島も記されている。この資料より四貫島に関するところを抜粋する。

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昭和8年10月

千鳥町   此花区四貫島千鳥町(15,38)
宮居町   同 宮居町(17,42)

昭和9年10月

德平町   此花区四貫島(22,78)
千鳥町   此花区四貫島千鳥町(15,35)
宮居町   同 宮居町(17,46)

昭和13年1月

千鳥町   同 此花区四貫島千鳥町(17,51)
德平町   同 德平町(40,150)
宮居町   同 宮居町(14,50)

昭和14年1月

德平町   大阪市此花区四貫島德平町(40,100)
宮居町   同 宮居町(25,55) ※千鳥町との合わせての数字
千鳥町   同 千鳥町

※括弧内の数字は、戸数、業態者数。
 参考に、東京の玉ノ井は、昭和13年1月の数字で戸数476、業態者数954とあるのでやはり規模が違う。
※備考欄に「上記所在地ヲ根據トセルモ常ニ居ヲ轉シ一ケ月以上固定セルモノナシ」とあり。
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これをみて四貫島を探索してみたくなった。
四貫島徳平町1-2丁目は、現在の四貫島1-2丁目、四貫島宮居町と千鳥町は、現在の梅香1-3丁目にあたる。私娼窟の痕跡は当然残っていないだろうし、あった場所もわからないので探すだけ無駄である。四貫島と梅香をあてもなくぶらぶら歩いてみよう!

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JR環状線西九条から北西方向、阪神なんば線沿いに千鳥橋の駅まで歩く。
途中朝日橋を渡るともう左手が梅香、かつての四貫島村の区域である。
新之介さんのブログ「十三のいま昔を歩こう」に紹介されていた森巣(もりす)橋に到着。
工事のガードマンのおっちゃんがいたので下を覗いてみると工事中でトラックが走っている。かつて正蓮寺川が流れたいたところの地下に阪神高速左岸線が走っていて、川が埋め立てられた地上部は公園になるようです。

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森巣(もりす)橋のたもとの階段を降りる。
左側の建物が何故か気になるヽ(;´ω`)ノ

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細いところを見つけると入りたくなる変な習性の私。
細い階段を見つけると降りたくなってしまうが柵がしてあった(;ω;)

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細い路地を見つけるとすぐに吸い込まれるようにして入っていく(^ω^)/

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四貫島森巣橋筋商店街の入口。

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四貫島商店街本通り。
地元の買い物客で賑わう商店街です。
此花区の四貫島・梅香界隈には、他に四貫島中央通商店街、此花住吉商店会(住吉商店街)、グッディー此花、千鳥橋筋商店街の各商店街があって、他の地域にみられるようにシャッター通り化することはなく概ね賑やかでした。

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阪神なんば線沿いに私好みの路地を発見。

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右側にバラック小屋らしきものが並んでいる。
洗濯物が干されていて生活感あふれる路地です。

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四貫島界隈に紡績工場があったころ、労働下宿なるものが多く存在していた。
労働下宿というのは労働者を宿泊せしめると共に彼等に労働を周旋する宿屋。
工場での仕事が終った荒くれ男たちは女を求めて紅灯の街へ繰り出すこととなる。
そのころ四貫島界隈には曖昧屋(売春宿、私娼窟のこと)が矢鱈とあったという。
(参考:見よ!!このダークサイドを (其一〜其六・其八〜其十) 大阪毎日新聞 1918.1.5-1918.1.21(大正7))

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工場が出来ると、工場で働く労働者が集まり、次に性を売る女性達も集まり色街が形成される。工場の周りには、大衆食堂や飲み屋、カフェー、活動や芝居の小屋なども次々とできて歓楽街に発展していく。東京の私娼窟・玉の井には、近くに鐘ヶ淵に鐘淵紡績株式会社(カネボウ)の紡績工場があり、大阪の四貫島には東洋紡績株式会社の工場があったのは偶然か。

考えてみると四貫島にあった私娼窟、戦後は赤線または青線に移行しなかったようですが、戦災で全滅して消えてしまったのか、街のクリアランスで消えてしまったのか、どうだったのでしょう・・・。

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四貫島の三角地点にある文徳延命地蔵尊。後ろに大きな木が聳え立つ。

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タイル貼り円柱マニアであるとともに、2階部分の欄干(窓の手すりのことを欄干と呼んでいる)マニアでもある私は、ついつい見とれしまいます(;´Д`)

