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February 2017

February 26, 2017

2月ももう終わり

年が明けたと思っていたら、もうすぐ2月も終わり。
時間が過ぎるのが年々速くなっていくような気がする。

2月19日 確定申告

日曜日も開庁とのことで枚方税務署。
朝一を狙って行ったので提出の方は5・6人ほどしか並んでおらずラッキー。
相談の方は道路まではみ出るぐらいの大行列。
3年連続で医療費が高額になった。29年度は何とか減らしたい。

2月22日 大阪府立成人病センター

診察。喉頭ファイバースコピー検査で見てもらい特に問題なし。
先月の検査とあわせて現時点ではどこも怪しいところはない。
来月からは本格的に活動再開としよう。

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この日の診察で森ノ宮の大阪府立成人病センター行きは最後であった(3月27日に新築移転)。次回診察の4月からは、大手前の大阪国際がんセンターに行くことになる。最後ということで感慨深いものもあり写真を一枚撮っておく。左手はPET検査を受ける森之宮クリニック。落ち込んでは大阪城公園をとぼとぼと京橋まで歩いて帰ったり、副作用に苦しみながら放射線治療に毎日通ったり、と色々思い出す。もりのみやキューズモールにも良く寄ったなぁ。

この日鈴木清順さん訃報あり。

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愛読の『鈴木清順全映画』(上野昂志・編 1986年 立風書房)。
表紙にだいぶヤケが出てきた。
代表作は「ツィゴイネルワイゼン」。内田百閒、門付け、鎌倉の切り通し、ちぎりコンニャク、水蜜桃とか不思議な映像世界が好きだった。この映画の影響で釈迦堂切通しを何度も歩いたっけ(笑)。「峠を渡る若い風」もう一度見てみたい。解雇理由になった「わけのわからない映画」というのが鈴木清順の真骨頂なんですよね。

女装秘密結社「富貴クラブ」の会員だった小池美喜さん(筆名:成子素人)の手記を「続々・たそがれ日記」にて読む。「富貴クラブ」の実像を知ることのできる貴重な資料で興味深く読んだ。私は女装というものを一度もしたことがないが、やってみると意外と嵌ってしまうものなのかなぁ・・・。怖くてできない(汗)。

そういえば最近カルーセル麻紀さんテレビで見かけないなあと思いブログを見てみると、「バラいろダンディ」という番組出ている。そのカルーセル麻紀さんで思い出すのは、故やしきたかじんさんと一緒に司会をやっていたテレビ大阪の深夜番組「今夜はうしみつ族」(1984年7月~12月)。お色気番組は過去に色々あったけど、私の記憶する限り史上最強のエロ番組でした。女の子の裸のオンパレードでストリップまがいの中継もあってはちゃめちゃだった。私の浪人生活が長くなったのもこの番組のおかげかも(笑)。この番組に対してPTAからのクレームがあったようですが、あのころはインターネットもなかったし、批判がそれほど表にでることがなく、社会も寛容であったのかなあと…。

3月4日(土)深夜(24:50~28:50)に放送される「開局35周年 それ、テレビ大阪やろ。春祭り(よる)」の「発掘せよ!!テレビ大阪歴代深夜バラエティー」である意味放送史に名前を残した伝説の番組「カルーセル麻紀の今夜はうしみつ族」が取り上げられるらしい。録画しておこう。

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読んだ本より

那須烏山出身の作家・杉山幸一の「文壇底流記」の中に、同郷で文学の先輩にあたる河原萬吉が烏山から上京してきた東京で「文壇酒店」を開店するというくだりが出てくる。その文壇酒店の番頭になった杉山が菊池寛やサトウハチローといった文壇の名士の家を酒を持って営業に訪れるところがおもしろい。
その河原萬吉なる人物が気になり1冊だけ購入してみた。

『小説 蛇姫様 考証』(河原萬吉 昭和30年 行人社書店 鳥山文庫第二集)

