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関西ニューアート

December 28, 2017

年の瀬

26日(火)が今年最後の通院。
外来化学療法科でいつもの点滴。

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先月から血液検査の数値が悪化。
食欲のない日が続いていたこともあって街歩きも自粛。
この日の血液検査は数値がいつもより良くなっていたのでひと安心。
体調も持ち直して良くなってきた感じ。

しかしこの抗がん剤治療いつまで続けるのだろうという気持ちはある。
止めてしまえば余命半年?
高い治療費を払って治るのか治らないのかわからない治療を続けるのも考え物だし…。

今年は同じく抗がん剤治療で闘っておられた関西暇人さんが白血病で9月に亡くなられたのはかなりショックだった。
私が関西ニューアートによく通っていた頃の常連さんで、掲示板はいつもチェックしていた。掲示板では元従業員である卓也さんとの関西ニューアート時代の思い出話のやりとりが絶妙でおもしろく当時の雰囲気を知る貴重な記録にもなっている。
関西暇人さんは日記も残しておられた。
写真が引用されていたところをみると、私が書いた「踊り子伝説 -永遠の舞姫たち-」を読んでくれた模様。この記事中の写真をよく見ると関西暇人さんの後姿が写っている。

改めてご冥福をお祈りいたします。

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さて今年も残すところわずか。
この1年思い起こすと恥ずかしきことの数々、今はただ、後悔と反省ばかり(寅さん風)・・・。

今年も拙ブログの愛読ありがとうございました。
また多くの励ましの言葉ありがとうございました。

来年も気の向くまま何かしら書いていこうと思っています。

良いお年を。

December 25, 2016

関西ニューアート 2001年~2003年 ブログ以前

K1612241昨夜は夕食にローストチキンを食べたあと、近所の教会の「主の降誕 夜半」のミサに行ってきました。

当ブログのコメント欄で素人嬢通信のサイトが終ってしまったことを聞いて、自分がよく書き込みをしていた事を懐かしく思い出した。

ブログのアクセス解析をみると「関西ニューアート」のキーワードの検索で訪問してくる人がいまだに多い。十三ミュージック編に続いて関西ニューアートについて素人嬢通信やSWEETさんのところに過去に書いたものを掘り起こしてみた。

2001年~2003年←ここをクリック

あまりにも下手な文章で自分でも読み返すのが恥ずかしいのだが、若気の至りということでお許し下さい。みんな私が書いたものなので自分のためにも残しておきたかった。たまにいい事を書いていたり、今読み返すと時代を反映している部分もあって貴重な記録だったりする。

素人嬢通信やSWEETさんのところに過去に書いたもののほんの一部分だけを復活しています。

素人嬢通信のログは、「Wayback Machine」からアーカイブを探してきて見ることができるがちょっと面倒。SWEETさんのところは廃業した劇場のリンクは消えていても過去ログは残っていました。

十三ミュージックに関しては以前書いた下記ページ中に記載のリンクを参照して下さい。

ブログ以前~2001年-2003年

2001年から2003年にかけては以前勤めていた会社を辞めた後仕事にも就くことができなかった時期で、たまたま2001年3月1日に訪れた関西ニューアートで関西ニューアート所属の’あさくられみ’さんのデビューステージを見てショックを受け、何度か劇場に通ううちに関西ニューアートや十三ミュージックの素人嬢にも嵌っていくというパターンでした。その後、あさくられみさんの応援で、関西の劇場に出演する際はぼちぼちと見に行っていたのが、それがだんだんと嵩じて地方の劇場にも遠征するようになりました。それが野毛劇場、川崎ロック、若松劇場、ニュー道後ミュージック、渋谷道頓堀劇場、A級小倉劇場のレポになっています。

しかし、当時は仕事もせず朝からお酒を飲むという荒れた生活を続けていたので、日に日に体調をくずしつつありました。体調の悪さが影響してファンとしての遠征は約半年しかもたなかった。

