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April 2017

April 30, 2017

われわれの運命

風邪ひきから体調がすぐれない状態が続き、もっぱら家に引き篭もり。
ひたすら勉強。
ちょっと体調が悪いとまた再発しているのかなあと不安がつのる。
後鼻漏の症状がまた出てきたのでチクナインという蓄膿症の薬を続けて飲んでみた。
症状が少し落着いたようである。

色々悩んだ。病気になってもう普通に働けないのかなあって。
自分のプライドもあった。自分の過去とプライドは捨て去らないといけない、と決心。

4月23日(日)
枚方のビオルネ前で開催されたパンマルシェvol.2に行ってパンを物色。
今回は12店舗が参加。長尾から来ているという「ベーカリーファースト」には人だかりができていた。どの店も飛ぶように売れていて大賑わい。
パンを購入後何度かランチに利用していた枚方市駅前の「すあん」というお店に寄ったら3月31日で閉店の貼紙が貼ってありショック。1280円というお手頃な値段の「おばんざいバイキング」がよかったんですけどね。かわりに枚方T-SITEにある「農場ものがたりレストラン モクモク」のバイキングにする。三重県伊賀のモクモク手づくりファームの直営農場レストランというだけあって、ものがいいし品数も豊富(その分「すあん」のバイキングより高いが…)。枚方に来たら今度から昼食はここにしよう。

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4月24日(月)
BS12 トゥエルビで「キューポラのある街」(昭和37年 日活)見る。
「BS12 トゥエルビ」というチャンネルがあることすら知らなかった。
北朝鮮との関係が緊迫している中での放送。差別的な会話で音が消されている部分もあった。映画で描かれている北朝鮮帰国運動も今の北朝鮮の現状を見ると批判されてしかるべきだが、北朝鮮が違う方向に進んでいて本当に「地上の楽園(ユートピア)」が実現していたとしたら、この映画の評価も変わっていたのだろうなあと。
映画を見た後『キューポラのある街 評伝早船ちよ』(関口安義 2006年11月 新日本出版)を読み直す。

4月25日(火)
NHKのニュースウォッチ9で尾崎豊の幻の音源が見つかったとの特集「没後25年 尾崎豊 知られざる“素顔”」をやっていた。
私と同い年の尾崎豊が亡くなってから25年目の命日か。
25年前の尾崎が死んだというニューユが流れた日の朝のことを思い出す。

番組中、有馬嘉男というキャスターがえらい熱く語るなあと思ったら彼も1965年生れで同い年とのこと。YouTubeで私の好きな「ロザーナ」を久し振りに聞いていると、THE YELLOW MONKEYが最近新曲「ロザーナ」を出しているのを知った。吉井和哉も同世代で一つ年下。

4月13日に放送された「SONGS「尾崎裕哉~父の影 息子の光」」では息子の尾崎裕哉が歌う「27」を聞いた。いい曲ではあるのだけれども父とは何か違う。「靭公園 MUSIC FESTA」(2015年10月3日)で歌った際の「シェリー」のカバーは良かったのだが、オリジナル曲になると彼の生まれ育った環境が見え透いてくるためかインパクトが弱く感じてしまう。

本棚の尾崎豊コーナー。

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4月25日(火)
朝鮮人民軍の創設記念日。北朝鮮との間で一触即発の緊迫感が高まる。

「日本は戦争で敗戦を経験した国、原子爆弾の被害を経験した唯一の国である。」ということが省みられないアメリカに追随した閣僚による発言、行動が多く非常に残念というか悔しいし悲しい。

堀田善衛が『われわれの運命≪朝霞・立川の記≫というルポタージュを昭和27年に発表している。
安倍さんやトランプさんにも読んで欲しい。

「どうも、われわれはいまだに莫大な税金を食う軍隊というものが、本質的には何を、そして誰を守るためのものであるか、ということがはっきり合点されていないのではないか、そういう風に思えます。われわれは骨身に沁みる経験をしたはずですが……ここで軍隊というのは、ある特定の軍隊をいうものではなく。軍隊一般についてです。
 軍隊ないし軍隊的なものは、いかかるかたちのものにしろ、その絶対多数は、つねに庶民階級から徴募され、構成されるのですが、にもかかわらず、いまだかつて軍隊が庶民階級を守ってくれたためしを私は知りません。前の戦争で、旧日本軍隊は一体、何を、誰を、守ってくれたか。庶民は召集され、盲滅法に送り出され、焼かれ殺される以外に、果して守ってもらった経験をもっていますでしょうか。武器というものも、直接それを手にしている者を守るというよりも、それはつねに、その武器を持たせた者を守るもののようです。武器は、それを自ら汗して製造した人をさえ、守ってくれません。そのことも、われわれは前の戦争を通じて骨身に沁みて知ったはすではなかったのでしょうか。
 われわれはいつだって丸裸なのだ。過去もそうでしたし未来もまたそうでしょう。自分で自分を傷つけ或は殺す結果になると承知しながら、武器を持つ--そういう背理を人類は長く続けて来ました。そしてこの背理性を消滅させるよりも先に、人類全休を消滅させるにたる、超戦争犯罪的武器が出来上りそうな気配が。こんにち顕在しています。」