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おおぉーー、これまた渋い2階の欄干とべんがら色の壁がたまらない\(^^)/

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近づいてみてみると「よしのや旅館」と書いてあった。どうりで、、、納得。

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こういうフォルムも好きだったりする。

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四貫島でもスナックやラウンジなど飲み屋が多く並ぶ通り。

October 13, 2016

抗がん剤中止

抗がん剤TS-1の威力というか破壊力をまざまざと見せ付けられた。
前回のシスプラチンでは何ともなかったので今回も大丈夫だろうと油断していたというのもある。

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先月20日に抗がん剤治療をはじめてから、3日目ぐらいから副作用が出だした。
発熱、せき(空せき)、残尿感、寒気、食欲不振などで熱が37度と38度をいったりきたりでだんだん動けなくなる。しばらくして全身の発疹(皮疹)とそれに伴うかゆみ、口内炎、のどの不調、便秘、目の異常、などなど副作用がひどくなってきた。ショックだったのは色素沈着で顔が少し黒ずんでしまったこと(髪の毛は1クール目だったのか抜けなかった)。唯でさえ手術で口の中がごちゃごちゃしている上に口内炎で口の中全体が痛くて食べられなくなった。体重も4kg減少。まる2週間は全身倦怠感でベッドの上から動けず寝たままの状態になってしまった(T_T)。

一つでも異常がでたら病院に連絡するようには言われていたが、意地でも飲みきってやろうと頑張ってはみたものの、たったの2週間が残り2日を残してギブアップ、すごく悔しくはあったが最後は飲めなくなったのでどうしようもない。

このままこの薬を1年間続けたら副作用でボロボロの身体になって確実に死んでしまうのではと思った。

昨日病院に行ってきて診察。
血液検査と空せきが出ているのでレントゲンも撮ってもらったが、両方とも問題なかった。しかし、抗がん剤治療は一旦中断、様子見することになりました。発疹が出たらその薬は体質的に合わないので、医者としても続けることを薦めることはできないとのこと。今後については今出ている症状が直ってから、副作用が小さくてその分効き目が弱くなる別の抗がん剤の投与を試してみるのか、その辺のところは主治医と相談しながらよく考えて決めようと思っている。別の抗がん剤を投与するにしても、その抗がん剤にも合う合わないがあるので、副作用がでるかどうかもわからない。

手術と放射線治療では癌を根治させることができても、抗がん剤だけでは癌を治すことはできない。抗がん剤治療を行なっても、わずかな延命効果がある(生存期間が若干延びる)のと癌の再発確率が多少減少するぐらいか。私の舌癌の初期症状はアマチュア棋士天野貴元さんの症状にほぼ近い。彼も抗がん剤TS-1を服用していたがやはり再発して亡くなっている。将棋好きの私には彼の死はかなりショックな出来事であった。再発予防のための抗がん剤治療を続けるべきなのかどうか今はすごく悩んでいる。

梅澤充さんの「抗がん剤治療の正体」(ベスト新書 2016年10月)で著者が言われているように、「絶対に無理をしないとこ」「平穏な生を失わないこと」であろうか。

抗がん剤をやめて今はほぼ元の体調に戻ってきて元気にしています(^o^)

October 10, 2016

豪栄道優勝

地元・寝屋川市出身の豪栄道が秋場所(9月場所)で優勝したというので街の様子を見にいった。

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寝屋川市の広報誌にも時々登場します。
寝屋川市ふるさと大使もやっているのか。

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我が街・香里園の隣駅、寝屋川市駅を降りると改札の前に早速こんなのが立て掛けてあった。

地元出身の豪栄道が優勝したからといって私は別に応援しているわけではないので冷めた目でみていました。母なんかは寝屋川市出身ということで大相撲のテレビ中継のたびに大分熱をいれて応援しているみたいでした。子供の頃、三重県に住んでいた頃は三重ノ海のファンで新聞の切抜きのスクラップブックを作っていたぐらいなので大相撲に関心がないわけではない。ただ、最近は外国人力士の数が増え、それに伴い外国人力士の活躍・優勝が多くなって面白みがなくなったというのがある。豪栄道が全勝優勝したと聞いて「あの豪栄道が…。まさか!」という思いの方が強い。豪栄道と言えば8勝7敗もしくは7勝8敗の力士というイメージがある。大関角番の場所に8勝7敗で勝ち越してしまうというのは八百長ではなくても対戦する力士同士の間に阿吽の呼吸があるのではと疑わずにはいられない。最近は同じく寝屋川市出身で私と同じ関西学院大学の卒業生である宇良を一押しで応援しだしたのであるが、十両筆頭まで登りつめた9月場所は6勝9敗と残念ながら振るわず新入幕昇進は持ち越しとなった。宇良の取り口が相手に研究され出したのか、壁にぶち当たったのか…。追い込まれないと頑張れない豪栄道が宇良の活躍に刺激されて発奮したというのはあるかもしれない。