その後、2002年にはいるとあさくらさんに関する掲示板が荒れたりで私も混乱。2002年4月にはSWEETさんの掲示板からは撤退。あさくらさんには、私のまずい文章や余計な事を書いたりで迷惑をかけていたんじゃなかろうかと反省している。これに懲りてかその後は特定のプロの踊り子さんの応援にはつかずもっぱらに関ニュー・十三の素人専門になったわけです。

2003年になって急激に書き込みが減ったのは、2002年9月10日(火)に関西ニューアートが公然猥褻および幇助で摘発され、10月1日に一旦営業を再開したものの、2003年2月1日から営業停止(2003年10月1に営業再開)になったこともあるが、私自身が2003年はアル中(アルコール依存症)でほとんど廃人状態でした。2003年12月に意識を失い病院送り。2004年になんとか体調を持ち直し、3月からは仕事も再開し、ココログ(@niftyのブログ)を立ち上げ今にいたるというわけです。

後は、若干の解説というかメモを。

■伏字について
素人嬢の名前や劇場名を一部伏字にしたりしていなかったりで統一されていなくて、その時のきまぐれみたいのなものです(´∀`)。ただ伏字について問題がいくつかありました(ストーカー問題もあった)。曲名が伏字になっていたりするのは、劇場で使われる音楽が無断使用だったのかJASRACにからんで明記するのがタブーとされていました。もう一つは、素人大会が全盛の頃の十三・関西ニューアート・九条・DX東寺間の移籍の問題。80年代の新日本プロレス、全日本プロレス間の外国人レスラーの引き抜き合戦のように、素人嬢の劇場間の移籍がよくあって、繊細な問題でした。女の子はバイトで契約書みたいなものはあってないようなものだったと思われます。十三ミュージック・関西ニューアートは系列館(?)であったとはいえ、女の子の移籍について書くのはタブーとされていました。

■あさくられみさん
2001年08月08日の書き込みの「西成のアイドル」「西成の星」というのはいいなぁー(^ε^)♪
シールがまだあったはず。あれだけのステージを見せるためには相当ダンスの練習はされていたんだろうなぁと今になって思う。あさくられみさんは浅草ロック座にも出演したと聞いていたが、いつのったかは確認がとれなかった(2004年の5月後半?)。
デビュー時は二十歳だったので、今年35歳になる。どこでどうしているのだろう・・・。

この後を読んでいくと、2001年はアメリカ同時多発テロ事件がおきた年で、浜崎あゆみの『no more words』の出し物について、アメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした世界平和への祈願をモチーフとして捉えていた節がみられる(;´Д`)
『この世に生きとし生けるもの、この世界誰もが勝者でも敗者でもない。』

■川崎ロック
まだ川崎・南町のちょんの間に灯りがともっていたころで、深夜の南町はかなり怖かった。
東京時代は川崎から対岸にあたる東六郷に住んでいて、川崎でへべれけになるまで飲んで、六郷大橋をふらふらと歩いていたものです。友川かずきの中原中也作品集『俺の裡で鳴り止まない詩』の中の「桑名の駅」をもじった替え歌が出てきます(^_^;)

■若松劇場
野毛劇場、若松劇場は閉館してしまった。
船橋新地にも訪れていて唯一残っていた遊郭時代の建物『吾妻屋』も見ているのだが、今はもうないと聞いた。

■新開地商店街
そういえば「びっくりラーメン一番」という180円のラーメンが売りのチェーン店がありましたね。いつの間にか消えてしまった。

■サニーパン
小倉駅前のシロヤベーカリー「シロヤ」の「サニーパン」。
2001年時、1個60円でした。現在(2016年)の価格は90円。15年前より30円アップしている。

■九条OS劇場
2001年12月14日の記事中の「カクテル光線と繁華な街、ジャズとピアノの演奏、バーボンとウォッカの香」。このフレーズのところ、なんか好きです(~_~;)

