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September 2017

September 27, 2017

荷風文庫

先週受けたCT検査の結果を昨日(26日)病院に聞きに行った。
癌が30%以上縮小していました。
かなり嬉しい\(^o^)/
シスプラチンを続けるのは止めて、当面週一回の外来化学療法(アービタックの点滴治療)を続け、もし癌が大きくなるようであればオプジーボを使うとのことでした。
癌が完全に消えるよう引き続き頑張ります!

我が家の荷風文庫、読み直し中。
とりあえず『野心・柳さくら』から『秋の女』までの古い文庫本が対象。
タイトルは似ているけど収録作品はまちまちなので面白い。
文語体で読みにくそうな『江戸芸術論』と『下谷叢話』だけ未だに読んでいない。
読むのいつになることやら…。
『珊瑚集』(訳詩集)だけ買っていないのは気がついている。

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写真右から。()内は、文庫名 第1刷の発行年度 増刷の発行年度および刷数。

『永井荷風』(ちくま日本文学全集 1992年、2000年 第2刷)
『荷風随筆集(上)』(岩波文庫 1986年、1997年 第18刷)
『荷風随筆集(下)』(岩波文庫 1986年、1997年 第14刷)
『江戸芸術論』(岩波文庫 2000年)
『雨潚潚・雪解 他七篇』(岩波文庫 1987年、1994年 第9版)
『おかめ笹』(岩波文庫 1987年、1995年 第5刷)
『下谷叢話』(岩波文庫 2000年)
『つゆのあとさき』(岩波文庫 1987年、1997年 第16刷)
『夢の女』(岩波文庫 1993年、1996年第4刷)
『すみだ川・新橋夜話 他一篇』(岩波文庫 1987年、1997年 第15刷)
『濹東綺譚』(岩波文庫 1947年、1996年第54刷)
『摘録 断腸亭日乗(上)』(岩波文庫 1987年、1993年 第12刷)
『摘録 断腸亭日乗(下)』(岩波文庫 1987年、1993年 第15刷)

『野心・柳さくら』(創元文庫 昭和27年)
『地獄の花』(岩波文庫 昭和29年、昭和36年 第5刷)
『深川の唄・歡樂 他狐一篇』(新潮文庫 昭和27年)
『西遊日誌抄・新帰朝者日記』(春陽堂文庫 昭和7年)
『すみだ川 他三篇』(岩波文庫 昭和30年)
『すみだ川・二人妻』(新潮文庫 昭和44年、昭和47年 第7刷)
『冷笑』(岩波文庫 昭和26年)
『雪解 他六篇』(岩波文庫 昭和14年、昭和28年 第8刷)
『腕くらべ・夏姿』(角川文庫 昭和26年、昭和35年 第13刷)
『私家版 腕くらべ』(角川文庫 昭和44年、昭和46年 再販)
『腕くらべ』(岩波文庫 昭和12年、昭和42年 第20刷)
『夏すがた・二人妻・花火』(創元文庫 昭和26年)
『花火・雨潚潚 他二篇』(岩波文庫 昭和31年)
『つゆのあとさき』(新潮文庫 昭和26年、昭和43年 第22刷)
『ひかげの花・あぢさい 他一篇』(角川文庫 昭和26年、昭和32年 第10版)
『ひかげの花・踊子』(新潮文庫 昭和26年、昭和40年 第16刷)
『浮沈・来訪者』(新潮文庫 昭和26年)
『浮沈・おもかげ・勲章 他二篇』(角川文庫 昭和27年、昭和29年 再販)
『つゆのあとさき・踊子』(新潮文庫 昭和44年、昭和45年 第3刷)
『踊子・勲章・問わずがたり』(岩波文庫 昭和31年)
『秋の女』(河出書房市民文庫 昭和26年)

『日和下駄 一名 東京散策記』(講談社文芸文庫 1999年)
『ふらんす物語』(新潮文庫 昭和26年、平成14年 第60刷)
『あめりか物語』(新潮文庫 昭和26年、平成12年 第27刷)
『あめりか物語』(講談社文芸文庫 2000年)
『荷風語録』(川本三郎[編] 岩波現代文庫 2000年)