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著者は河原萬吉であるが、表紙に烏山郷土研究会編とある。発行所は行人社書店。印刷所の行人社印刷所(那須烏山市中央1丁目13-2)もGoogleマップで確認すると建物が残っている。この本は71ページの袖珍本であるが、さっき読んだページが何度も出てくるというとんでもない乱丁でした。昭和53年に行人社書店から『蛇姫様と考證』(烏山文庫第一集)として出されているが再版であろうか。ゆまに書房『稀本・艶本・珍本解題 全4巻』(2008年 書誌書目シリーズ86)の紹介ページに掲載されている著者略歴には没年不詳とあるが、この本を出した昭和30年には存命であったことは確か。

内容は那須烏山市に伝わる民話「蛇姫様(へびひめさま)」を考証したもの。烏山を有名にしたものの一つが、川口松太郎の小説「蛇姫様」の出現と映画化。川口松太郎は青年時代のある時期に栃木県芳賀郡に住み、祖母井郵便局に勤務していた時、そこの小使いの老人から烏山地方の伝説や実際にあった出来事(烏山藩のお家騒動などの史実)を聞かされていた。その中の姫の伝説やお家騒動の話からヒントを与えられて「蛇姫様」の構想を得たが、蛇姫様のモデルと見ることのできるような女性は存在しなかったと筆者は説く(白蛇に護られていた薄幸な姫が、決定的なヒントを与えた女性だろうとのこと)。烏山藩のお家騒動のことが詳しく語られているのは、「烏山町史」のうちの明治以前の部の調査執筆を依頼されていたという筆者ならではの知見が反映されている。

February 16, 2017

色里奇譚Ⅱ-島原-

2月12日(日)、企画展「色里奇譚Ⅱ -絵葉書にみる島原-」を見に島原の「きんせ旅館」に行ってきました。
京都駅で山陰本線(嵯峨野線)のホームに着くと、発車直前の電車がいたので飛び乗ったら二条駅まで止まらなかった?( ̄□ ̄;) 1駅逆戻りして無事丹波口駅に到着。
きんせ旅館を訪れるのは3回目。
1回目は2010年、2回目は2014年なので3年ぶりか…。
入口でポストカードもらいました。
左上角が伝説の松本楼の勇姿。左下角は青木楼の前ですね。

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何回か来ているので駅から「きんせ旅館」には迷わず到着。
丸い看板にはカフェ・バーと書かれています。
昭和30年の『全国女性ガイド』(渡辺寛 季節風書店)や昭和29年の『旅行の手帖 臨時増刊 №12 京阪神見物から各都市の遊び場まで』(自由国民社)によると、揚屋は角屋、輪違屋、青木楼の三軒で、貸席としては金清、本滝野、曙、松葉、東滝野、南滝野、北滝野などがあげられている。となると「きんせ旅館」の前身「金清」は、もとは「揚屋」として作られたのが、貸座敷または貸席として利用され、時代を経て旅館からカフェ兼旅館へと変遷していったのであろうか。そもそも揚屋と貸席(またはお茶屋)の違いがよくわからないのであるが、揚屋は自前で料理を作っていたのに対して、貸席やお茶屋は料理は作らず、仕出し屋などから取り寄せていたということなのか。まぁ、揚屋も貸席もお茶屋もたいした違いはない。輪違屋は置屋兼お茶屋。

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中に入るといつもながら美しいステンドグラス。
青山均さんがいらっしゃった。青山均さんと遊廓研究版による展示。島原遊廓の絵葉書を興味深く拝見。あの絵葉書は太夫に派手な色をつけない方がいいと思うんですけどね。
どういうわけか女性のお客さん多く大盛況。休日はカフェ利用のお客さんが多いだけなのか、最近は遊廓に興味のある女性の方が多いと聞くし、よくわからないのであるが、賑やかなので私も何の気兼ねもなく絵葉書や写真を見て回ることが出来た。