4月27日(木)
淀屋橋事務所。湯快のゆ寝屋川店でリフレッシュ。回数券使用。湯元一丁ねや寿の湯からリニューアルオープンした当初は人でごった返していたのが、目玉の格安バイキング(昼食 平日880円)も先日終了し、元の静けさに戻ってしまった。

世間ではGWに突入。特にこれといって予定なし。

April 16, 2017

桜の季節もそろそろ終わり。

4月11日(火) 大阪国際がんセンターで初めての診察。

森ノ宮にあった大阪府立成人病センターが名称変更・移転して、先月25日に大阪市中央区大手前の府庁南隣にオープンした。
京阪電車の天満橋駅から歩いても10分ぐらい。地下鉄「谷町四丁目駅」につながっている地下連絡通路も様子を見に行ったが歩くと予想外に遠い。京阪電車から来る人は地下鉄を利用する選択肢はなさそう。メリットは雨の日に駅から雨に濡れずに直接センターに行けることぐらいか。
近くに大阪法務局があるからか病院の一本手前を左折すると司法書士事務所が道の両方にずらっと並ぶ通りに出る(谷町2丁目)。谷町筋を渡って西側は宇野浩二文学碑のある中大江公園も近い(糸屋町2丁目)。正面玄関前に立つとそのどでかい威容に圧倒される。8階以上の病棟部分は採光を考えてユニークな形になっている。
5年生存率という言葉が癌ではよく使われるが、発症の2014年を起点にすると再来年が5年目にあたる。何とか乗り越えてここに入院することがないようにしたいものである。
頭頸部外科(耳鼻咽喉科)の診察は順番が回って来るのも早く異常なしですんなりと終った。

旧大阪府立成人病センターとの比較で気になった事だけメモしておこう。

・診察室が2階に集まった。
・延べ床面積が増えている分、病室や手術室も増えている。
・受付・待合室・病室・処置室が広くなった。
・今まで1時間以上かかっていた採血待ち時間を30分程度にすることができたと聞くが、まだ採血していないので未確認。
・携帯電話・スマートフォンによるお呼び出しサービスを開始している。
・外来患者様を対象に定期的にクラシック音楽界を開催する予定。吉本興業などのお笑い系のイベントもあるかも。
・この病院は医師がパソコンの画面に向ったままで、患者さんの顔を見て話をする時間が少ないような気がするが、そこは今までと変わりなかった。毎日新聞には医師ごとに一人の医療事務スタッフを配置してパソコンの作業をやってもらうことにしたと書いてあったが…??
・コンビニがファミマからローソンに変わった。Tポイントカードが使えない(涙)。以前は口腔ケア商品などの医療商材を扱うコーナーが分かれていて、品揃えも豊富であったが少なくなったのでは?またコンビニとは別に売店が地下にあったがなくなっている?
・成人病センターの食堂は大衆食堂ののりで特別おいしいということはなかった分料理が出てくるまでは早かった(笑)。今度の院内の食堂は「地中海のめぐみと和食ごはん ひなた」というおしゃれなレストランに変身している。一品一品丁寧に作っているのか料理が出てくるまでかなり待たされる。いらちの人や急ぎの時にはお勧めできない。私が注文したのは「鰆の塩オリーブ焼き/豆とクスクスのサラダ添え」というような名前の料理であった。味付けは超薄め。ご飯は十六穀米を選択できる。健康志向のメニューになっています。
・院内では基本飲食禁止。成人病センターでは食堂の横に「ほっとスペース」があって患者さんやその家族の方が歓談したり飲食できるスペースがあったが、そういったスペースがなくなり不便。病棟では食堂・デイルームがその機能を果たすが、外来にはないためせっかくコンビニやコーヒーショップで何か買っても飲食できる場所がない。なお飲み物は2階の自動販売機の前にスペースがあり、そこでは飲んでもよいとの説明であった。
・成人病センターでは「ほっとスペース」にインターネットが使える環境があった(パソコン用の有線のLANケーブルが2本出ていた)。新病院ではどこで使えるのか未確認(がん情報コーナー?)。Wi-Fiが使える環境があるのかどうかも未確認。
・会計・清算の体感待ち時間が短くなったのでは?もう少し様子見。
・病棟の有料個室は9千円台であったのが、今度の新病院では16,200円~59,400円とだいぶお高くなっている。こんなに高いと個室希望には出来ない。自分の場合レム睡眠行動障害の症状(攻撃的に手足を激しく動かしたり、蹴ったり、暴れたり、大声を上げたりする)が時々出るので他の患者さんに迷惑をかけたくないという理由で個室が空いているときは有料個室に入れてもらっていた。もう入院することはないと祈るしかない。