『荷風パリ地図』(小門勝二 旺文社文庫 1984年)
『荷風さんの戦後』(半藤一利 ちくま文庫 2009年)
『増補 荷風のいた街』(橋本敏男 ウェッジ文庫 2009年)
『小説永井荷風伝 他三篇』(岩波文庫 2009年)
『『断腸亭日乗』を読む』(新藤兼人 岩波現代文庫 2009年)
『永井荷風巡歴』(菅野昭正 岩波現代文庫 2009年)

September 24, 2017

春日野道から二宮へ

引き続き春日野道周辺を歩きます。

カラオケとマッサージのある路地。

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ミニホテルと書かれた「福美荘」。

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何のお店だったのでしょうね?

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大安亭市場(おおやすていいちば)。
春日野道駅から西へ徒歩5分。
春日野道商店街と並行して南北に走る下町情緒満載の商店街。
大安亭市場は百年を超える長い歴史を持つ商店街で、名前の由来は明治の中期に当地にあった浪花節の小屋の名前とのこと。くだもの屋、野菜屋、鮮魚店や精肉店など、シャッター通り化していない活気のある市場で多くの買い物客で賑わっています。

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阪急神戸線春日野道駅の北東側を東西にはしる大日商店街に到着。
こちらの商店街は開いている店が少なくシャッター通り化していて昼間でも薄暗く寂れている。

「大日商店街とその北側に位置する上筒井通とは、阪急の当時の終点(上筒井)に近く、近傍には関西学院(現・関西学院大学)も立地していたことから、大正後期には非常な賑わいをみせ、「神戸の道頓堀」という異名をとっていたほどである。」(『花街 異空間の都市史』(加藤政洋 朝日新聞出版社 2005年)より)とあるようにかなりの活気を呈していた時代もあったのであろう。

商店街がなぜ衰退していくのか、については、『阪神圏商店街の比較研究 ―コリアタウンと春日野道―』(2014年3月 甲南大学文学部社会学科)が参考になった。

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アーケード街の一番端にある「割塚温泉」という銭湯。
モダン建築風のレトロな外観です。
銭湯のある場所の町名が割塚通となっています。

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大日商店街から少し東に歩いたところの2軒のスナック。
現在はHAT神戸になっている場所にあった神戸製鋼所や川崎製鉄阪神製造所の工場に勤める人たちでこの界隈もかつては賑わったのだろうなぁと思いを馳せる。

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大日商店街のすぐそばにある中西市場。

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中をのぞいてみると開いている店がほとんどない(;ω;)
「カルピ丼」という看板が気になった(´・ω・`)
復活!カルピ丼 春日野道店」という韓国式焼肉丼のお店のようです。
店には表通りから入るのかな?食べたかった(*゚ー゚*)

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生田町の「珈琲&スナック ポート」を横目に見ながら二宮町に向います。

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他サイトで既出のものですが布引町のタイルに彩られた建物発見!
今回の神戸行き、実はこの物件が見たかったからです(^ε^)
これカフェー建築っぽいのですが、Googleマップのストリートビューを巻き戻してみると宝温泉という銭湯だったようですね。

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しばし豆タイル円柱に見とれてしまう(*^ω^*)/

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二階部分を見上げると水色のタイルが目に鮮やか。

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しばし二宮町界隈をブラブラします。

いい感じの建物がちらほら。

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こちらも渋い。

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「お好み焼つくし」

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二宮神社到着。
二宮神社界隈にも花街があり、「二宮検」が設置されていた。花街のあった場所は、中央区琴ノ緒町・二宮町あたりで、敏馬神社のあった敏馬の花街と同じく、神社周辺の花街ということになる。

「二宮神社は、江戸時代の末に、京都の伏見稲荷大社の神様をお祀りしたことに始まりました。神社が建立された当時、二宮神社の門前には大きな花街があり、たくさんの料理屋や茶屋が軒を連ね、笛や太鼓、三味線の音が朝から夜更けまで鳴り響いていましたが、大東亜戦争により、大いに賑わった花街は、ここに幕を閉じました。」(二宮神社のHPより)

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神戸といえば「三宮」の繁華街が有名ですが、三宮という地名の由来となっているのが三宮神社で、一宮神社から八宮神社までの8つの神社があるそうです。二宮神社は三宮駅からすぐ近くにもかかわらず三宮の喧騒が嘘のようです。

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二宮旅館。安く泊れるみたいです。神戸に行くときはお勧め。

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二宮市場。
シャッター街に見える。
祭日に行ったために休みだったのかよくわからないが、寂れた感じが漂っている。

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台風一過の青空の一日。
抗がん剤の副作用でボロボロになった肌には照りつける太陽がつらい。
予定の行程の半分も歩けず、5時間ちょっとの歩きで断念。
次回からはもっと気楽に楽しんで歩ける街歩きにしよう!