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きんせ旅館をあとにしてちょっくら島原界隈を散策。

西新屋敷中堂寺町。北の端に「松ちゃん」。

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木村聡さんの「赤線跡を歩く2」(2002年 自由国民社)にも紹介されていたお茶屋「青木楼」跡。左隣のコーヒーショップ「アオキ」はまだ営業しているのかなぁ…。

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旧「青木楼」の向かい側が「京だんらん嶋原」。
この建物は元貸座敷で鳥料理屋「鳥清」だったのが今はシェアハウスとして利用されています。最近は空家となって使われなくなった京都の町家や古民家をリノベーションによって再生させたという事例が結構あるようです。知らなかった(´∀`)

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西澤邸。
旧歌舞練場南隣。花街島原に残る数少ない揚屋建築。
格子の繊細な意匠にその面影が残っている。平成19年度「京町家まちづくりファンド」改修助成モデル事業選定。平成24年度歴史的風致形成建造物指定。
西澤邸は3月4日(土)に見学できるみたいです(itonowa・ギャラリーたんとん・ギャラリーのざわと併せて4会場)。

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ギャラリーたんとん。
揚屋建築。お茶屋「松葉」の建物を改造して再生させたギャラリー。

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カフェ「Hygge(ヒュッゲ)」は、元は貸座敷として使われていた町家がリノベーションされたお店のようです。

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欄干マニア集合\(^^)/

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欄干マニア集合。その二\(^^)/

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丸窓マニア集合\(^^)/
松柄ですね。
ここから少し離れた上之町の田中伝統工芸(有)の丸窓にもうっとり。

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タイル貼りマニア集合\(^^)/
格子窓のガラスのところにステンドグラスが透けて見えていて以前から気になっているお家です。

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歌舞練場跡記念碑

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歌舞練場跡記念碑
島原歌舞練場は、明治六年(一八七三)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同十四年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その後景気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果していた。しかし、当初の歌舞練場は、狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であったため、昭和二年(一九二七)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築された。それ以来、この新歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催された。戦後の同二十二年以後は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成八年(一九九六)同組合の解散に伴い、歌舞練場を解体し、歌舞練場百二十余年の歴史を閉じることとなった。
また天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この大榎には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。約二百年の樹齢を誇るがごとく、樹高は十五米、幹周りも二米となり、今なお神木としての威厳を留めている。
ここに、記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するもの
である。
   平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会
宝暦の むかしの夢は見は見つれ 夜半の投節 聴くよしもなし
吉井勇(歌人 一八八六~一九六〇)
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平成8年に解体された歌舞練場は「赤線跡を歩く 完結編」(2007年 自由国民社)に掲載された青山均さん撮影の写真で当時の様子をうかがい知ることができる。

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輪違屋(わちがいや)。
島原に現存する唯一の置屋。
中に入ろうと思ったら特別公開の時を狙うしかない。

「角屋」が現在特別公開中(第51回京の冬の旅特別公開、3月14日まで)でした。
近松秋江を思い出し入ってみたかったが、連れなしで一人で入るのは寂しい。次回の楽しみにとっておこう!

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京都の町ではこの「仁丹」マークの町名看板をよく見かける。
この看板、古い家が建て替えられるごとに徐々に消滅・減少していく運命にあるので、2010年には森下仁丹株式会社による「京都町名琺瑯看板プロジェクト」が立ち上がり、新しい看板を復活させて京都の町中に随時設置されていっているという。しかし、古い仁丹看板は古物商で高値で取引されることもあってか、二年程前には盗まれる被害も続出していたとか。

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島原大門の左わきに竹が何本か植えられているところを何気無く覗き込むと木柱に何か書いてあった。上と下がよく見えないが、「不夜庵 炭太祇この地上ノ町に住む」と読める。

ウィキペディアなどによると、炭太祇(たんたいぎ、1709年-1771年)は、江戸時代中期の俳人。宝暦4年(1754年)、京都島原の遊郭内に不夜庵を結ぶ。与謝蕪村と親密に交流した晩年6年間は俳諧三昧の生活を送った。また、花街島原の女性たちに俳諧や手習いの教授を行っていた。与謝蕪村と炭太祇の島原での活躍は、島原俳壇と呼ばれている。

  傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな

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細い路地に迷い込む。

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京都ではお茶屋や料理屋の鑑札を良く見かけるが、カフェーの鑑札もあった。

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1周30分もかからない島原散策。新たな発見が色々あった。

街は変わってゆくもの、そして変えていくもの。

February 13, 2017

淡路島・洲本

2月6日の第51回スーパーボウルは素晴らしゲームだった。ペイトリオッツのQBトム・ブレイディはイケメンですね。トム・ブレイディがベン・ハー主演のチャールトン・ヘストンに似ているような気がするのは私だけか…。

8日、病院にこの前の大腸内視鏡検査の結果を聞きに行き、5つ出来ていた大腸ポリープは良性との結果にまずは一安心。

9日から一泊で母の誕生日祝いを兼ねて淡路島の方へ行って来ました。
大阪駅のJR高速バスターミナルから淡路島まで高速バス。久し振りのバスの旅。バス乗車中はあいにくの雨降りであったが、洲本高速バスセンターに着くころには雨も止む。淡路ごちそう館御食国(みけつくに)で昼食後、淡路島の城下町・洲本の街を散策。

「洲本レトロこみち」を歩く。

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手芸倶楽部栄

二階部分が分かれている変わった構造のお家。
中に入るとこの店のおばあさんが出てこられ色々お話をうかがう。手作りのかわいい小物がいっぱい置いてある。あと着物類もかけてあった。こちらのお店は趣味でやっていて、住まいは別にあるとのこと。手作りの小物があまりに可愛いので、手芸品を一つ購入。

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淡路島唯一の映画館「洲本オリオン」
地元の方からイベントの時とか今でも不定期で上映されているとお聞きしました。

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立て看板が映画館の脇に立てかけてある。

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高田電気

レトロ感満載のお店が並ぶというレトロこみち。行った日が悪かったのか、開いている店がほとんどなかった。中には廃業している店もちらほらある。

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「洲本レトロこみち」の突き当たりに旅館風月の看板が・・・。

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風月旅館の御宿泊の案内を見ると「A二食付 B朝食付 素泊 御休憩 \1800」となっている。

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厳島神社の参道、弁天銀座。
この少し先に「新開地」と呼ばれる洲本一の歓楽街がある。なお、洲本には弁天新開地とは別に海岸通(旧・漁師町)に遊廓があった。また、昭和29年の『実話雑誌』には兵庫県の青線として淡路島が次のように記されている。

「特ダネは最近の離れ小島、通う千鳥や恋の辻占の淡路島です。港につくと六カ所の船着場の女は汽笛の音で迎えにきてくれます。洲本に二百人、その他五箇所で千三百人。まるで青線の女でういているような極楽島です。それがお泊りで飯つきの千円です。」(『実話雑誌』 特別増刊3月号 昭和29年3月 全国青線地区案内)

新開地や旅館風月を見た後だと妄想してしまうが、「まるで青線の女でういているような極楽島です。」とか、本当なのだろうか??

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新開地の出口にもスナックが。

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左海屋醤油醸造本店

説明板を読んでみる。
「江戸時代の商家
古い商家の面影をとどめる左海屋は、万治元年(1658)に創業。代々酒、しょうゆうの醸造を家業としてきたが、藩政時代は蜂須賀藩の御用商人として繁栄した。
 当家の初代堺屋吉左衛門(1617-1660)の父は、もと泉州堺の豪商であったが、当時、堺は戦乱のため居を洲本に求め、以後ここに移り住むこととなった。
 重厚な家の造りのなかに、城下町と共に栄えた商家の昔をしのぶことができる。」

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海老商店

この店は昔から変わっていなさそう。

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洲本市民広場。

冬咲きチューリップショーが開催中でした。
淡路島で冬の花めぐり。帰りに淡路夢舞台にも寄ったが百段苑にはほとんど花が咲いていなかった(;ω;)
後方にレトロな赤レンガ造りの建物が見える。おしゃれな洲本アルチザンスクエア。かつてこの地に日本有数の綿紡織の工場があった。それは近代化産業遺産のひとつ鐘淵紡績(現カネボウ)洲本工場である。

