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2019年4月14日 (日)

大阪

父の容態がかなり悪く、街歩きはまたもやストップ。

加藤政洋さんの新著『大阪 都市の記憶を掘り起こす』(2019年4月 ちくま新書)を読んだ。

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梅田、難波、梅田地下街、船場、阿倍野、新世界、飛田新地、釜ヶ崎、津守、十軒路地、四貫島・・・。

自分が好んで歩く街が出てきて楽しく読めた。
人文地理学者の街の見方は違うなぁと感心するし勉強になる。これを読んで街歩きの時に見える景色ががらりと変わるかと言われても多分変わらないと思うし、自分は自分なりの街の見方しかできないんだろうなとは思う。もし学生に戻れるのなら人文地理学を学んでみた。それは無理そうなので加藤さんが時々開催されている巡検(まち歩き)に参加して一度一緒に歩いて見たい。

負の遺産からの解放。
投資信託による再開発事業(オーク200、ビッグステップ、オスカードリーム、フェスティバルゲート)の失敗をみてもわかるように、大阪では何でもかんでも高さだけを求めたタワービルを造ったり、箱モノの大型商業施設や遊戯施設を造ったり、というのはうまくいかない。人口がこれから減っていくという中、2025年開催の万博やIR誘致に向けて同じことは繰り返さないで欲しいと願う。弁天町の新しく出来た温泉施設。あんな高い料金で誰が利用するのだろう?。加藤さんの言われるように「場所性や地理歴史的な文脈を一顧だにしないインプラント(埋め込み)型の開発事業」はもう終わりにして、中崎町のような大阪の古い街並みを残していくこととかにお金を使って欲しいと思う。

読んで思いついたことを3ヵ所ほど。

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ウメダ地下街

私が大阪に住み始めたのは1980年の中学3年の時。
父の転勤で母の実家のある寝屋川に引っ越し。
三重県の片田舎から出てきたので大阪はすごい大都会に感じたものです。

一番最初に慣れ親しんだのは予備校に通ったりした梅田(キタ)かな。
「第2章 ラビリンスの地下街」で「地図にない街」と紹介される梅田地下街。しかし、私が一番最初に買った「大阪区分地図」(1980年2月発行 ナンバー出版)には、地下街の地図も収録されていて重宝していた。

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今ははき「全国銘菓名物街(ふるさと名産コーナー、アリバイ横丁)」「松葉」「ぶらり横丁」と懐かしい。地下街には新聞スタンドもありましたね。「萬字屋書店」は通ると必ず寄ったよなぁー。いないいないバー?。今もある「ミンガス」というかカレーショップは良く利用した。

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四貫島

「第4章 葦の地方へ」に千島橋・四貫島の私娼窟のことが出てくる。

3年程前に四貫島を歩いて、私娼窟の場所とかはわからずめくらめっぽうに歩いていたが、散在していたと思われる私娼窟の場所の一つが本章に記されている。

四貫島 その一
四貫島 その二
四貫島 その三

住吉市場、四貫島市場、映画館山口座、茨住吉神社(住吉神社?)があって、確かに住吉神社前から斜め南東に延びる道があるが現在は幅一間程の細い道ではなく、だだっ広い普通の道路である。昭和36年の住宅地図で見るとその通りには、スタンド、バーなど飲食店らしき店が8軒程並んで私娼窟の名残を感じさせるものがある。

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新世界

「第5章 ミナミの深層空間」

「この一帯(新世界)に散在する、艶のある名前を冠した路地──いろは小路、若葉小路、花見小路、見返小路──に注目されたい。永井荷風の描く「狭斜の巷」が、ここ新世界に再現されていたのだ。」

このくだりを読んで加藤さんの共著の本をもとに新世界の路地を歩いたことを思い出した。
ホウ、大阪!
2009年5月の記事なのでもう10年前か。
あの界隈は仕事帰りに酔っぱらいながらよく歩いていたなぁー。
当時システムの運用の仕事をしていて、出勤が朝早いシフトの時は4時に仕事が終わるので次のシフトの人に早めに引き継いで大阪の街に繰り出す。本町・船場から心斎橋筋商店街、戎橋筋商店街、難波、日本橋、新世界、ジャンジャン横丁、飛田本通商店街、飛田新地、旭町、阿倍野と飲みながら歩く。それで仕事の憂さを晴らしていたのだ。

2006年10月の写真より。

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旧花街「南陽新地」のスナック街。

4/20(土)にBSテレ東で放映された第27作目「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」を見ていると、後ろの青地の「CLUBおはる」の看板(朝帰りの芦屋雁之助が新世界ホテルに向かうシーン)と、斜め扉タイル貼りの建物(松坂慶子が新世界ホテルを早朝抜け出してタクシーに乗り込むまでのシーン)が映りこんでいるのに気がついた。

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路地裏。「土方センター」の入口付近。右隣の趣のある建物が気になる。

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斜めの扉とタイル貼り。今ストリートビューで見ると建て替わっているみたい。

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コメント

四貫島の歓楽街、図書館の戦前の地図から知ったのですが、戦災消失区域のうえに、歓楽街の中ほどにあった此花公園が此花区役所になって、此花公園は2~3区画西に移転してる感じでしたよ。

ご教示ありがとうございます。
『大阪市戦災焼失区域図』というのを見ましたが、おっしゃる通り四貫島界隈はほぼ焼失していました。
戦前と戦後では街の様子も様変わりしていて、色んな施設が移動していたり、路地も拡張工事で広くなっていたりと、戦前の場末・新開地の面影を探すことは難しそうですね。

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