敏馬から春日野新地へ

19日(火)の診察で担当医からシスプラチン(抗がん剤)投与は終了すると聞く。シスプラチンを長く続けるのは危険で難聴になることもあるとのこと。22日(金)に急遽CT検査を受けることになった。検査結果をもって今後の治療方針を決めるみたいです。がんは小さくなっているのか大きくなっているのか?吉と出るか凶と出るか。今からCT検査の結果が不安。

春日野新地なるものが前から気になっていて、久し振りに神戸方面に行ってきました。

春日野道に向う前に敏馬の花街跡を訪れてみることに。
阪神電鉄岩屋駅で下車。

阪神電鉄岩屋駅を降りると駅前に「三味線の音色が聞こえた駅」の説明板があります。
これを読むと駅の南側に花街があったようですね。

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駅の南側に行くと神戸で最も古い神社の一つである敏馬神社(みぬめじんじゃ)に出る。
神社の境内には万葉歌碑がいくつかあり、敏馬のかつての賑わいを示す写真等が掲げられていた。

敏馬神社に置いてあったパンフレット『古代の敏馬の泊と敏馬神社』には以下のようなことが書かれてあった。

『敏馬神社』の読み方は、世間では『みるめ』と呼んでいるが、正しくは『みぬめ』と読む。大和時代・奈良時代(5~8世紀)に『敏馬の泊(とまり)』という有名な港があり、中国や朝鮮・九州へ行く人々によって、敏馬が和歌に詠まれ、『万葉集』には9首も収められた。平安時代以降も、白砂青松の美しい海岸『敏馬の浦』として愛され、多くの有名な歌人が歌に詠んだ。明治時代以降は、外国人や大学のボートハウス・料亭・芝居小屋・花街などが出来、海水浴場としても賑わった。その『敏馬の浦』も時代とともにも失われていく。昭和6年頃より、阪神電車の岩屋~元町間のトンネルエ事の残土で、敏馬の浜は順次埋め立てられ、神戸製鋼所の工場となった。しかし、阪神淡路大震災で工場は撤退し、HAT神戸として大きく変貌した。

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敏馬神社に掲げられていた昭和4・5年頃の写真。

帆船・荷車・松の木・・・。神社の南側は海岸線がすぐ近くで、当時、料亭・芝居小屋があった。今この地に立って鳥居のある南方向を眺めやると国道、阪神高速3号神戸線、HAT神戸の高層住宅が見えるばかりで、海は遠くになり見ることもできない。料亭や美しい海岸がすぐ近くにあったとは今となっては信じられないような無機質な風景が広がっている。敏馬の花街は明治30年に創設され、大正時代から昭和初期には、数多くの料理店・お茶屋(貸席)・芸妓置屋がひしめき、三業地として発展していった。今回、阪神電鉄岩屋駅の南側や敏馬神社の南側を念のために歩いてみたが、花街らしい痕跡を見出すことはできなかった。

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敏馬神社のある灘区岩屋中町をあとに春日野新地のあった中央区筒井町に歩いて移動。
程なく春日野道商店街に到着。

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春日野道商店街から横道に入ったスナック、飲み屋が並ぶ通り。

春日野道地域一帯には、かつては神戸製鋼所、ダンロップ、川崎製鉄葺合工場といった多くの大中工場をひかえ、企業城下町として高度経済成長期には多くの労働者で賑わう中、周辺のそこかしこにできた商店街の市場も急速に拡大していき、工場の行員たちが楽しむ飲み屋やスタンドなどの飲食店が繁盛していったのであろう。