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「洲本温泉 ホテルニューアワジ別亭 淡路夢泉景」でゆったり贅沢な島泊り。
海と隣り合わせの絶景の露天風呂を満喫。
夕食には淡路島の名産品タマネギが出る。淡路タマネギの違いまではわからない(>ω<)

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帰りは洲本から島内路線バスを利用。
淡路夢舞台、明石海峡大橋を経由して帰りました。
和田浩治主演の日活映画『くたばれ愚連隊』(1960年)で淡路鉄道(淡路交通)の電車が走っているのを見たことがある。淡路島にも鉄道があったんですよね。

February 07, 2017

2月のあしあと

先月1月30日は初めての大腸内視鏡検査を経験。
朝9時に準備室に7名程集まってから一斉にスタート。大量の2リットルの下剤とその半分の水を時間をかけて飲んでいって便を出し腸の中が綺麗になった人から検査を受けられる。便が出るたびに看護師に見せるのであるが、濁っていたりするとアウト。OKが出た人から次々と検査に呼ばれていき、人がだんだん少なくなっていく。私は苦戦して焦る。11時20分ぐらいにOKが出てようやく検査開始。カメラをお尻から入れて腸の中をぐりぐりされるのは、ちょっと気持ち悪いぐらいで胃カメラほどのしんどさはなかった。それよりも検査前の下剤と水を大量に飲んでは便を出して腸の中を綺麗に洗い流していく作業の方がしんどかった。前日に飲むように指示されていた下剤で、前日のうちに大量に出ていたので大丈夫だろうと甘く見ていた。検査時に小さなポリープが5つ見つかって、調べるため組織をとってもらった(生検)。5つも出来ていたのは歳の割には多くできていると言われた。調べてみないとわからないのであるが、良性であろうとのこと。5のうちの一つが大きくてほおっておくと癌化するので取った方が良いらしい(いますぐにどうこういうのではないが、5年後10年後に癌化する可能性がある)。先生が言うにはどうも私の皮膚の粘膜は癌が出来やすい体質とのことである。ほおっておくのも気持ち悪いので、次回の診察の時に先生と話をして内視鏡によるポリープ切除をいつするか決める予定である。

本の方は最近あまり読めていない。
家の本棚に空きスペースがないこともあってこれ以上蔵書を増やさないようにと本を買いたいという欲求を押し殺し、まだ読めていない本を読んでいくよう心がけている。

最近読んだ本より

『虞美人草』(夏目漱石 1996年 岩波文庫)
『彼岸過迄』(夏目漱石 1996年 岩波文庫)

昨年漱石の没後100年を迎えたのを機に読んでいない夏目漱石の文庫本を読み始めた。まだ二冊。夏目漱石の偉大さをあらためて認識する。

カストリ出版さんから購入していた本をまとめ読み。

『温泉・女・風土記』(渡辺寛 復刻版 2015年 カストリ出版)

『温泉・女・風土記』は原本を読んでいたが、復刻版で再読。

『陸軍と性病』(藤田昌雄 2015年 えにし書房)
『色街調査紀行 秋田県の遊廓跡を歩く』(文・小松和彦 写真・渡辺豪 2016年10月 カストリ出版)

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秋田県の現地までは行けないので、本書を読みながらGoogleマップのストリートビューで現地を確認するのが家にいながら遊廓をめぐる旅をした気分になり楽しい。