■校長先生、他
校長先生は関西ニューアートの名物常連のおじいちゃんで、ほぼ毎日見かけた。
元校長先生で英語の先生だけあり開演前に英字新聞なんかを読んでいた。定年なってからのストリップ通いだったんでしょうね。私とはあまったチケットをいただいたり、色々お話を聞いたりと割と仲が良かった。摘発後の2003年1月まで来ていたけど、2003年10月1日に営業を再開して以来、見なくなった。レナちゃんと個室に入っているのを見たことがあり、びっくりしたことがある(中でお喋りしていただけと思うが…)。
その美神レナちゃん、復帰した後はかなり痩せていて体調もよくなさそうに見えたけど元気にしているだろうか?彼女に会った時、『「この業界に来る様な人じゃない。」と店員に言われた。』という話を聞いた。店員の言うことも一理あるように思えたが、彼女が決めた人生だし、自分があれこれ口出しできるような立場にもないので、それ以上議論にはならなかったけど、彼女のその話だけは、今も妙にこころの片隅に残っている。

店にいた女の子とその後再会するということはそうそうない。
当時現役女子大生だったかんなちゃんに一度ホワイティうめだで偶然会ったことがあった。あと、ゆみちゃんという人妻で昼の部に出ていた地味な女の子がいてよくオアシス(店内のラウンジ)で話しをしたが(素人嬢は結婚しているとかバツイチの子が多かった)、旦那さんに不満があったようでそういった愚痴とかをよく聞かされていた。その後、彼女が辞めてから偶然百貨店で彼女が旦那さんの後ろから数歩離れて歩いているのを見かけた。あまり幸せそうにはみえなかった彼女の表情が今も忘れられない。
みなさん幸せに暮らしてくれているといいんですけどね。

■みらいちゃん(2代目)のブログを見ると、年明け1月8日(日)に心斎橋の「Bar Theatre LUDO」でKの祭典(兼、みらいちゃんのバースデーイベント)を行なうようです。

(続く)

April 18, 2016

関西ニューアート閉館

あわただしく過ぎた4月前半を振り返る。
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4月4日 病院でCT検査。その後、お花見。

4月8日 久し振りにデート

4月12日 病院にCT検査の結果を聞きに行き、異常なしであった。ホッと一安心。またしばらく頑張れそう。放射線科の診察も今日が最後だった。昨年の8月以降、PET検査、MRI検査、CT検査と受けて、それでも不安がぬぐえないのは何故なんでしょう。

4月14日 21時26分頃、熊本地方で大きな地震とのニュース(前震)

4月16日 1時25分頃、大阪の我がマンションでも揺れを感じる(本震)
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『新日本艶笑地図(じゃぱん・えろちっく・びゅーろー)』を読んだ。
(平成28年2月 カストリ出版 原書『青春タイムス』 昭和26年)

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「京都の巻」では、ランク分けされた色街中C級に扱われている橋下(五條)の記憶が甦る。
その五條楽園も2010年の摘発を機に営業をやめてしまった模様。最後にあがったときのことを写真付きでちらっと書いたような記憶があり、探してみると2006年10月の記事でした。
だいぶお酒がはいっていて酔っ払った勢いで写真を写したような感じですね(;;;´Д`)
軒先の灯りのついた提灯とお店の中の金魚鉢の水槽が見える。

「ヨコハマの巻」などを読むと昔のカストリ雑誌特有の用語なのか、隠語・俗語のような言葉が随所に出てきて興味深い。ズージャ語だったり、あるいは極道用語、香具師の隠語だったりと、色々調べてみるとおもしろいかも。

ヤサ(家、宿屋)
ドヤ(宿)
マブネタ(上客)
ショバ(場所)
バイショウ(商売)
ドヤナマ(旅館代)
パイラー(ポン引き)
シャリキマン(輪タク屋)
ヤバイ(危険)
リョウフ(不良)
ヤチモロ(貞操観念希薄)
ジキパン(乞食パンパン)
フレンドパン
バタフライパン
洋パン
和パン
闇パン
スケ(女)
パン助
アオカン(野天)
ネタ(客)
ヒモツキ(男がくっついている)
アプレゲール
パシタ(パシリ、使い走り)
アプレゲール(戦後派)
トウシロ(素人)
ワンサガール(大部屋女優)
ノーズロ(ノーズロース)
アイマイ屋
風太郎

