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July 2017

July 30, 2017

第40回寝屋川まつり

近所を散歩していて末広町派出所前の交差点近くのバス通りでシャッターがいつも3分の2ほど開いているのが前から気になっている。うーん、これは末広マート(古くは香里園市場)の入口ではなかろうか?後ろのお肉屋さんは営業していない。シャッターから中に入って覗いてみると市場の雰囲気が残っている。入ると薄暗く全ての店が営業していないように見えるが、突き当りを右に曲りまっすぐ行った出口付近で良寅商店が野菜やらをちょことだけ置いて営業している。

消えていったスーパーを色々思い出す。
成田ストアー(リブマート)、ハッピー香里、万代(三井住友銀行香里ヶ丘支店の横)、マルヤス(成田山不動尊下)、サカエ(東香里)、ピーコック(寝屋川団地内)、ダイエー、ジャスコ(グリーンシティ)、ローソン(末広町交差点、成田不動尊前、香里ヶ丘南公園の少し上)などなど…。末広マートはしぶとく生き残っていた!?

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日々の散歩コースは決まっている。
蹉跎神社のこのオブジェは毎度見てしまう。
昔の消防車みたいですね。

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昨日(7/29)第40回寝屋川まつりに行ってきました。
自宅から打上川治水緑地までは徒歩35分。
写真は大ステージで盆踊りの音頭をとる高宮日和会。
2年前の寝屋川まつりは、寝屋川で市立中学1年男女死体遺棄事件が起こりその影響で自粛し中止。昨年は11月の昼間に開催された。3年振りの夏祭り開催。
出店(市民模擬店)も多数出店し賑わいを取り戻していました。テキヤ排除のための市民模擬店なのかなぁと思っていたのですが、いかにもというお店の人もいて、まだまだ徹底されていないのかなぁという感じでした。
18時の盆踊り大会の後、19時頃豪栄道関が登場し盛り上がる。北川市長よりふるさと大使延長の委嘱状交付。
その後、よしもとスペシャルステージ。5組のよしもとの芸人が登場。トリは、元寝屋川出身の宮川花子さん(大助さんは病後のため欠席)。その後、20時過ぎ場内にカクテル光線が灯されサプライズの打ち上げ花火が上がる。短時間でしたが寝屋川まつりでの打ち上げ花火は久し振り。

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短い夏の夜を楽しんで来ました。
明日からまた入院。
しばらくココログはお休みさせて頂きます。

July 24, 2017

布施歓楽街

寿三郎横町をあとに、布施駅周辺の他の横丁をたどってみる。

愛染小路到着。
7年前から全然変わっていない。
看板は「あいぜんしょうじ」と振り仮名の付けられた新しいものに変わっている。
赤ちょうちん、スナックくみ、嬉(うれしの)、花のれんなんかはそのままです。
スナック、バー以外にも、居酒屋や普通のごはんやさんもみえる。

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相変わらず趣のある渋い横丁です。
左手前の「パステル」が「Pastels(パステルズ)」に変わったのであろうか?

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思い出横丁のアーチがあったのはここだったかな?よく思い出せない。
もう全店営業していていなくてスナック跡だけが残っていると聞く。

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さくら通りの晃生ショー劇場。
仲良くしていたお姉さんがいて一時期足繁く通った劇場。しばらく中に入っていない。劇場の中でおつまみ片手にビールやチューハイを飲みながらステージを見るのが楽しみだったのでお酒を止めてしまった今となっては入場する理由が見当たらない。
隣は「キャラメル ふくろう」と書いてあるが、あの晃生ショー常連さんが集う「ふくろう」?「ふくろう」であれば一度踊り子さんに案内されて入ったことがある。懐かしい。

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次に布施新地であったエリアをまわって見たが、これといって特徴のある建物もなく、北新地のようなビルの飲み屋街になっている所もありで面白みがない。かつての布施新地の業者と名前が一致するのは少し離れたところにある「松びし」しか見あたらなかった。今は「松びしマンション」。

布施新地は、戦後の昭和26年に開業。今里新地、住吉新地、港新地などと同様に芸妓本位の集娼地域であった。

関西の赤線業者は昭和33年の売春防止法全面施行後もしぶとく生き残ることになる。飛田新地、松島新地は“アルバイト料亭”と名を変え、“セット制”の座布団売春が行なわれるようになった。布施新地も当初は飛田、松島新地同様、セット制の形態に移行したが生き残ることはなかった。また、布施新地周辺の桜通、寿三郎横丁、愛染小路、歓楽街、柳小路などの小料理屋や飲み屋でもひそかに遊ぶことができたようであるが、あったとしても昭和の時代までであろうか。