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黄色い建物の「すなっくBM」

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こちらもスナック、飲み屋が密集する路地。

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おぉーー、豆タイル見つけたと思ったら・・・。
タイル絵のシートを貼り付けているようで、左側や下は剥がれてしまっている。
タイルもどきですね(^_^;)

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良く見ると「ゆーだい」の後ろの白い建物の二階部分の上への飛び出しがいいですね。

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「スナックバットマン」
ネーミングが(;´Д`)

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「スナックよりみち」「ゆーだい」「スキヤ」

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神戸には、湊川新開地、西新開地(六間道・大正筋界隈)のほかにもうひとつの新開地があり、春日野道商店街界隈は「東新開地」と呼ばれ大正期以降に急速に発展し賑わいを見せた。新地が結成されるまでは料理屋・飲食店では近隣の「二宮検」(琴ノ緒町二丁目)と「敏馬検」(岩屋中町)の両花街から芸妓を呼んでいた。しかし、昭和10年2月に「春日野道雇仲居倶楽部」が組織され、地元の料理屋(料亭)・席貸が「春日野新地会」を結成、花街・春日野新地が誕生した。春日野新地は、戦前は雇仲居だけが出入りする特異な花街(雇仲居倶楽部と料理屋からなる二業地)であった。戦災による影響で、いったんは途絶えてしまったが、戦後の昭和27年7月1日、料理屋営業の許可(9軒)を受け(内実は接客婦40名を抱える特飲店)、青線地区(特飲街)として復活した。その後昭和33年の売春防止法の全面施行により閉鎖した。

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「スナックあけぼの」の路地。

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路地の奥にお好み焼き屋さんがあったみたいですね。
どっちも営業してなさそうですが…。

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マンションの1階に並ぶスナック群。

実は春日野新地の場所はよくわかっていなくて、『モダン都市の系譜 地図から読み解く社会と空間』(水内俊雄・加藤政洋・大城直樹 ナカニシヤ出版 2008年)所収の「特論 8A 花街から赤線へ」に現在の場所は中央区筒井町とあることから、筒井町と春日野道商店街周辺を闇雲に歩いているのであるが、加藤政洋さんのブログには、地元の不動産屋さんから聞いた話として、現在マンションになっている場所がそうではないか、との情報もあり、こういったマンションの1階に入っているスナックはかつての春日野新地の生き残りの店ではないかとも思えてくる。

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「和風スタンド智楽」

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「和風スタンド智楽」の手前の建物の入口上の屋号は「市楽」と読める。
居酒屋だったのかな。

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タイル貼り円柱マニア集合\(^^)/
カラフルなタイル円柱思わず撮ってしまった(*^^*)

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葺合センター街(春日野道商店街と大安亭市場を東西につなぐ商店街)の中にある中村八幡宮。

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なんで扉三つもあるのだろう??

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結局ある方がTwitterで書かれていた「春日野道に残る妓楼っぽい建物」というのはよくわからなかった(>ω<)

神戸散策もうちょっと続きます。

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参考文献:
『モダン都市の系譜 地図から読み解く社会と空間』(水内俊雄・加藤政洋・大城直樹 ナカニシヤ出版 2008年)
『花街 異空間の都市史』(加藤政洋 朝日選書 2005年)
『神戸の花街・盛り場考 モダン都市のにぎわい』(加藤政洋 神戸新聞総合出版センター 2009年)
参考サイト:
ブログ『M K
遊里史研究会- 鷹は舞い降りた 弐-』 遊里史板過去ログ

September 12, 2017

5年振り十三へ

9月9日(土)、大阪・十三でストリップに関するイベントがあるということで久し振りに阪急十三駅に降り立った。十三ミュージックが閉館した2012年11月以来なんと5年振りである。イベントが始まるまで時間があったので劇場があった場所まで商店街の変化を確認しながら歩いてみる。

十三東駅前商店街、十三東三仲町通商店街、十三東本通商店街を通り木川本町商店街へ。あぁここのコンビニ入店前によく寄ったなあとか思い出す。「喫茶 もみの木」「渡辺金文堂書店」とかは全然変わっていない。「野口商店」が、かき氷でひときわ賑わっている。木川本町商店街に入ると花屋さんの阪本園芸とか潰れた中山酒店とかは変わっていなかったが、大きなマンションらしきものが中ほどに出来ていてびっくり。商店街の雰囲気が変わってしまった。