最後の風太郎は、広辞苑によると、「「プータロー」。第二次世界大戦後、横浜桜木町駅周辺にその日の働き口を求めて集まった日雇い労働者。風の如く集まり風の如く散ったところからの名という。転じて、定職についていない人。ふうたろう。」とある。横浜桜木町は発祥だったとは知らなかった。

風太郎といえば、私がプータローだったころ十三ミュージックとともに一番良く通ったのが素人専門のストリップ劇場である関西ニューアート。
その関西ニューアートが4月10日やむなき事情により突然閉館したと聞きびっくり。

かつてほどに魅力を感じなくなっていたので、今年に入ってからは一度も足を運んでおらず、最後を見届けることが出来なかったのは残念でした。女の子の人数とかレベルとかは十三に較べるもなく寂しいものがあり、お気にの嬢ができなければつらい劇場になっていた。それでも十三ミュージックが廃業してからは、お立ち台が残っている唯一の劇場で、その魅力に惹かれて昨年まではたまに行っていた。十三ミュージックの遺伝子ともいえる十三に出演していた子も何人かいたので、かつての思い出に浸るために惰性でいっていたみたいなところもあった。ストリップ劇場から個室サービスが消えていった中で、細々と後ろのブースで抜きが最後まで行なわれていた貴重な劇場であったと言える(裏モノJAPANに載っていた関西ニューアートの記事はだいぶ誤解をまねく内容になっていたが…)。

<昨年2回の観劇の記録>

2015年9日11日
病後はじめての関ニュー。
かえ、えりか、みらい、ゆき
かえちゃんは『津軽海峡冬景色』で、みらいちゃんは平井堅『いとしき日々よ』とMISIA『逢いたくていま』だったのを記憶。

2015年11月18日
2015年2回目の関ニュー。みみちゃんに久し振りに会う。
みみ、みらい、さやか、エマ
みらいちゃんはダンスよりベッドには魅せられるものがあった。ベッドショーの時にみせる見事なえびぞりブリッジとか開脚のポーズが見事に決まっていて美しかった。
人気もののエマちゃんは水曜日によくでていたのだろうか。日、月と聞いたよしのちゃんには一度も会わずじまいだった。
この日のことは12月4日の記事にちょこっと書いた。

ダンスとベッドはだいたい5曲ぐらいと長く、プロの踊り子さんのショーではないので同じ振りの繰り返しになることもありちょっと厳しい面もあったけど、自分好みのアイドルブルブリ系のすごく好きなショーもあったし、渡辺理緒さんの振り付けなのかなと思うような本格的な素晴らしいショーもあった。

1回のショーが終ると竹の子剥ぎとも言われたチケット(200円か500円)がいるイベントタイムが間に入る。

<1回の公演例>

オープニング・メンバー紹介
ダンス(ベッド)ショー(1)
密着ご挨拶タイム
ダンス(ベッド)ショー(2)
ミステリートライアングル
オールベッドショー
セクシープリッツタイム
お立ち台
おっパブタイム
ダンス(ベッド)ショー(3)
フィナーレ

チケットコーナーが終りダンスショーが始まると常連さんは客席に落着かず女の子のいるオアシス(ラウンジ)に行ってしまう。みんな劇場に何をしにきているの?、女の子に失礼ではないか、と腹立たしく思いながら、純粋にショー(踊り)を楽しみたい私は場内一人になってしまう事もありつらい(。>0<。)
西成という地域がらなのかお年寄りのおじいさんのお客さんはお昼の12時から来て早く帰るので、お客さんがいなくなれば早仕舞いしてしまうことも多かったのだろう。