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布施新地には特に私の興味をひくものがなく「技芸養成所」があったところの横あたりの路地に入り込む。

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次に歓楽街をめざします。
旧布施第一デパートだったというマンション「クレアシティ布施」を通りすぎると、、、あっ、「スナック千」が以前のままあった。
あらら・・・記憶によると赤い「千」の看板の隣に「いらっしゃいませ 歓楽街」の看板と路地の入口があったはずであるがない。
歓楽街の路地、お稲荷さんも見事に消え去りマンションが建っていた。
Googleマップのストリートビューを巻き戻してみると2014年には取り壊されてしまったようです。残念!
人を寄付けない近づき難い異様な雰囲気が常に漂っていた歓楽街。
当時路地の奥まで写真を撮る勇気はなかった。

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布施駅までいったん戻り、柳小路料飲食街に。アーチも健在。

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横丁の手前には居酒屋が並ぶ。

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「華麗酒場ミニィ」

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全然変わっていない。
「炭焼焼鳥三平のぶお」「居酒屋すずめのお宿」。奥に飲食店の入るビルがある。
いずれも営業しているかどうかはわからない。

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「割烹辰乃家」が並ぶ。

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2階の手すりにガタがきている以外は7年前と変わりない。

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「小料理美代」「スタンド有明」

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「スナック銀華」

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すぐ上を近鉄電車がガタゴト走る。

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「関西浅草観音通り」と「柳小路料飲街」の両方のアーチがかかっている。

「和風スナックあ・うん」

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1階の窓のところのかわったデザインがおしゃれ。
よくみると女体のイメージなんですかね!?

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たばこやさん

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関西浅草観音 浅草寺

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今回の散策無事終了。

寿三郎横町 -その2-

廃墟そのものの状態で分け入ろうにもこのありさまで悲しくなってくるが、寿三郎横町の最後の勇姿を記録に留めておこうと前に進む。

「酒房杉」「美舟」「和風スナック美奈」

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店内。カウンターの木はまだ新しく見える。

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「呑(どん)」「和風スナック澄ちゃん」

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「和風スナック澄ちゃん」

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けばけばしい柄の椅子が置かれている。

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「スナック澄ちゃん」の入口。

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オレンジと黄色の照明が可愛らしい。

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「大人のおもちゃスウェーデン」の看板がバラバラの状態で地面に散らばっていた。

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「酒房杉」「美舟」

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「酒房杉」

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「はじめ」

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「はじめ」

入口の上の鑑札はなんて書いてあるのか読めなかった。

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荒れ果てた店内。左奥に2階への階段が見える。

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バー「京子」を下から見上げるとタイル張りが…。

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太陽が差し込んだ影響か店内が青く光っていて幻想的な雰囲気。
左手に2階への階段。

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この飲み屋街には「両国」という店舗もあったようですね。

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こちらは「津留弥(つるみ)」というお店?

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「アサヒビール スナック」の下には店名が入っていたんでしょうね。

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一周したのでさあ戻ろう!
さらば寿三郎横町。

気がつけば手に墨がいっぱいついていた。

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北側の通りに回ってみると重機で解体中であった。「鶏鳥きっちんゆう布施本店」右隣あたりか。
しかしどこから出火したのでしょうか?
4月4日14時半頃、東大阪市足代新町の寿三郎横町で火災が発生。寿三郎横町と横町と背中合わせになっている「鶏鳥きっちんゆう布施本店」が焼けたそうな。スナック街は近鉄側入口の3店舗をのぞいて営業していなかったと聞くし、営業の時間でもないですからね。出火原因の詳細はわからず。

※7/23現在、丸太が横丁外周に建てられ防音シートが被せられて立ち入りできなくなっています。

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街が消えくように人間もいつかは消え行くもの。
自分も最後の勇姿をみんなみ見届けてもらえたら本望である。

寿三郎横町 -その1-

これだけ毎日暑いと街を歩こうという気がなくなる。
今年の春頃、布施の寿三郎横町が火事にあったと知り先日様子を見に行った。
2010年以来の布施再訪。寿三郎横町(1)寿三郎横町(2)愛染小路歓楽街柳小路料飲食街と同じ場所の現在を歩いてみます。

布施駅を降りて近鉄線に沿って難波方面に歩くと寿三郎横町の赤い提灯が見えてきた。
(古くは寿三郎横丁の表記が正しいように思われるが、この提灯に従い以下寿三郎横町に統一します。)

