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August 2017

August 23, 2017

西の新地から船尾市場へ

引き続き西の新地を歩きます。

スナックやラウンジ、居酒屋などが入るビルが二棟並ぶ。
奥のアーバンプラザビルは立入禁止で閉鎖されていた。

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街中の看板によく出てくる「銘酒長久(ちょうきゅう)」は海南市の中野BC株式会社が作る清酒。

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不思議とこういった場所につきものの風俗店らしき店はみあたらない。

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格子が細かい連子(れんじ)格子は、外から中が見えにくい様になっているんですね。

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銀色のシートは日よけ?

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八軒長屋と呼ばれる日方川通りの北側の入口。
中華料理店「みな」。日方川通り(八軒長屋)の北端にある。
地元の人に愛されているお店。
「ラーメン ギョーザ」の看板の上にあった「日方川通り」の看板は撤去されたようです。

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居酒屋「四万十」。八軒長屋(日方川通り)の中ほどにあるスナック。

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居酒屋「あき子」。八軒長屋の最も日方川沿いのスナック。
店の看板を数えると確かに8軒ある(「四万十」の隣は空白の看板です)。

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日方川沿いの南側の入口には「日方川通り」の看板が。

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平和旅館。もう営業していないようですね。

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平和旅館の隣の建物も渋い。

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日方川通りの「みな」で中華そばを食べたかったが、17時からとのことで、ちょっと離れているが国道42号線沿いの「楠本屋」に行き中華そばを食べる。お昼12時過ぎに到着すると行列は運よく2名のみ。チャーシューとナルト、メンマ、ネギが乗っている。スープが濃厚で美味しい!井出系の和歌山ラーメンです。

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船尾市場にも寄ってみる。

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履物店、菓子店、ワコウなどが並んでいるが店は閉まっている。
完全なシャッター通りなのかと思いきや、魚屋さんとか所々営業しているお店がある。

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Googleマップのストリートビュー(2013年3月)と比較すると「スギモリ商店」の正面にあった建物がなくなり更地になっていて、片側式アーケード状態。おまけにアーケードの屋根もくずれかかっている。船尾市場は年々荒廃が進んでいる模様。

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ハギレ双葉屋商店

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「鳥楠本店」前。二階が橋で結ばれているようにも見えるがどうなっているのだろう?

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「ワコウ」前も更地になって寂しい。

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この後なんとか黒江の「うるわし館(紀州漆器伝統産業会館)」までたどり着いた。しかし、紀州漆器やのこぎりの歯状の家並みで有名な黒江の古い街並みをさらに歩こうという元気はなかった。強い日差しに体力が消耗。おまけに、抗がん剤アービタックスの副作用で出ている上半身の発疹には紫外線はきつい。日差しが照りつける真昼間、たった2時間半の散策でダウン。海南駅まで引き返しました。東の新地の見落としも気になるし、涼しくなったらまた来よう!

参考サイト:
ブログ『M K
ブログ『さすらいの武士
遊里史研究会- 鷹は舞い降りた 弐-』 遊里史板過去ログ
風呂屋の煙突

ああ海南のシャアゲイよ

「スタンドミカド」から日方川沿いにさらに西に進むとほどなく谷口病院が見えてきて西の新地に到着。

海南新地のもう一つの新地、西の新地は海南市船尾(ふのお)にあり、黒江新地とも船尾新地と書かれることも。また、東浜地区にある現役の飲み屋街、スナック街であることから東浜新地と呼ばれることもある。西の新地の最盛期には多くのお茶屋さんや置屋が点在して賑やかであったという。

牡蠣料理「かき惣」。
大阪・淀屋橋の「かき広」のように昔はこの店も元運河のこの場所で船を浮かべて営業していたとのこと。
料亭風のたたずまいで威風堂々とした外観が風流。

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「料亭美登利」。
東浜に唯一残った老舗料亭。
昔はいちげんさんお断りの敷居の高い料亭だったそうですが、今は垣根をさげて利用しやすくなっているようです。ランチも営業しています。

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東浜の六軒長屋。狭い路地に6軒のお店が看板を出している。「居酒屋ちえ」ほか。

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難波から南海電車で海南をめざした殿山泰司。和歌山で電車を降り駅前の純喫茶に寄ったあとタクシーに乗り込み海南市に向うが、その前に女子刑務所を見学する。タクシーで西の新地に着いて、昔は女郎屋であったと歴然と判明する格子のある家並みの中で、この郭に一軒しかないスナックに飛び込み、そこのバーテンからある店を紹介してもらい訪ねる。その店の小料理屋の座敷らしい六畳にあがり、店の男に若い芸者とビールをお願いする。芸者とオネンネできるのか?ココでやってもいいのか?と店の男に聞くと、アナタの腕次第でココではだめでモーテルとか旅館に行かないとダメとの回答。やがてやって来たのは花も恥らう十九歳の芸者で緑魔子似。殿山泰司も希望通りで大満足。若い芸者と話をしているうちに映画で有名な役者であることがばれたのか、家族の者が順繰りに現れ、一家の人間と芸者と殿山で座敷が一ぱいになった。意気投合した芸者と殿山は和歌山のキャバレーに二人して繰り出す。(『三文役者のニッポンひとり旅』(殿山泰司 1977年 白川書院)「ああ海南のシャアゲイよ」より)