最後に行った昨年11月18日に、あさくられみさんの使っていた懐かしの曲を聴いたのも何か終焉の前触れだったのではと今になって思う。

常連として通っていたあの頃の事、つらく思い出したくないことも楽しかったことも尽きない思い出がある。以前、関ニューの思い出を踊子列伝として書き継ぐつもりで書き始めたが、やはり私には書けなかった。

踊子列伝~その1~
踊子列伝~その2~
踊子列伝~その3~

せめて当時のレポだけでも復活させておこうと思っている。

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訪ねるとやはり閉まっていた(>_<)

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お気に入りのタイル貼り円柱の建物も見納め!?
鶴見橋に来ることも当面なさそう。

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関ニューの後は、萩之茶屋を経由して飛田方面にブラブラするのがお決まり。
飛田新地内。昔から変わらない風景。

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オーエス劇場。
OSというのは「大阪ストリップ」の略というのをどこかで聞いたことある。
皮肉なことに大阪ではストリップが衰退していくのに反して大衆演劇がじわじわ復活。大阪府内のストリップ劇場は2館に対して大衆演劇の劇場・公演先は20箇所以上となっている(常打ち小屋になるともう少しすくなくなる)。

関西で素人大会を開催している劇場はDX東寺だけになった。
知り合いは、みえPしかいないけど今度久し振りに行ってみよう。

December 04, 2015

忘れられない記憶

もう12月ですね。
なにかと忙しく落着いてブログを書いている時間もない。

本はちょこちょこ読んでいます
今回は三冊のみ紹介。

『黄金町マリア 横浜黄金町 路上の娼婦たち』(八木澤高明 2015年9月 亜紀書房)

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『青線 売春の記憶を刻む旅』(八木澤高明 2015年10月 スコラマガジン)

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『基地の女』(西田稔 1953年6月 河出書房)

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黄金町はかつてよく歩いた。
その時々の外国人娼婦の方々の顔を思い出す。
アートで街おこしもいいが、『黄金町マリア』で登場するママさんが言っているように、人が集まり、飯が食えて、生きていけるような、もっと違う形での再生ができなかったのか、とはつくづく思う。

当時黄金劇場にも寄ったりしていた。踊り子さんの年齢は高めだったなぁー。シルエットショーとかは懐かしい。

『基地の女』と『黄金町』『青線』を読み比べてみると、色街としての現役の街が生きていた時代と、街自体が消えてしまった、あるいは消え行きそうである時代との違いとか、『基地の女』では1905名(実際には2000人以上)の特殊女性について調査したという調査母数の圧倒的な差もあり、八木澤さんの本の内容が薄く感じてしまうのは致し方のないところか。特殊女性(パンパン)をAからGのタイプに分類して、各区分別に女たちを更生させるにはどうしたらよいかを真剣に考えている『基地の女』の著者・西田稔氏には好感が持てる。

若くして死んだ街の女B子の棺桶を葬式代節約のためリヤカーに乗せて火葬場まで運んで行く際に、仲間のパンパンたちが袋の中のお菓子をみんなでぽりぽり食べながら交替でリヤカーを曳いていくという、西田稔が先生と呼ばれるようになった逸話は微笑ましい。

また、悪性の流感をこじらせた西田稔に梅の花を持って見舞いにきたH子がびっこを引きながら帰っていったが、仲間の女に聞くと、よそのうちに咲いていた梅の花の枝を折ろうとして大和塀によじ登って、飛び降りた際に挫いたという。普段は威勢のいい啖呵を気っている基地の女のいじらしい素顔が描かれている。

私事で恐縮であるが、枚方ジャンボビル(風俗ビル)で長く馴染みだった伝説の嬢さんが今年引退し、代わりを探したが彼女の変りはやはりいなかった。また、いつかどこかでぱったり会うこともあるであろう。

今年の観劇は関西ニューアート2回のみに終ってしまった。
昨年の7月くらいまではナナちゃんはまだ在籍していただろうか、その頃までは定期的に通っていたが、自分が体調を悪くしたこともあり、昨年の夏以降はぱったりと足が遠のいてしまった。