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駅前の寝屋川市立産業振興センター(にぎわい創造館)のビルには「優勝おめでとう!」の垂れ幕がかかっている。

豪栄道が優勝を決めた日の優勝インタビューで、これまでの怪我がちで思うような成績をあげられず辛かったことや、色々な辛抱してやってきた事を思い出し、涙ぐみながら言葉を選んで話す豪栄道の姿にちょっと感動してしまった。

しかし今場所豪栄道が優勝したからといって、まだまだ横綱になれるレベルではない。たとえ来場所も優勝したからと言って簡単に横綱に昇進させることはなく、三場所連続全勝優勝ぐらいに、横綱昇進の条件はきびしくして欲しいものである。第26代横綱の大錦以来、99年ぶりの大阪出身横綱を目指して欲しいが、短命の横綱には終って欲しくないから…。

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京阪寝屋川市駅北口から寝屋川市役所の方向に続くアドバンスロード商店街を歩いてみると、各商店の店舗前にはお祝いの貼紙が貼られていました。

大阪出身力士の優勝は1930年夏場所の山錦以来86年ぶりとのこと。その山錦が角界入りするにあたり慕ったのが同郷の横綱大錦卯一郎。細川卯一郎こと横綱大錦卯一郎の天王寺中学校(天王寺高等学校の前身校)時代の同級生に作家・宇野浩二がいる。宇野が何度も語る大錦の逸話はおもしろい。東京に出てきた宇野と大錦が久し振りに会い、二人とも飲めない酒を一晩飲み明かし、翌朝両国橋に近い濱町河岸を酩酊してもつれあいながら歩きいつしか眠ってしまったという。
 
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寝屋川市役所に到着。
市役所1階には豪栄道の等身大パネルやトロフィーなどが展示されている豪栄道のコーナーがあるが、豪栄道が優勝したから作ったものではなく前々から設置されているもののようです。

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「祝優勝大関豪栄道」の垂幕も新たに追加されている。

そうそう、オリンピック選手のパレードで思い出した。
私が寝屋川市立第六中学校に通っていた時、1年下に加納誠というフィギュアスケート選手がいて、中学二年生ながら国際大会含むフィギュアスケートの各種大会に出場。いつも全校生徒が集まる朝礼で表彰されていた記憶があるが、その時彼はいつも大会の遠征か早朝練習かでいなかった。香里園に住んでいたという加納誠は後に寝屋川の摂南大学に進学。1988年カルガリーオリンピック男子シングル日本代表になった。当時は男性フィギュアスケートの選手はあまり注目を集めない不遇の時代で、女子の伊藤みどりばかりが取り上げられていました。加納誠は、残念ながらイケメンではなく地味な感じだったこともあり、全日本選手権二連覇などそこそこ活躍しながら注目されないことに地元の人間としては歯がゆい思いをしたものです。

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寝屋川市役所に用があるときは、必ず私の母校・寝屋川高校の横を通ることになる。正門前の看板は、大分前から「真善美」に変わっている。「真善美」は寝屋川高校校歌の冒頭に出てくる文言で校訓でもある。

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香里園に戻り、かほりまちテラスの「一力餅」の店先には豪栄道の似顔絵が貼られています。「一力餅」ではただいま優勝セールを実施しています。

豪栄道関の優勝祝賀パレードが10月16日に寝屋川市で行われる。

※10月29日追記

2万千2人の人が駆けつけた豪栄道関の優勝祝賀パレードは10月16日に無事終りました。

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October 04, 2016

富山-これからのこと-

帰りはホテルのバスで泊駅まで送迎してもらい、あいの風とやま鉄道で富山駅まで向います。泊駅前寂しかった。

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富山には路面電車が走っている。
富山地方鉄道7000形電車 市内軌道線。