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赤い提灯を右に曲がって路地に入っていくと・・・。横丁健在でした(^-^)/

路地の奥から猫がこちらの様子をうかがっている。

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少し奥に進むと、んんん??、解体準備のものなのか丸太が地面に積み重ねられている。ちょっと様子が怪しくなってきた(´・ω・`)

「酒房杉」「司幸」

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左側の濃い緑色のタイルが美しい!!
奥の方からガタゴト重機の音が響いてきているが、こちらの寿三郎横町側はまだ解体は始まっていなかった。

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唯一昔ながらのスタイルで営業していたという小料理屋「クロンボ」も結局行けなかった。

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どういうわけだか全ての店の扉が開いている。「クロンボ」店内。

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「クロンボさんへ」と書かれた色紙が何枚か飾られている。奥には鳥の飾り物が見える。

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店の反対側。カラフルな鳥の飾り物を後ろから見る。
左手には2階に通じる急な階段がある。

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小料理屋「クロンボ」は、三味線で民謡を披露してくれる名店であったとのこと(以下参考:『紅燈-遊里研究 特集 京都 五条楽園』(遊里史研究会 2012年発行)より)。

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こちらの店にも2階への急な階段がある。2階の部屋はたいがい狭く、普段は店のお座敷や女の子の居住スペースとしてあてがわれていたが、時には新宿のゴールデン街の2階・3階と同様に、かつては接客婦(女中さん)と遊ぶための場所としても利用されていたのであろう。

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バー「京子」
壁面に特徴がある。

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横丁のどん詰まり。

昼でも薄暗い路地には小料理屋、スナック、バー、酒房、スタンドなどが軒を連ねていて、怪しげな雰囲気を漂わせている。袋小路状の二筋の路地をぐるっと回るだけで終ってしまうが、横に抜ける小路は一部トンネル状になっている。

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火災の瓦礫がそこかしこにちらばり所々積み重なっている。
バー「京子」の入口前のガレキの下には豆タイルが覗いていた。
左下の横倒しになった緑色の看板には「酒房青柳」と書いてあった。

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だんだんがれきを掻き分けながら進むしかない怪しい状態になってきた。

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他の地区でもたまに見かける獅子舞入店禁止のプレート。勝手に店に入り込み頼んでもいないのに舞い出してお金を要求する獅子舞は押売り同様に嫌われていたんですかね。

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店内。小さなカウンターと椅子4つ。

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「美舟」

おおおーー、これはひどい!
2階を見上げると木が剥き出しになって焼け落ちているところがあり、下に色々落ちてきている。

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「酒房杉」

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店内にもがれきが散乱、荒れ放題になっている。
カラオケのマイクが賑やかだった頃を偲ばせる。

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「和風スナック美奈」の看板も空中に倒れこんでいる。

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あまりにも変わり果てた寿三郎横町の惨状に衝撃を受ける私でした。

July 20, 2017

2コース目終了

化学放射線療法2コース目無事終了。
7月10日(月)に入院して7月18日(火)に退院しました。
抗がん剤の点滴と毎日の放射線治療のための入院。

退院といっても「すっかり治りました」というのであれば万々歳なのであるが、化学療法と放射線治療の双方で効果が出ているのかよくわからないのがつらいところ。
シスプラチン(抗がん剤)も投与5回目となると耐性が付いてきていそうですしね。
しかし、左鎖骨上のリンパ節に転移したがんは、水ぶくれしていて今にも膿が出てきそうにパンパンに腫れていた状態だったのが、乾燥してきて見た目にも小さくなったように感じる。あと痛みも5月頃の一番頭が痛かったころを思うと、不思議と消え去ったようである。
抗がん剤と放射線治療の効果であろうか。がんが縮小したのか増大しているのかはCTとか画像を取らないとわからないのでしょう。

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病棟全体の起床は6時。
だいたい5時過ぎには目が覚める。
窓から外をながめやると太陽は大阪城の後ろから登ってくる。
朝焼けが美しい。
毎日あまりよく眠れない。
点滴で水分を大量に入れているのでトイレが近いのと、寒すぎるのが原因であろう。
病棟全体が適温にコントロールされていているので、この暑い夏場は涼しくて快適。外から暑い暑いと真っ赤になって汗を拭いながら入ってくる見舞い客にもこの涼しさは天国のように感じるであろう。しかし、普段エアコンを消して夜寝る私には寒すぎる。がん患者にとっては体を温めることが大事であるのにこのエアコン地獄だけはどうしようもなかった。