今年の夏1回目のニューアートで元十三嬢に久し振りに会った。
どうしてそこまで頑張る必要があるのかと思うとせつない気持ちになるのであるが、色々事情もあって生きるためには働かなければいけないのはわかっているつもりである。

先月11月某日は2回目のニューアート。
復帰したばかりのさやかちゃんのダンスのきれはまったく変わっていなかったので驚き。
エマちゃんが1曲だけアイドルブリブリの衣装で可愛く踊っていたのに超ーー感動。
オールベッドショーでエマちゃんが鈴木あみ『Love the island』を使っていたのであるが、所属のあさくられみ嬢がデビューした年の2001年に使っていた曲であるのを14年たっても不思議に思い出すのは、この劇場で見たあさくらさんの強烈な印象は消えることがないということである。

October 23, 2014

あの日の僕等

ご無沙汰してます。
少し気になることがあって、落ち込んだりで、ブログを書く気にもならず、とにかく仕事を乗り切るのに精一杯でした。
というのも、10/11に予定していたアメフトの試合を見に行くつもりだったのですが、朝、体に異変を感じて近所の医者に、そこで大きな病院を紹介され16日に見てもらいましたが予想通り良くないようでさらに大きな病院を紹介されたので明日見てもらいに行ってきます。
結果がどうであれ病気と闘う覚悟はできています。

今月読んだ本だけ書いておきます。

「小説 東雲物語」(孫田秀春 昭和32年12月 日本視聴覚教育振興会)

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熊本・二本木遊廓の東雲楼でおきた遊女のストライキを題材にした記録小説です。
「東雲のストライキ」は有名ですが、この本の存在自体知らなかった。
巻末を見ると非売品だったようです。

小説に登場する楼主の初代中島茂七は悪人でもなんでもなくて、遊廓を芸術の域に高めたいという真面目というかすごく話しのわかる人なんです。数千坪はゆうにあるという敷地の中の庭園に富士山を作ったり、花魁やその部屋々々に東海道五十三次の名前をつけてみたりと豪勢。やり手が花魁を呼ぶのも「品川さーん」「川崎さーん」「焼津さーん」「掛川さーん」「袋井さーん」となる。
本書巻頭の写真から伝説の富士山をお見せします。

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家の没落後中島茂七によって東雲楼に引き取られた浮世絵師坊の小路春長の一人娘花江は太夫小紫としてお客さんのお座敷にも出る。この太夫小紫こと花江が気品のある美しい女性として描かれています。思い浮かべるイメージはこの間までNHKで放映していた「吉原裏同心」の野々すみ花演じる薄墨太夫ですよね。あまりの美しさにいつも見とれてしまっていました。

「昭和の大衆娯楽」(2014年9月 イースト・プレス)

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昭和の色街の遺産ですね。
木村聡さんが「赤線跡地全国紀行」の一文を寄せています。自分も木村さんに影響を受けた一人ではあるが、確かに「赤線学」とも言ってよい探訪者による昨今のフィールドワークには目を見張るものがある。
ストリップには足が遠のいている。昨日のニュースで「浅草ロック座」の元運営会社が破産とか。私のホーム劇場ともいえる関西ニューアートは潰れずによくやっているなぁと不思議に思う。ナナちゃんが辞めてしまったのは大きかった。最後に私が好きだった「若いってすばらしい」の出し物を何度か演じてくれたのがせめてもの救いでした。

「東京最後の異界 鶯谷」(本橋信宏 2013年12月 宝島社)

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鶯谷と聞くと東京の頃よく歩いたのでつい懐かしく買ってしまった。90年代はアジア系の立ちんぼが多かった。それが今は韓デリの密集地帯と言われているそうです。知らなかった。新風営法でネオンきらめく店舗型の風俗店は出店を厳しく制限され、派遣型風俗店(デリヘル)が増えた。ラブホテル街が賑わうわけですよね。実は私も今年この歳になってデリヘルデビューしてしまった。知り合いの女性からデリヘルにいくことになったのでお客さんとして指名して欲しいとお願いされ、2回だけミナミのラブホテルにおつきあいしました。貴重な経験をさせてもらった彼女には感謝している。
しばらく会っていないけど今どうしているのだろう。