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聞いていたとおり大衆演劇の木川劇場に変わっていた。

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ぐるっと建物の周りを回ってみると木川劇場と書き換えられている中一箇所だけ「十三ミュージック」を残してくれている。

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劇場の前にはのぼりを立てないんですかね?
中にも一度入ってみたいがまたの機会にしよう。

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レトロな商店街を引き返し、会場の西口を目指します。

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十三西口のSAKAEMACHIアーチを潜って会場があるサンポードシティにやってきました。

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サンポードシティの裏に回ると「アルサロ ふうりゅう」があった。
今時店名に「アルサロ」を冠しているのは珍しい。

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会場は5階の「淀川文化創造館シアターセブン」。
お目当てのイベントは『御前珠里/レゾンデートル』です。
大股戒次郎さん自主制作のストリッパードキュメンタリー映画の大阪上映。
大股戒次郎さんのブログサイトで私のブログ「荷風歡樂」にも言及してくれていたことがあって、Twitterもたまに見ていたことから今回のイベントを知った。
なお『レゾン・デートル』は、「存在意義」「存在理由」「生き甲斐」という意味。

9月9日(土)のイベント内容は以下の通り。

(1) 参考上映『MIHO ODORIKO2015』(出演・若林美保)
(2) 本編上映『御前珠里/レゾンデートル』
(3) 御前珠里さん&創作舞踏家・飯干未奈さん(渡辺理緒) 対談イベント
(4) 御前珠里さんのショートパフォーマンス

お客さんは30名程の入りでした(9月8日(金)は、10名だったとか)。

若林美保さんのドキュメンタリー作品『MIHO ODORIKO2015』中の彼女の演目は、『ロマネゴシック』『雨月物語』で、2015年の道後ミュージックで撮影のものかな?

本編『御前珠里/レゾンデートル』の御前珠里(みさきあかり)さんの演目は自縛というのか緊縛というのか、劇場の天井から降ろしたロープに縄をつないで自ら吊り下げられながらも、縄を巧みにそして自在に操り芸術として魅せ観客を魅了する。

一人の女性に恋して振られるという経験、ストリップへの関心、SMへの目覚め、そんなことを経て、御前珠里さんは2012年、池谷しずくの名前で浅草ロック座所属としてデビュー。しかしアイドル志向のロック座らしくないアングラな独自の演目は周りからバッシングを受けた。SNA、仙台ロック、川崎ロック、浜劇とロック系の小屋をひととおり回って、その後お呼びがかからなかったという。その後フリーランスに。フリーランスのストリッパー(兼AVモデル、舞台女優、ポートレートモデル)というのはフリーランスの外科医・大門未知子のようでなんかかっこいい。本日の若林美保さんの映像を後ろ席で見ていて泣いたそうです。フリーランスとして他の劇場には出られなくなった時、力になってくれたのが若林美保さんだったとのこと。浅草ロック座を辞めた踊り子はいつ他の劇場に出られるかわからない。そんな時連絡したニュー道後ミュージックの人から自分がやりたい好きなパフォーマンスを好きなようにやって良いと言われた。一時期十三ミュージックや関西ニューアートともチェーン店関係だったニュー道後ミュージックは、所属の劇場がなくなりコースのなくなった踊り子さんやフリーランスのストリッパーにも優しい劇場だった。彼女が道後温泉駅に着いて駅前に立つとホームに帰ってきたようでほっとするのであろう。ニュー道後ミュージックでは物販も担当している。年に3・4回ぐらいしか出演しないけど、道後ミュージックだけでも出たい、ずっとここだけで踊っていたい...と。今後は、四国各都市を回る、四国ツアーを企画しているそうです。

若い御前珠里さんと元十三ミュージックの伝説の踊り子・飯干未奈(渡辺理緒)さんの対談は、二人の世代がだいぶ違う分ぎこちないところもありましたが良い対談でした。客席に元・十三ミュージックの風見愛さんの姿も。風見愛さんの名前はどこかで聞いたことがあるなぁと思ったら、以前記事に書いた「十三ミュージック 素顔の踊り子たち」に出演されている方でした。

