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July 08, 2018

西成徜徉記(42)

今回歩く太子、山王界隈についてちょっと事前に調べてみました。

 公認の飛田新地とは別に、昭和の戦前から戦後にかけて飛田本通(今の動物園前商店街から飛田本通商店街にかけての通り)を挟んで西側・東田町一帯(今池町、霞町付近も含む)と東側・山王町一帯は散娼型の一大私娼街を構成していた。南霞町から阿倍野へ向かう国道を横断して南側から南海電車天王寺線の踏切に至るまでの処や新地周辺の街頭には、街娼(パンパン)やポン引き、見張などが立ち、周辺には料理店、旅館、下宿、簡易アパート、娼家(素人媒合宿、パン宿)等が散在するという組織化された売春業者の巣窟が西成に存在していた。また同時期のこの一帯は大阪の男娼街の巣窟としても有名であった。今池本通りが大阪男娼街のメインストリートであり玄関口にあたったという。

 また西成区の山王町一帯、阿倍野区旭町一帯には無数の旅館とホテルが立ち並んでいた。最も密集している地域は阿倍野から西へ国道をだらだらと下る道路の両側、南海天王寺線の踏切附近で十数軒の旅館・ホテルの看板がぎっちり詰っている旅館の街を思わせるものがあった。それらのお客さんは殆ど二人連れで温泉マークのアベック・ホテル・連れ込み宿として機能していたという。一方で釜ヶ崎(広義の釜ヶ崎:東田町、今池町、霞町、東入船町、西入船町、海道町、甲岸町、山王町、東萩町)は大阪の代表的スラム(貧民街)であった。所謂、百軒長屋・カンテキ裏・漬物裏・稲荷裏と呼ばれる蜂の巣の裏長屋群は、傾きかけた軒と真っ黒に燻った残骸を晒し続けていたとのこと。

 新世界ジャンジャン街より関西線のガード下、飛田本通両側、旭町通り一帯は大阪のカスバと言われる暗黒街だった。しかし売春防止法施行から60年も経ち世の中は変わった。カスバ・暗黒街と呼ばれたこの街も今は普通の住宅地、商業地・・・いやいや今も濃い住宅地、濃い商業地かな(汗)。

上記は下記の4冊を参考。
「大阪の男娼街」(平井蒼太 『犯罪実話』昭和7年5月号)
「大阪賤娼街曝露記」(平井蒼太 『犯罪実話』昭和7年6月号)
※平井蒼太は江戸川乱歩の弟。
『奇譚クラブ 昭和26年10月号』(「大阪艶笑地図」と題した飛田界隈の特集)
『大阪の婦人保護 第1部 売春の実態』(昭和36年1月 大阪府民生部)

こういうことを知ってから歩くと街の見方もまた変わってくる。

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人生やり直し道場。人生やり直したくないよ(´∀`)

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旧東田町のコの字型の路地。

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廃屋の向こうにあべのハルカスが見える。

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丸窓がいい感じ。何のお店だったのか気になる。

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入口の上の方に竹を一本横に通していて、その右上には何かをぶら下げるような器具が残っている。

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お好み焼き「ちとせ」は、トリップアドバイザーでの評価が高く最近は外国人観光客で賑わっているそうです。

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以前は角打ちをやっていた老舗の「上杉酒店」も閉店されたのかなぁ。
立派な木彫りの看板の後ろは見事なタイル張りです(*^ω^*)/

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ナショナルの古い看板。

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