シスプラチン(抗がん剤)は二日目に投与。
シスプラチンは腎臓や膀胱に負担がかかる薬で、副作用として腎臓の機能に影響を与える。そのため、抗がん剤投与の翌日から4日間は生理食塩水の点滴で大量の水分を摂ることになる。体重がスタート時より2kg増えると出る尿の量が少なくなっている証拠なので腎臓を守るため利尿剤を使って尿の量を増やす。今回も2kgオーバにひっかかった。また血液検査でも腎機能の数値が悪くなったので点滴を1日増やした。1日中点滴というのもあまり体を動かすことが出来ずストレスが溜まりいやなもの。

抗がん剤投与の翌日からは予定通りムカムカした不快感(吐き気まではいたらず)、食欲不振、便秘、しゃっくりなどの副作用があらわれた。それでも2年前のように口内炎や脱毛までは出なかったのでましな方だ。

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昼間の大阪城。
外は暑そう。

入院中読んだ本。

『黴 爛』(徳田秋声 2017年4月 講談社文芸文庫)
『道草』(夏目漱石 1997年4月 岩波文庫)
『女の防波堤』(田中貴美子 昭和32年9月 第二書房)
『女給と賣笑婦』(草間八十雄 昭和5年2月 汎人社)
『灯の女闇の女』(草間八十雄 昭和12年2月 玄林社)
『東京の婦人保護 -売春防止法全面施行15周年記念-』(昭和48年3月 東京都民生局)

持っていった本のチョイスが悪かった。
草間八十雄と『東京の婦人保護』はかなり退屈した。

あともう少し通院による毎日の放射線治療は続くので頑張ろう。
大阪国際がんセンターからの帰りは京橋まで歩いて帰る。
途中、大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)跡に出くわす。
宇野浩二は明治30年(1897)から明治34年(1901)にかけ糸屋町または宗右衛門町からがんセンターの少し先にあるこの大手前の学校まで毎日通学していたのだろうなぁと遠い昔に思いを馳せる。

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July 06, 2017

和田浩治 命日

今日7月6日は和田浩治の命日である。

1944年生まれ。1986年7月6日に胃癌のため42歳という若さで亡くなった。
自分は和田浩治のファンであったのでニュースを聞いた当時(衆参ダブル選挙のあと)は相当ショックでした。
亡くなってから31年が過ぎた。来年の7月6日は三十三回忌です。
今でも当時の週刊誌の切抜きを大事に保管している。

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(当時の週刊誌より)
和田浩治が石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活入りしたのは昭和34年、わずか15歳のときだった。“愚連隊シリーズ”や“小僧シリーズ”で活躍。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎と“ダイヤモンドライン”を結成した。昭和46年、梓みちよと結婚したが翌年別れ、49年、銀座の高級クラブ『順子』のママで3つ年上の田村順子と再婚。酒豪であり、ヘービースモーカーでもあった和田浩治が、「胃が痛い」と最初に体の異常を訴えたのは1984年の12月。この時は特に検査は受けず大量の胃薬や強壮剤でごまかしていたが、そのうち異常にやせ出し、とうとう我慢できずに病院にいったのが1985年6月1日でそのまま入院。6月11日に手術が行なわれたが、開腹すると、ガンはすでに手のほどこしようがないほどに広がってしまっていた。丸山ワクチンをはじめとするあらゆるワクチンやサルノコシカケを試し、大森にある宗教団体の“教祖さま”のもとへ通う。その病気を治そうという思いが通じたのか、一時は病魔も去ったかに見えるほどめきめきと回復し、しばらく休んでいた『大岡越前』にも復帰。8月には最後の曲となった『なぐさめ』(11月21日発売)のレコーディングも無事終えた。しかし、年が替わり1986年に入るとふたたびガンが暴れはじめる。2月14日から10日間入院。ガンの転移による悪化。『大岡越前』の出演もキャンセル。180センチで80キロあった体重が、ガンのためわずか46キロにしぼんでしまっていた。5月15日、『酒井広のうわさのスタジオ』(NTV系)に出演し『なぐさめ』を披露。テレビ番組の生出演はこれが最後となった。その2日後、5月17日に再度入院。ここから息をひきとるまで約50日間、ガンとの闘いは壮絶をきわめた。激痛で錯乱状態。その中でも「オレは治るんだ!」「絶対、治してみせる!」とのすさまじいばかりの生への執念だったという。ガンと闘った401日。

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和田浩治は最後列右から4番目。

和田浩治が亡くなった時、石原裕次郎は慶應義塾大学病院に入院中でその後7月に退院してきて退院時に報道陣に囲まれた際、自分のことはおいといてまずヒデ坊(和田浩治)へのお悔やみと思い出を語ったことが裕次郎の人柄をしのばせて忘れられない。