五城目の料理店・松鯉(笑里)の娘、けい子さんとの偶然の出会いの話は感動的である。けい子さんが50年間胸の中にしまい込んできて話したくても誰にも話すことの出来なかった想いや言葉が昔話として50年目にして彼女の口からほとばしり出る。半年後けい子さんを訪ねたときは認知症が進んでいた状態であったという。けい子さんがその人生においてどうしてもやっておきたかった事をやりはたし、心残りもなくなってしまったことが、呆けの進行につながったのではないか考えると悲しい。
小松さんと渡辺さんにとっては思い入れが強く“子”のように愛おしい本書は、この本を手に取った読者にとっても愛おしい本になる。
松鯉の娼妓で裏表紙になっている絶世の美女・カツヤのブロマイド欲しい(^_^;)

『忘れられた郷土史 烏山旭遊廓』(大森茂宏 2007年)

旧烏山町で那南タイムスを発行していた杉山幸一に関心があり、一度烏山にも行ってみたいと思っていただけに興味深く読んだ。巻末の引用文献に杉山幸一「那南タイムス」記事があげられており、本文中に著者である澤村儔が那南タイムス主幹の杉山幸一からもらったという登楼者名簿の残欠について紹介されている。杉山幸一がこれをどのようにして手に入れたかは不明であるが、1903年に栃木県烏山町で生まれた杉山幸一は、烏山旭遊廓について『恋愛無宿 ある旬刊新聞記者の25年』(昭46年 那南タイムス社 )のあとがきで次のように述べている。「私は十四才まで生まれ故郷の烏山にいた。烏山には当時遊廓があつて、新地として賑わつていた。五軒の女郎屋に計百人前後の女がいたことも知つている。しかし高等科一年で、金もない私は烏山遊廓での洗礼は受けなかった。」
Googleマップのストリートビュー(2014年8月)で旭遊廓があった場所を見てみると、駐車場や更地が多く痕跡は残っていなさそう。赤線時代の建物でも残っているのではと思ったが、本書によると昭和7年に最後の一軒が廃業し烏山旭遊廓はその姿を消し去ったとのことであった。

『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC 2016年6月 実業之日本社)

貴重な写真や地図が多く掲載されていて読んでいて楽しかった。
この本の大阪版を誰か出してくれないだろうか。

カストリ出版限定の豆本「闇市と青線」(藤木TDC 2016年11月 カストリ出版)が付いていた。この豆本に掲載されている「新宿の赤線・青線」の図はよく見る地図である。豆本の引用は、福富太郎著『わが青春の「盛り場」物語』(河出書房新社 1995年)となっている。この地図の元ネタは多分『東京都の婦人保護-売春防止法全面施行15周年記念-』(東京都民生局婦人部福祉課 1973年)記載の地図であろう。しかし、元ネタとは字体や青線の塗りつぶし箇所など微妙に異なる。東京都民生局の地図は「かなり大まかなもので、あまり当てにならない。」(『性欲の研究 東京のエロ地理編』井上章一・三橋 順子[編] 平凡社 2015年3月)ものであったので、福富太郎がカスタマイズしたのであろうか。気になって福富太郎著『わが青春の「盛り場」物語』を図書館で確認してみた。該当の地図は新宿の章に『東京風物名物誌』(岩道景爾 1951年 東京シリーズ刊行会)から抜粋した昭和26年ごろの新宿の地図(店名・広告入り)が掲載されていて、その右下に挿入されている。今度は元の『東京風物名物誌』がどうなっていたんだろうと気になってきたが未確認。『東京都の婦人保護』の赤線・青線分布図からは、「千鳥街」と現在の新宿一丁目17・18・22~26番地に相当するブロックが青線として追加されている。なお福富太郎は、新宿の青線として千鳥街、新宿ゴールデン街、歌舞伎町とその周辺、旭町など何ヶ所あったと述べている。

『一つの花 評伝今西祐行』(関口安義 2004年 教育出版)
『キューポラのある街 評伝早船ちよ』(関口安義 2006年11月 新日本出版)

関口安義の評伝もの、これで全て読み終えた。
あまり関心のない作家だとやはりつらい。
小谷野敦さんのブログを読んでいたら驚いた。関口安義を間にはさんで小谷野敦と森本穫はややこしいことになっていたんですね。

『随筆集 一小説書きの独語』(西村賢太 2016年11月 角川文庫)