若い芸者に和歌山のキャバレーへ遊びに行くことをせがまれ殿山泰司がタクシーを呼んだところでこの話は終わり、結局女とオネンネできたのかどうかはわからない。殿山のこの好色旅行記は昭和46年から昭和47年にかけて日本のアチコチに残されている旧遊郭がどうなっているかを見て歩いて記したものということから、西の新地では昭和40年代まではまだ芸者が呼べたのであろう。

格子のある家が見えてきた。「みのり家」

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スナックかなにかだったのでしょうか?

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今回私の一番お気に入り、「スナック舞」の大きな建物。素晴らしい!!

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西の新地内には今も料亭、スナック、スタンド、割烹、居酒屋、小料理屋などが残っている。

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レンガをあしらった入口まわりと丸いカーブを描く庇。扉の上には忍び返し。

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正面の紫地に「舞」と書かれた外装部分が円く丸みを帯びて出っ張っている。

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「あうん」「和」

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二階の手すりの装飾の一部は落ちてしまったのだろうか…。

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「スタンド割烹扇や」。この店の料理は絶品みたいですね。

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玄関の凝った装飾とおしゃれな照明器具に格子。

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先入観で見てしまうからか平凡でもあり特徴的な二階部分の手すり(欄干)が妓楼の遺構に見えてしまう。

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「扇や」と対面した通りはいい雰囲気を醸し出している。

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こちらの通りにも飲み屋、料理屋が並ぶ。

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「スタンド割烹くりす」の丸窓。

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物見格子(連子格子)と鉄平石に欄干3連ちゃん。お見事!!

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海南駅についた頃は雨上がりで涼しかったのが、日差しがだんだん強くなりつらくなってきた。

東の新地から井松原へ

灼熱の8月、朝方土砂降りの雨が降る中を和歌山県は海南市へ行く。

殿山泰司『三文役者のニッポンひとり旅』(1977年 白川書院)の中の「ああ海南のシャアゲイよ」の出だしは次のようにはじまる。。
「「海南? なんでオマエそんなとこへ行くねや」家を出ようとしたらババアがいう。「海南というとこにゃな、エエ芸者がウヨウヨいるときいたんや」「ヒン!! まアしっかり頑張ってきいや」との言葉をたまわった。まことに心地よい門出である。」

今時芸者がいるとは思えないので、海南新地の今を歩こうというわけである。
抗がん剤で治ることは期待できない。となると自分の意思で治す、自分の力で治すしかない。それにはひたすら歩くことである。

海南新地には西の新地と東の新地(東新地)の二つの歓楽街があった。
二新地とも表向きは芸妓中心の色街であったが、実際は他の多くの新地と同様遊廓と変わりがなかったのであろう。

JR天王寺駅から特急くろしおに乗って海南へ。海南駅に着いた頃には雨も止む。
まずは東の新地へ向う。
駅からほどなくして海南市日方のかどや食堂に到着。
左側に見える日方川に架かる「東橋」が「東の新地」の入口。
かどや食堂の同じ並びに芦原温泉という銭湯があり芸者さんもよく利用したという。

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山崎町二丁目に入ると遊廓であった頃の往時を偲ぶよすがもなく街は歯抜け状態だった。
残った建物にわずかながらその名残をとどめている。

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「つた家」

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「カラオケレモン」
二箇所の入口のあるモダンな縦長の建物。
アーチ型の窓と四箇所の照明器具がおしゃれ。

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紫色の入口が眩しい。

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ピカソ風の顔のイラストと「18才以上の方 女店員募集」の看板。

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あさがおが咲いている。
夏ですね。。。

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一本東側の通りは更地が多くなり寂しい状態になっていた。
手前にあった建物は幻のように消えてしまい空き地に。

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「つる家」があった場所の裏側の廃屋にあさがおが咲き誇る。

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「喜楽」撮りわすれた??
暑さのためかボーっと歩いていて何軒か見落としている気がしてきた(>_<)

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大正7年に西の新地(黒江新地)が開業。次いで大正13年に東の新地(東新地)が開業。検番を通して置屋から芸妓や酌婦を送り込む仕組みであったのであろうか。

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トタンと木造による建築。

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山崎町一丁目。「末廣」の屋号が残る。
奥の玄関の欄間にも「末廣」と彫り抜かれている。

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「末廣」遠景。

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紀勢本線沿いに慰霊の碑が残る。
空襲にあったという馬場町と山崎町だけ何故か日方から独立している。