これも以前記事に書いた「踊り子伝説」のイベントで当初予定していた木川劇場(元十三ミュージック)が使えなかったことの理由について、飯干さんによると「家主さんから直前になって止めてくれないかと言われダメになった(踊子伝説と謳っていたので、いかがわしいことをされても困る)。」とのことで、長く疑問に思っていたことが解決。なお、あの十三ミュージックの巨大なミラーボールは現在「座 三和スタジオ」にあるそうです(座 三和スタジオと木川劇場、天満座は同じ経営とか)。飯干さんが、舞台で合わせるのに、ストリップ、大衆演劇、宝塚のこの三つはちょっと顔を合わせただけで呼吸が合う、というようなことおっしゃっていたのも印象に残った。

ストリップを「未来に大衆の文化として残す」ということが主催側のテーマで、それに対して未来の踊り子さんに向けてのメッセージをと言われても難しいですよね。ストリップは今にも消え行きそうな斜陽産業。数少なくなってきた今いる踊り子さん達が、舞台の上で記憶に残る素晴らしいショー(パフォーマンス)を見せること、それをストリップファンがささやかながらも応援していくこと、ということが大事なのかなぁとは思う。

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対談の後、御前珠里さんが予定外のショートパフォーマンスを披露。
撮影OK、SNS・ブログ公開OKということで撮ってみました。

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前の席じゃなかったのでうまく撮れなかった(>_<)

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レゾンデートル上映会終了。

一スト客が自主制作した作品なので映画作品として見るとつまらなく退屈に感じられるが、自力で生きる事を決めた一人のフリーランスの踊り子の生き様や存在意義(レゾンデートル)を描いたドキュメンタリー作品として見れば興味深いものがあり、 日本ストリップティーズ70年の歴史の中の現在のストリップの映像を後世に記録に残すということでは意義のあることと感じた。しかし、若林美保さんの作品もそうなのであるが、演目中のダンスやベッドの曲が実際に劇場で使われている音楽でなく、BGMに置き換えられているのは違和感を感じるし劇場の生の臨場感が伝わってこなくて残念(音楽の著作権の問題?)、つまらなく感じる要因の一つになっているのでは…。

十三やKNAにも自縛ショーをする女の子がいたなぁー。
御前珠里さんには叶わぬこととはいえ十三ミュージックの綺麗なステージに上がらせてあげたかったなぁー。
飯干未奈さんにはまた「踊り子伝説」のようなイベントを開催して欲しいです(^ω^)

September 08, 2017

世間師と渡世人

8月24日(月)に入院して9月4日(月)退院。
シスプラチン+アービタックスの化学療法2コース目終了。
今週は5日(火)と8日(金)が外来。
鎖骨上のリンパ節に転移したがんは大きくはなっていないようで現状維持。
抗がん剤でなんとか押さえている感じです。

病室は初日のみ部屋の空きがなくて個室になる以外は4人部屋での生活。
入院時にはだいたい5・6冊の本を持っていく。
4人部屋なので色んな患者さんがいるし、見舞い客も多くて静かに本を集中して読める環境ではなくて、逆にストレスが溜まることも多い(耳栓が必需品になった)。4人部屋といってもカーテンの仕切りで区切られていて、同室の患者さんとの交流は全くなく寂しいものです。「男はつらいよ」の寅さんが病院の大部屋で患者さんや見舞い・付き添いの人を集め、大声でテキヤの啖呵売や口上を述べたり、旅の途中のおもしろい話を吹聴して皆を笑いの渦に巻き込むなんてことは現代の病院にはないのである(大抵寅さんは医者や看護師に注意されているが…)。

今回持ち込んだ本の中から。
『あの山を越えて 行乞記一』(種田山頭火 春陽堂書店 昭和54年)
『死を前にして歩く 行乞記二』(種田山頭火 春陽堂書店 昭和54年)
『種田山頭火の死生 ほろほろほろびゆく』(渡辺利夫 文春新書 平成10年)

行乞記は昭和5年から昭和7年までの九州地方・中国地方西部をめぐる旅日記。
行乞というのは、托鉢・乞食のことで、僧が修行などのために鉢を持って経文を唱えながら人家を回り、米・お金をもらって歩くこと。