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富山市役所展望塔に登ってみる。
あいにくの曇り空で残念ながら立山連峰や富山湾、能登半島まではかすんで見えない。目の前(写真では右上の三角に尖っているビル)に大きなインテックビルが聳え立っている。大阪中津の豊崎にもインテックのビルがあるが、さすが富山が本社の会社である。

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歩いて富山城跡公園に到着。
櫓を模した建物の富山市佐藤記念美術館。

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前田正甫公銅像。

富山藩2代目藩主の銅像。元禄3年(1690)、江戸城中で突然の腹痛に苦しむ三浦藩主を正甫が持参の反魂丹(胃腸薬)で救った。これが評判となり、各藩に請われて行商をしたのが越中売薬の始まりだという。

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富山市郷土博物館(模擬天守)。

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総栄通り。総曲輪通りの一本北側の通り。

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総曲輪通り。富山で一番賑やかな繁華街と聞いていたが、ちょっと拍子抜け。

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池田屋安兵衛商店。
富山の薬といえば反塊丹が有名。
覗いてみたがべら棒に高いので買うのはやめた。

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金沢からサイダーバードで帰途に着く。

富山から京都・大阪まで直行の列車がなくなり富山から金沢まで新幹線で戻らないといけないのが不便である。東京からだと便利になったでしょうが、乗り換えが回数が1回増え、それもあの距離を在来線ではなく新幹線に強制的に乗らなければならないというのは何だか納得がいかない。

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8月の診察時に主治医から抗がん剤の追加治療の話しがでて、最終的には本人が決めることなので次回の診察時までによく考えておくようにいわれていた。2014年の手術の後に受けた追加の治療(化学療法)は、放射線が1日1回2グレイが33回で66グレイを約7週間照射。抗癌剤は、シスプラチン(扁平上皮癌に一番よく効く)を 3回(1/9,1/30,2/20)に分けて点滴。放射線は治療は基本一生に一回なので、自分にはもうこれ以上出来ない。よく考えて抗がん剤治療をやってみることに決めた。なので今回の旅行は副作用がなく元気な状態で行ける最後の旅行になるかもとという気持ちもあった。私の場合は癌は手術で根治している。あくまでも癌の再発を予防する目的で行う治療である。絶対に抗がん剤治療を受けなければいけないというのはない。しかし何もせずにまた再発して予後1年ですと言われるよりかは、苦しいかもしれないけどやれることはやっておこうと。それにある本で読んだ医者の先生の後押しもあったので…。今回の治療ではTS-1(テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)という経口の抗がん剤を1年間服用する。1年間毎日錠剤の薬を2週間飲んで、1週間休むというサイクルを続ける。

旅行から帰った9月20日より治療を始めたのであるが、4日目に早速副作用らしきものがあらわれた。せき、発熱、残尿感、寒気、…熱は38度以上で三日間ほどベッドから動けなくなった。ブログの続きを書いてしまいたかったのでだが、その気力すら出てこない。小林麻央さんもブログを続けておられるが、元気でなければブログは書けないものであることを身をもって経験してしまった。せき、発熱は両親にもうつったのでただの風邪だったのかよくわからない。抗がん剤で白血球が減少すると、抵抗力が低下して、感染症にかかりやすくなるので、感染症をひきおこしたことは考えられる。その後に出てきたのが全身の発疹である。耐えられないぐらいかゆい。1クール目の途中にしてこの状態である。これが1年も続くと身体が壊れてしまうのではという恐怖心がわいてきた。主治医の先生とよく相談しながら進めることとしよう。

書籍を参考に食事療法をずっと実践。少しずつ変えていっている。結局本に書かれてある、食事療法や食養法はお金持ちの発想で、本の通り完璧にやろうと思ったら金持ちしかできないのではないか。今スーパーに行ってもは野菜も果物をびっくりするくらい高い。それを国産で有機で生産者にこだわって厳選されたものを選ぶなんてことは大変。それに白米、パン、うどん、そばをやめて全て変えるも難しい。書籍を参考にしていてもプチ食事療法でしかない。おまけに複数の本を読むとある人とある人の言っていることが間逆だったりするのでどっちのいうことを信じていいのかとまどってしまう。結局は本はあくまでも参考にして自分なりの一番いいと思う食事療法を作り上げていくしかないのではと思っている。

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