「海南の空襲

 1945年(昭和20年)7月2日午後11時すぎ米軍機の空襲により日方地区の里ノ丁、馬場丁、山崎丁一帯は一瞬にして炎に包まれ、死者44名、負傷者100余名、住宅194戸の被害を受けました。
 戦災後、この近くに供養塔が建てられ、当時は供花と線香の煙が絶えなかったという。その後供養塔もいつしか無くなり、戦争という苦い経験も忘れ去られようとしています。
 よって、遺族、被災者、また市民が意を結集して、ここに慰霊碑を再建しました。謹みて犠牲者の御霊を慰め、過去の教訓を生かし恒久の平和を念願します。

 2002年(平成14年)7月

戦災者慰霊碑再建世話人会」

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東の新地をあとに日方川沿いを少し西へ井松原地区へ移動。
namaさんのTwitterで紹介されて気になっていた「スタンドミカド」発見。

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暗渠沿いのバラックスタンド。暗渠沿いというか暗渠の上に建っている。

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井松原には他にもスナック、バーがあり、「有楽園」なる看板があったのでここは有楽園と呼ばれていたのかと思ったが潰れたパチンコ屋だった(汗)。

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そろそろ西の新地へ向かいます。

August 12, 2017

もっこす

入院中から一度しか食べたことのないもっこすラーメンが無性に食べたくなってきて、退院後の金曜日にもっこす兵庫店まで食べに行ってきた。病院の食事は基本薄味ですからねぇー。味気ない病院食が続くとたまには濃厚な味のものが食べたくなる。

新開地駅下車。11時の開店と同時に入店。

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中華そば750円を注文。
前回訪問した5年前は中華そば700円だったので50円値上がりしています。
大量の薄切り煮豚と山盛りの青ネギで麺が見えない。麺はストレート細麺でかなり硬めにゆがいてある。スープは醤油味で脂多めで味もかなり濃いめ。しばらくすると、無性に食べたくなる中毒ラーメンと言う人がいるのは何となくわかる。それにこのどっさりのった葱。葱好きにはたまらないラーメンですね。今度はネギ大盛り(プラス100円)にしてみよう!

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卓上にはたくあんとニラ唐辛子あり。たくあん専用のトングも置いてあります。

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食べ終わったらどこにも寄らずすぐに家に帰りました(笑)。
また来るかどうかはわかりません^_^;

なつのワーク

7月31日(月)に入院して8月7日(月)に退院。

思い返すと昨年の8月も入院していた。
今年の夏も病院で過ごすことになるとは・・・。
3週間置きの入院生活。
つらい。
やりきれない。
行きたかった旅行もしばらくは断念。
再発転移した時点で担当医からはこのままほおっておくと余命半年から1年のまったなしの状況と言われているのでなんらかの標準的な治療は続けていかないといけない。

今回からは投与する抗がん剤が変わってシスプラチン+セツキシマブ(アービタックス)+5-FU(フルオロウラシル)の3種類組み合わせの化学療法の予定であったが、以前5-FUと同系統の薬でアレルギー反応をおこしたため5-FUは中止してシスプラチンと分子標的薬であるアービタックスの組み合わせでいくことになった。

入院中は抗がん剤を投与した翌日からは必ず吐き気(悪心)がでて、1週間は食欲不振が続く。また、腎臓障害を防ぐために大量の点滴と利尿剤を使用するので、尿意が起こりやすく、トイレが近くなって不快。今は、アービタックスの特徴的な副作用である皮膚障害(にきび状の発疹)がだいぶひどくなってきてつらい。抗がん剤が効いているのか5月の痛みがひどかった時に較べると今は痛みがなくなっているのでその分楽になったとも言える。リンパ球数が極端に少なくなっているのが気になるところ。

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世間では夏休み真っ只中。
お盆休みですね。
子供の頃の夏休みは楽しかったですよね。
小学生であれば小学生なりの悩みを抱えていたとは思うけど…。

小学校時代の「夏休みの友」を探してみるがなさそう。
幼稚園時代(1970年4月から1972年3月)の「ひかりのくに なつのワーク2」が残っていた。

ちょっと中をのぞいてみよう。

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昭和46年8月。
父の実家・舞鶴には夏休みには必ず帰っていたので若狭高浜の海水浴かな。

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昭和46年8月10日(火)。
花火大会を見に行っている。どこに行ったのか記憶にないが、母の実家・香里園からも近い枚方大橋の上流で開催されたという「淀川まつり」の打上花火であろう。「淀川まつり」というものが存在していたことすら記憶にない

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同じ昭和46年8月10日(火)に親戚と大阪市立電気科学館に行っています。
当時は三重県に住んでいたので舞鶴に帰る際は琵琶湖大橋を通った。
「どうぶつえんとかわ」と書いているのはどこのことか不明。
この夏は伊勢志摩に家族旅行に出掛けたり湯の山の川の方にも遊びに行っているのでそこらあたりか。
幼稚園の先生(原先生)のコメントが嬉しい。

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最後の一枚もどこか不明。
舞鶴から山陰の方(日和山海岸方面?)へ険しい山道を通って車で出かけたようなのだが渋滞や悪天候でさんざんな目にあい引き返したような記憶がある。

自分が書いた絵を見ていたら旅行した気分になった(;´Д`)

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