随筆集はいつもの通りごった煮感満載である。西村賢太がこうやって定期的に文庫本や単行本が出せているといのは、マンネリに陥りがちな地味な私小説作家であることを考えると凄いことだと思う。

集中に上原善広『日本の路地を旅する』(平成24年6月 文春文庫)の解説文が掲載されている。かつて作家の中上健次が被差別部落を「路地」と呼んだ。確かに西村賢太は風貌が中上健次に似ている。この本を読んだ後たまたまNHKで放送されたETV特集「路地の声 父の声~中上健次を探して~」(2016/11/26放送)を見た。生誕70年を迎えた作家・中上健次の36年前の肉声が録音されたカセットテープが発見され、そのテープには中上の故郷、和歌山県新宮市の「路地(被差別部落)」に住む5人の老婆たちへの聞き取りが録音されていた。父親が博打だったために12歳ぐらいで紡績に行き、伊勢の色街(遊郭)に売られ、14歳の時に父親のわからない子供ができて、奉公先から帰ってきたと話す女性。中上がお腹大きなって帰ってきたことに親も最初はびっくりしたやろうね、と聞かれたのに対して、女性が「びっくりしたってしょうないわい。わがお金欲しいさかいそんな色街みたいなとこに奉公に出したんやから」と答えるところにぐっと来るものがあった。

中上健次の家と溝1つへだてた処に住んでいた女性の話では、中上が部落の街が壊され改良されていくことについて聞くと、「時の時節しょうないわと思ってな。時にまかせなしょうないわ。いつまでも古い頭用いたらあかんで。年寄りやさかいうたって、やっぱこの時勢についていかな。そう思わな仕方あるかよ。わしゃ、くよくよせん性や。きょうび昔のこと言うの大間違いやろ。その古いこと捨てていかんことには、これからようなっていかん。古いこといつまでもほじくり出してたら絶対ようならんど。昔のこと言うなよ。50年も70年も昔のこと、ほじくり出したらろくなことは出てこんぞ。」と語る。すごくまっとうなことを言っていて思わず頷いてしまう。自分への戒めとしよう。

『武器なき世界の実現を -報復でなく、いのちの連鎖へ-』(松浦悟郎・他 2002年 女子パウロ会)
『平和をつなぐ 私、そして私たちの選び』(松浦悟郎 2015年 ドン・ボスコ社)

松浦悟郎司教の本を二冊読む。
松浦悟郎司教は、大阪教区補佐司教から2015年には名古屋教区司教になられている。私が松浦司教にお世話になったのはカトリック香里教会に新任司祭として赴任された1981年頃のことで、レジオマリエの活動を通してでした。当時カトリック香里教会では婦人中心のレジオマリエに対して高校生中心のジュニアレジオの活動がまだあった。神父様の指導のもと一定の志願期間を経てジュニアレジオの会員に松浦神父様から任命された時は嬉しかった。日曜日のミサの前に集会があって、ロザリオの祈りや分かち合いなどの活動があるのだが、参加者の集まりが悪く、私一人で松浦神父様と一対一になることが多く、そんな時でも嫌な顔もせずロザリオの祈りの後に優しくお話しして下さったことを懐かしく思い出す。

本書から印象に残ったところを紹介。

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 先日、新聞の切り抜きで「ちょっといい話」という記事を見せてもらいました。ちょっとどころか、最高の話でした。つぎのような内容です。「公園で、一人の幼い子どもが転び急に泣きだしました。そこへ四つくらいの女の子が走り寄りました。こんなとき、みなさんならどうしますか。助け起こすか、励ますか……。ところが、その女の子は、倒れた子のそばまで行くと自分も倒れたのです。そして、倒れている子を見てにっこりと笑いました。倒れていた子もそれを見て泣きやみ、そして笑いました。その女の子は『立とうね』と言いました。『うん。』二人は一緒に立ち上がりました。これは命令でもなければ、激励でもありません。相手との共感であり、共通の場に生きることです。わたしはそのとき、神か仏がその女の子に宿ったのかと思いました。」
 倒れた子は、むりやりでなく、仕方なしでもなく、自分の意志で起き上がりました。きっと、駆け寄ってきた女の子のともに生きようとする心に触れたからにちがいありません。
 ともに生きる心とは、相手の痛みを共感することであり、また友として一緒に歩みたいと真に望むことでもありましょう。人がこの心に突き動かされて、見える行為に及んだとき、たとえそれが理解しがたい行為、愚かと思える行為であっても、人を動かし生かす力となるのです。(『武器なき世界の実現を -報復でなく、いのちの連鎖へ-』 ともに生きる)