最初から何もかも全てがうまくいくとは思っていないので、患者サービスの向上に少しずつ取り組んでいって欲しいと願っています。

診察のあと14時からの大阪国際がんセンター第一回クラシック音楽会を鑑賞する予定。それまで時間がだいぶあいたので本日より開催の造幣局「桜の通り抜け」に行ってみることに。

午前10時の開門10分前に到着したらあいにくの雨にもかかわらずすでに長い行列。周りは中国人ばかりですね。

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大阪に長く住んでいながら造幣局の桜の通り抜けは初めて。大川沿いのソメイヨシノも満開で、天満橋への折り返しの散策も楽しめる。4月6日(木)に行った時とは比較にならない数のテキ屋の屋台が出ていました。

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4月12日(水) 松山千春、通算77枚目のシングル「空」発売。
秋にはそろそろオリジナルアルバム出して欲しいなぁ。

4月15日(土) 『玉の井の灯』(昭和21年 行人社書店)を書いた杉山幸一の著書ではないかと思われる本が滋賀県立大学図書情報センターの陳コレクションにあるということで気になり、滋賀県立大学まで行ってきた。たぶん違うだろうとは予想しながらだめもとでも彦根まで行かずにはいられない。

JR京都駅からJR南彦根駅まで普通電車で約1時間。南彦根駅からはバスに揺られること15分で滋賀県立大学に到着。キャンパスは琵琶湖のすぐそばの広大に土地にある。これだけの広い場所に桜も所々咲き誇っているのを眺めるとのんびりとした気分になってくる。

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図書情報センターの入口には入館ゲートがあるので学外の利用者はゲートの前から声をかける必要があったり、コレクション資料の閲覧には申請が必要であったりでちょっと面倒ではあったが目的の書物にご対面。

『決死の測量隊』(杉山幸一著 1941年12月 金星堂)

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やはりはずれだったようです。
本人による「はじめに」や「あとがき」、または巻末に著者略歴でもあれば杉山本人であるかどうかのヒントになって確認のしようもあるがなにも手がかりがなかった。

唯一、満鉄建設局員神山正治の序文がついている。
戦前満州国には鉄道の満鉄(南満州鉄道)ができた。この鉄道建設には従事した満鉄社員の力もあずかっているが、この『決死の測量隊』という本は、満鉄の鉄道建設の中でも最も危険の多い踏査隊(測量隊)の物語が子供の読物として面白く書いてある。鉄道建設の仕事は大きく三つに分かれていて、「一つは、第一測量隊といつて、会社で大体の鉄道建設地が決定されると、その予定地を実地に踏査する、いはゆる下検分の役目をする隊と、第一測量隊が踏査決定した道順(コース)を更に、物指ででも計るやうに細々と測量する第二測量隊、それに鉄道建設隊です。」第一測量隊は、別名踏査隊とも言われている。踏査行では極寒零下四十度の中前人未踏の大密林地帯や砂塵の吹きつける曠野を横断、匪賊の大部隊や狼群の襲来に遇うこともしばしば、そんな危険であり冒険に富んだ命がけの踏査行に活躍した人々が書かれていて、思わず手に汗を握る。
神山正治によると本書を書いた杉山幸一はかつて満鉄にいて自らその苦心を体験した人とのこと。

コチラとかコチラの記事を読むと満鉄に測量隊という部隊が本当にあったというのがわかる。

しかし杉山幸一が満鉄に居たとか満州に働きに行っていたという話は聞いたことがない。
巻末の広告を見ると本書は「金星堂の子供読物」シリーズの1冊だったようです。五十公野清一、福永恭助、海野十三、山中峯太郎、高垣眸、池田宣政(南洋一郎)とそこそこ名前の知られた執筆陣が揃う中で、ほとんど名前の知られていない杉山幸一が何故書くことになったのか。
杉山本人が、「著述 各新聞雑誌に小説、読物、実話等長短篇百余篇を発表す」(『小説玉の井の灯』(昭和21年 行人社書店))、「芸術的天分のない私は、それ以来終戦時まで名もない雑誌に大衆小説や読物、実話などを執筆して、文壇の裏街道ばかりを歩いてきた(後略)」(『文壇底流記』(昭和28年 那南タイムス社))と述べているように、誰かからネタをもらって読物を書いていたということも考えられる。