昭和5年9月25日

旅のエピソードの一つとして、庄内町に於ける小さい娘の児の事を書き添へておかう、彼女はそこのブルの秘蔵娘らしかつた、まだ学齢には達しないらしいけれど、愛嬌のある茶目子だつた、私が家の前に立つと、奥へとんでいって一銭持ってきてくれた、そして私に先立つて歩いて家々のおくさんを探し出しては一銭を貰つてきてくれた、附添の女中も何ともすることが出来ない、私はありがたいやら、おかしいやらで、微苦笑しつゝ行乞をつゞけた。

興味深かったのは山頭火は自らを「世間師」と呼んでいること。
「男はつらいよ」の寅さんは、揉め事を起したり失恋して柴又を去り旅に出なければならなくなった際に、「そこが、渡世人のつれぇところよ・・・」とお決まりのように言い、自らを「渡世人」と認識している。

「世間師」というのはあまり聞きなれない言葉。
何だろうと思い「世間師」と「渡世人」の意味を広辞苑でそれぞれ調べてみると、

世間師 … 世情に通じて、巧みに世渡りする人。世なれて悪賢い人。
渡世人 … (無職渡世の人の意)博打(ばくち)打ち。やくざ。

んんー、わかったようなわからないような説明なのだが、山頭火の世間師も「フーテンの寅さん」のような渡世人も似たような存在であったと言えよう。

世間師である山頭火は、いわゆる托鉢、お経を唱えながら人の家の門の前に立ちお金を恵んでもらう。それでもお金は足りず、知人、支援者(パトロン)、地元の後援者からの喜捨によって生活が成り立っている。金が底をついては知人・友人(句友)・身内に無心の手紙出す。泥酔しての無銭飲食によりに警察のやっかいになり息子の世話になる山頭火。基本自分は働かずにお金を得ている。なるほど・・・、「悪賢い人」とあるのもわかるし、渡世人のようなヤクザな人にも思える。

一方、自らを「渡世人」と呼ぶ寅さんは、金も持たずに無銭飲食したり、芸者を呼んでの盛大な宴会をひらき後からの請求に驚いたり、長期滞在の宿の支払いが出来なくなったりで警察のやっかいになり、さくらに旅先まできて貰い世話になることもしばしば。しかし寅さんは山頭火と違いテキヤ家業で自分で稼いではいたので「やくざ」な人にも思えない。しかしテキヤの啖呵売というのは実際見たこともないなぁ…。日本全国の旅に出ていた寅さん。どれほどの稼ぎがあったのだろうか。昔は正月とか神社仏閣の縁日、秋や夏のお祭りとかに露店が出ることが多かったんですかね。今は地方も含め露店が多く出るような賑やかな縁日・お祭りが少なくなってきているのかあまり見かけない。いつもマドンナが一緒の勘定の時に舎弟に「これで払っとけ」と財布を投げ出すけど、大抵財布の中はわずかしか入っていなくて足りないという落ち。

「山頭火と歩く」(村上護、吉岡功治 とんぼの本/新潮社 1994年)に「世間師」について書かれてあった。

明治から大正、昭和の前半にいたる時代には、山頭火のように木賃宿に泊って世間を渡り歩いている人は多く、いわば社会の底辺に生きる世間師たちとの木賃宿での交流を山頭火は『行乞記』の中に記している。
「昭和五年の後半約二か月間に同宿となった特色ある世間師たちを、『行乞記』の記述から拾い出してみよう。
 宇部の乞食爺さん、虚無僧、ブラブラさん、行商人、修行遍路、エビス爺さん、尺八老人、絵具屋、世間師坊主の四人組(真言、神道、男、女)、箒屋、馬具屋、松葉エツキス売り、按摩兼遍路、研屋、薬屋、鋳掛屋、お札くばりの爺さん、飴売り、テキヤ、子連れの大道軽業芸人、ナフタリン売り、土方のワタリ、へぼ画家など。」
他にも、旅芸人、旅絵師、猿回し、親子連れ遍路、印肉屋、売卜師、競馬屋、活弁、八目鰻売、勅語額売、櫛売、人参売、浪花師屋、曲搗きの粟餅屋などの世間師と出会った。寅さんのようなテキヤ稼業も世間師の分類にはいる。木賃宿で山頭火が一緒に暮らした世間師たちは、一癖も二癖もある人間で社会からの落伍者でもあった。しかし、これらのいわゆる世間師たちも現在は姿を消してしまっている。