明日の病院の診察が気になるので今日はこのへんで・・・。

April 28, 2014

歩き出してくれないか

もう4月も終わりですね(>ω<)

いつものように記録だけ残しておきます。

生きていると人生色々なことが起こる。
本来なら今頃恒例の温泉旅行に行っているところだったのですが・・・
3月24日、母が急遽入院することになって、
本人は1日から2日で帰ると言っていたのですが今現在も入院中。
4月17日に手術。手術直後は痛みで苦しんでいたようですが、
今は順調に回復しています。
そんなわけで今年はお花見どころではなかったのです。
本人が一番今年の桜を見れなかったことを残念がっていたかな。
しかし、病院が道路一つ隔てた隣というか目の前なので(窓から手を振ったらすぐにわかる)、至極便利(いいところに引っ越した)、毎日病院通いが続いています。
私の場合、両親と同居しているので、日頃、食事、掃除、洗濯と全て母親に頼りっきりで、
いざとなると何も出来ない不甲斐ない自分を振り返り母親のありがたみを感じています。

退院して元気になったらまた温泉旅行に連れていってあげることが今の目標かな。

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4月16日、千春のシングルの「歩き出してくれないか/生きて」発売日。
5月の大阪国際会議場グランキューブのコンサートもチケットとりました。

関西ニューアートに行ったのは4月4日。
新作チ-ムショー見ました。ゆきちゃん、ななちゃん、みらいちゃん、まりあちゃん。
ゆきちゃん振り付けによるチアガールのショーでした。
ゆきちゃんらしい正統派アイドルブリブリ系でかわいいです。
ゆきちゃん先生自身初回だったらしく緊張してたようです。
四人の練習量の差が出てしまっているのが残念でしたが、こういったショーは個人的に好き。正統派のアイドルブリブリ系ができるのは今はゆきちゃんぐらいかなぁーー。

関ニューのアイドル路線の系譜をたどると、
あさくらさんが2002年の3月頃『アメリカンチアガール』やってたなぁ。。。
関ニューの素人ステージの始まり頃だと、『セーラー服を脱がさないで』のりんかちゃんや『桃色片思い』のかんなちゃんなんかがブリブリだった。スーパーダンサーこころちゃんもボンボンを使ったチアリーダーものをやってた。十三から来たなつみちゃんもアイドルブルブリの感じのするバトンの出し物でしたよね。それが2002年ぐらいまでで、残念ながらその後がなぜか出てこない(;´Д`)
りぼんちゃんは結局関ニューでは逢わなかった。

ななちゃんの『若いってすばらしい』久し振りに見た。ベッドは森田童子。
十三ミュージクの長い花道を縦に疾走し元気一杯に踊っている姿に感動した記憶があるのですが、十三時代の十分の一も踊りきっていないのではなかろうか。
今の関ニューではこうなってしまうのは仕方ないのかなぁと思うと残念な気もする。

読書の方は、渡瀬淳子を調べる関係もあり宇野浩二全集を久し振りに読んでいます。
長篇の「恋愛合戦」「出世五人男」おもしろかった。宇野が渡瀬淳子や東山千栄子に好かれていたというのは、異性としてあるいは恋愛対象として意識することがなく、結句のところ、正直な、いゝ人、やさしい人、安全な人だからなんですよね。
おまけに文学にも造詣が深い。
私も女性の友達からよく言われる。すごく紳士で、やさしくて、危険ではない…と。
私は愛しているんですけどね。

5月は、母も退院してくるし、色々イベントもあるし、いゝ月にしたい。

November 20, 2013

タイル貼り円柱

松山千春が3年ぶりにオリジナルのアルバムを出した。もうアルバムは出ないのでは心配していただけに、ファンにとっては待望の新作は嬉しい限り。コロンビアとしてはあまり売れそうにないCDなので商業的にはつらいのかもしれませんが…。