結局よく分からずじまいでまったくの無駄足だったようにも思えるが、国立国会図書館にもないという珍しい書籍を見られただけでもよしとしよう。

本件とは関係ないが、嶋田直哉氏の「消えたラビリンス――「玉の井」の政治学」を含む『永井荷風論―復活期を中心に』他永井荷風に関する論文をまとめて単行本でどこか出版してくれないかなぁと、あくまでも個人的希望である。

4月15日(土) 歯医者通院。
がんをはじめとする全ての病気のもとは「口の中」からということと歯周病にもなっていたので口腔ケアのため定期的に歯科に通っている。

4月16日(日) 復活の主日、教会のミサ。

April 07, 2017

大川端の桜

春、真っ盛り。最高気温も15度以上に安定してきて毎日暖かい。
体調の方も安定している。昨年の抗がん剤治療の副作用で出ていた全身の発疹がようやく消えてきて嬉しいかぎり。

4月6日(木)、お花見の気分でもないが、家にじっといていると気が滅入ってくるので出かけることに。
大阪府立中之島図書館で「大阪四花街展~上方文化としての大阪花街~」をテーマした展示会が開催されていると聞きひとまず淀屋橋まで出る。

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中之島図書館の2階には最近昔の住宅地図を確認しに良く寄るが、3階の展示室は初めて。貴重な資料をじっくり拝見。
4月22日(土)には大阪の花街を題材にした寄席も開催されるようです。

展示品の中に「大阪案内」(昭和10年→昭和11年の間違い? 大阪之商品編輯部)があって大阪の花街について書かれているページが開かれていた。続きを読んでみたい。国立国会図書館デジタルコレクションで読めるのは戦時色濃くなっていた昭和16年3月に発行された改訂版の「大阪案内」(大阪商品研究会編輯部)のようでだいぶ内容が違うのかなぁ。

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展示の中に北新地芸妓組合の写真が掲示されていたので早速近くの西天満4丁目まで足をのばしてみる。

路地を入った中ほどに「北新地芸妓稽古場」「北新地待合・芸妓・芸妓扱所組合」の看板発見。第32回西川流鯉矢会のポスターも。
北新地にはまだ芸妓さんがいるんですね。
150年以上の歴史を誇った西天満の老舗のお茶屋「伊東」が2008年に廃業し、北新地で唯一残っているのは西天満のお茶屋「鶴太良(つるたろう)」。ミナミでは南地花街の伝統を引き継ぐお茶屋「島之内たに川」が唯一営業している。

西天満4丁目界隈はかつて老松町と呼ばれていたようで(今でも老松町で通っている)、古美術店・骨董屋さん、今風のグルメなお店、高級そうな料亭(割烹)等が立ち並ぶ大人の雰囲気の個性溢れる街並みになっています。

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西天満から大川沿いに戻り散策開始。
あいにくの曇り空。
太陽が出ていないので青い空に映える明るいピンク色の写真が撮れなかったのが残念。
そういえば1年前も曇天の日だった。

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テキ屋の屋台は今年も出ています。
左岸(北西側)は割と固まって出店されているのに対し、右岸(南東側)は点在していて数が少ない模様。

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毛馬桜之宮公園の大川沿いを約4.2kmにわたって約4,800本の桜並木が続きます。
桜は7分咲きぐらいか。

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大川を眺めていると船の上からお花見が楽しめる色んなタイプのクルーズ船が通っていきます。

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桜の木の下は食事やお酒を楽しんでいる花見客で溢れていました。
禁止されているバーベキューをしている人はほとんど見かけませんでしたが、あまり人の来ない端の方のエリアで一組だけ発見しました。

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ブルーシートを敷いて何もせず座っている若い2人組みは会社から命じられた席とりなんですかね。今日は雨が降っていない分ましですが、今日から週末の土日にかけては雨もぱらつきそうで場所取り係は悲惨でしょう。

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行きは左岸を難波橋、天神橋、天満橋、桜宮橋、源八橋、都島橋、毛馬橋とひたすら北上、毛馬橋を渡って折り返し、帰りは右岸を歩き天満橋まで戻ります。途中お腹がすきOAP(大阪アメニティパーク)で食料補給しながら約3時間の散策でした。

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