川地民夫、高品格、山内賢、藤竜也、梶芽衣子(日活時代は太田雅子)の顔も見える。
葉山良二は悪役(敵)かいい役(味方)なのか良くわからなかったりするが最後はいい人だったりしてた。和田浩治の相方のヒロイン役は清水まゆみが多かったが、デビューまもない吉永小百合があてられることも。笹森礼子は可愛かったですよね。白木マリはキャバレーのショーで踊っていた印象がある。

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風間駿介役の和田浩治とすっとびの辰三役の高橋元太郎

風間駿介のいない大岡越前は考えられない。第10部以降見なくなった。
がん発病後で最後の出演となった大岡越前第9部は出たり出なかったりで休み勝ちになり、今再放送を見ると頬がだいぶ落ちていてやつれがみえ痛々しい。今思うと相当しんどかったのではないかと思うのであるが出演当時はわからなかった。

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最後の最後まで懸命に生きようとした和田浩治の思いを胸に闘おう!

July 02, 2017

1コース目終了

痛い!!

痛いと考える力も弱くなり、文章を書こうという気力もなくなってくる。

6月19日(月)から6月26日(月)まで化学放射線療法で入院。
放射線治療と化学療法の同時併用。
2週間空けて7月10日(月)から2コース目で入院予定です。

左鎖骨上のリンパ節に転移したがんは、最初はちいさなこぶ(腫脹)だったのが、外から見てもはれがわかるぐらいに大きくなってきて、それが今ではがん細胞が血管を突き抜けてきているからか赤黒くなり、むくみや水ぶくれも出てくるという膿瘍化の症状もみえて重症である。

こう書いていると自分でも怖くなってくるので書きたくないのであるが、家族が心配してビビってるのとは反対に自分はいたって能天気にしてます。

自分のようなステージ4の進行がん(末期がんと同義)は、治らない、治ることはない、ましてや再発・転移と場合、完治は望めない。抗がん剤治療はわずかな延命効果があるだけで、放射線治療も「症状の緩和」にしか過ぎず死にいたる(抗がん剤がうまく本人にあって治るのは宝くじに当るぐらいの奇跡的なものだとか)。・・・ということが、病室に2冊持ち込んだがん関連の書籍に書いてあって能天気な私もさすが暗い気持ちになった。

3月に大手前へ移転オープンしたばかりの大阪国際がんセンターの病室、設備は新しくまだ綺麗で快適に過ごせた。
病室の窓から真正面に大阪城天守閣と大阪城公園が広がる。大手門から天守閣に向って観光客がぞろぞろ歩いていく。観光用のロードトレインが時々のんびりと走っているのがミニチュアのように見える。
病室内と外の世界がガラス一枚を隔てて全く別の世界のように思える。

今回は手術はなく化学療法の点滴と放射線治療だけだったので4人部屋にしてもらった。同室の方はかなり高齢で既に何度も標準治療を受けておられるようであったが、副作用もあってかだんだん弱ってきているようにもみえ、高齢者への抗がん剤治療、放射線治療の必要性について考えさせられた。

入院中小林麻央さんが亡くなった。ショック。顎へがんが転移していたとか。
私に出ている頸部リンパ節腫脹は、放置しておくと次々と腫瘤が増え、それぞれが大きくなっていくし、頸の下方のリンパ節がはれてくることもある、と聞く。怖い。

しかし、抗がん剤投与の時の看護師さんの重装備ぶりにびっくりした。ビニールの防護服、手袋、顔全体を防御する巨大なバイザー、と完全防備。どんだけの毒薬を入れるんだろうとびびった。
幸い今回シスプラチン(抗がん剤)による副作用は、食欲不振と便秘ぐらいしか出なかった。
ベッドの上で水上勉『宇野浩二伝(上、下)』を読み直し。
登場人物をひたすらメモしてました(笑)。
今は、糸屋町の宇野先生にすがるしかないという気持ちです。

しばらくは毎日放射線治療のため通院。

このブログは十三ミュージックのレポ(記事)を書くのが楽しみで続けているようところがあったのですが、その十三が2012年に閉館。その後も何かとネタはつきず続いている。伝えたい人がいるのでしばらくは続けようと思っています。

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病棟から景色を眺めていたら真下に庭園つきのおしゃれな洋風建築が見えた。
気になり金曜日にのぞいてきました。
大坂府公館(元、知事公舎→大坂府知事公館)です。
写真は「もずやんの部屋」。
毎週金曜日に無料で公開しています。

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