昭和5年10月1日

酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ(こゝでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うて二コニコするのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである)。

昭和5年10月10日

今日の行乞相はよくもわるくもなかった、嫌な事が四つあつた、同時にうれしい事が四つあつた、憾むらくは私自身が空の空になれない事だ、嫌も好きもあるものか。

昭和5年10月20日

歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。

昭和5年11月1日

Gさんに、--我々は時々『空』になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。

昭和5年12月4日

さみしいなあ--ひとりは好きだけれど、ひとりになるとやつぱりさみしい、わがまゝな人間、わがまゝな私であるわい。

昭和6年12月23日

一杯ひっかけて入浴、同宿の女テキヤさんはなかなか面白い人柄たつた、いろいろ話し合つてゐるうちに、私もいよいよ世間師になつたわいと痛感した。

昭和7年1月9日

人生五十年、その五十年の回顧、長いやうで短かく、短かいやうで長かつた、死にたくても死ねなかった、アルコールの奴隷でもあり、悔恨の連続でもあった、そして今は!

昭和7年2月28日

生きるとは味ふことだ、酒は酒を味ふことによつて酒も生き人も生きる、しみじみ飯を味ふことが飯をたべることだ、彼女を抱きしめて女が解るといふものだ。

昭和7年3月14日

楽湯--遊於湯--何物にも囚へられないで悠々と手足を伸ばした気分。
とにかく、入湯は趣味だ、身心の保養だ。

昭和7年4月9日

世間師にもいろいろある、殊に僧形を装うていろいろの事をやつてゐるが、私は行乞を尊重する、ガラ(行乞の隠語)が一等よろしい、かへりみてやましいところがない(いや、すくない)。

昭和7年7月28日

長い暑い一日がやうやく暮れて、おだやかな夕べがくる、茶漬さらさら掻きこんで出かける、どこへといふあてもない、何をしようといふのでもない、訪ねてゆく人もなければ訪ねてくる人もない現在の境涯だ、たゞ歩くのである、たゞ歩く外ないから。--

昭和7年9月14日

今日は誰にも逢はなかった、自己を守つて自己を省みた、--私は人を軽んじてゐなかつたか、人を怨んでゐなかつたか、友情を盗んでゐなかつたか、自分に甘えてゐなかつたか、私の生活はあまりに安易ではないか、そこには向上の念も精進の志もないではないか。--

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霧島は霧にかくれて赤とんぼ

越えてゆく山また山は冬の山

まつすぐな道でさみしい

どうしようもないわたしが歩いてゐる

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山頭火にとっては歩くことが全てだったのかなぁという気がしている。
ただ歩く、歩く、ただ歩く、歩けるだけ歩く。
私も歩く事が好きで20年ぐらい前に小郡の其中庵や松山の一草庵を訪れた時のことを懐かしく思い出した。

昨日9月7日(木)にBS朝日で放送された「BS朝日 ザ・ドキュメンタリー 渥美清~知られざる寅さんとの闘い~」を見た。「男はつらいよ」シリーズの車寅次郎という当り役を得たが、このシリーズが長く続いた故に、他の役になじまず、役者として苦しんだという。

『人間 種田山頭火と尾崎放哉』(Town Mook 日本および日本人シリーズ 徳間書店 2013年)や昨日BS朝日で放送された早坂暁インタビューによると、渥美清は関心を持っていた尾崎放哉を演じてみたいと願って、脚本家の早坂暁氏と一緒に小豆島まで調べに行ったが、都合により断念、次に山頭火をやってみようということになり、今度は松山まで一緒に取材して歩いたが、諸々の事情によりそのドラマ(『山頭火 何でこんなに淋しい風ふく』)への出演は叶わなかったという。風天と号し山頭火ばりの俳句を残した渥美清は種田山頭火を本当は演じたかったんだろうなぁと思うのであるが今となっては見果てぬ夢である。

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