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教育テレビの討論番組で、病気の弟を持つ一人の少女が、泣きながら自分の家庭や弟のことを話すなかで、弟からいのちの尊さを教わったという話のあとに、次のようなことを言った。

「もし、今人生の意味がわからないという人がいたら、わたしには何かできるかって考えたのです。そんなとき、わたしはその人を精いっぱい愛したいと思うのです」と。十六、七歳の少女からこんな答えが出てくるとは思いもかけませんでした。もしだれかから同じ問い、「人生の意味がわからない」と言われたら、わたしたちはいったいどう答えたでしょうか。「こうだよ」などとは言わないにしても、なんとかその人が見つけられるようなヒントを出そうとしたことでしょう。しかし、彼女のように「その人を愛そう。それが、生きる意味を探しているその人のためにわたしができることだから」という思いにはいたらなかったのではないでしょうか。(『武器なき世界の実現を -報復でなく、いのちの連鎖へ-』 存在こそが愛おしい)

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 どんな宗教を信じても人生のなかで苦しみや障害、あるいは失敗がなくなるわけではありません。にもかかわらず、苦しみや痛みをなくすことだけを求めてしまうために、人間に与えられたいのちの神秘とそれに深くかかわる神のわざの可能性を自ら狭めてしまっているかもしれません。もちろん、苦しみのただなかにあるときにはだれもがそれを取り去ってくださいと祈るばかりですが、人間の苦しみに無関心でいられない神がともにいるのですから、必ず自分の思いを超えた可能性が与えられると信じることは、「神のわざ」に開かれた生き方と言えるのではないでしょうか。(『武器なき世界の実現を -報復でなく、いのちの連鎖へ-』 こころに留めておく)

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(1)意図的につくられる“ぼんやり”
 「この国は何かぼんやりしたものでどこかに導かれている」、これは2005年、大江健三郎さんがある集会で語った言葉で、その集会に参加していた私は印象深く覚えています。今、改めて考えると、これが単なる「ぼんやり」ではなく、その背後に、明確な意図をもった力が働いていて国民を「意図的にぼんやりさせている」としたら、これは大変なことです。
 最近の政府側から繰り返し出てくる言葉、説明表現は、国民にイメージだけを残し、多くの人が「何となく不安」になったり、納得したような気持ちにさせられたりしています。日本語学者の金田一秀穂さんはそのことを次のように表現しています。

 (安倍晋三さんは)言葉で人を説得しよう、動かそうという気がないみたいにみえる。……安倍さんは、言葉は「飾り」のようなもので、行為は別にやればいいと思っているんじゃないか。政治家は、言葉それ自体が行為だと自覚しなければいけません。……「国民を守る」、「日本を取り戻す」、と言っておけば文句が出ない。集団的自衛権も「おじいさんやおばあさん、子どもたちが乗る米国の船を守ることができない」といった薄っぺらな言葉で語られる。つるつるした言葉しか使わないから非難されにくい。政治だけでなく、社会全体が耳に快い言葉しか受け付けなくなってしまった。(朝日新聞、2014年9月4日)

 今一度、安倍晋三首相や政府関係者から出てくる説明が本当なのだろうかと検証する必要があるでしょう。(『平和をつなぐ 私、そして私たちの選び』 1.“ぼんやり”で導かれる日本)

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明日は診察。検査結果が気になる。

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