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今回も心にしみる名曲の数々堪能できました。

今年は憩いの場所であった十三ミュージックなくなったこともあり、休みの日の過ごし方ががらっと変ってしまった観がある。

あっ、11月9日は東洋ショーに平松ケイさんを観に行きました。
平松ケイさんは関西ラスト公演とのことでした。
東洋ショーは久しぶりでしたが、トイレとかは改装したのか綺麗になっていた。
チャコはよく見てないが、フロアレディがいなくなってカウンターレディだけになった模様。
平松ケイさんは赤と黒の豪華な衣装で両手には緑色に光るレーザーポインターを持っての幻想的なショーでした。矢崎茜さんといいロック系の方はレーザーポインターを使った演目はよくやるのかなぁ!?
平松ケイさんは悔いなく踊りきろうという表情が印象的でした。

最後の行き場所、関西ニューアートには今も時々行っている。
みらいちゃんのステージでのポージングにはこれまでの背負ってきたものというのかなー、オーラを感じていつも感動する。ノンちゃんの沖縄もののステージ。ああー、関西ニューアート来たんだなぁと、ほのぼのとするし、一番楽しめる。「オジー自慢のオリオンビール」“戦後復帰を迎えた頃は~”のフレーズには沖縄本土復帰41年の沖縄の苦難の歴史を振り返えらずにはいられない。

他には、ミミちゃん、ななちゃん、エマちゃん、すみれちゃん、ゆきちゃん…と個性的なメンバーが揃っています。

関西ニューアートの帰り道にあるタイル貼り円柱のS荘に今日も寄る。

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ちらっと眺めるだけなのですが、、、

年季を感じる建物。素晴らしい!

どうも私はタイル貼り円柱マニアのようです。

May 17, 2012

大正区

15日が沖縄返還40周年という記念すべき日
昨日はぶらっと大正区の方を散策してみたfoot
JR大正駅から平尾まで南下
大正区役所を過ぎると千島公園があって
入口に昭和山と書いてあるのが気になったのですが今回はパス
アゼリア大正の立派な建物を拝見して関西沖縄文庫に立ち寄り
サンクス平尾(平尾本通商店街)に到着
予想外に静かな商店街でしたhappy01

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歩きまわってみるとわかるのですが
生野のコリアンタンみたいに沖縄関連の店が
一箇所に集中しているという訳ではなくて
駅周辺にもちらほら点在しているし、
大正区内全域に沖縄料理店とかはばらけて点在している
という印象を受けましたshine
平尾本通商店街手前の沖縄風ホルモン焼の店でホルモンでオリオンビールbeer
が飲めれば最高なんだろうけどなぁー、と思ったのですが、
今はアルコール厳禁の時期なので・・・weep
その後木津川まで出て川沿いに工場地帯歩き落合下渡しへ
はじめて渡し船にのりましたship
乗客は自転車の男性が4人、私一人が徒歩客
あっという間に西成区側の対岸へ到着
ついたところは周りが工場や下水処理場の他
街らしい雰囲気が見えず、前の一本道をトラックが頻繁に行き交う
私以外の自転車の乗客はみんなぴゅーと行ってしまって
なんだかひとり陸の孤島に取り残されたような気分で不安になる
なんとか工場地帯を回りこんで脱出coldsweats01
南海高野線津守駅の先に津守商店街を発見

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ほっと一安心、この先は馴染みの鶴見橋商店街に続いている
鶴見橋の関西ニューアト久しぶりに寄ろうかと思ったがやめた
「la VENUS de japon」に出演してた西浜りえさんが沖縄出身だった
ぱっと見バタくささや濃い顔が十三のゆかりちゃんに雰囲気が似てる
このビデオには十三プロモーションのキャプションもはいってます
彼女は89年にAVデビューし、
92年からは十三ミュージック専属のストリッパーとしても活躍
「この業界に入ったきっかけは新宿の歌舞伎町をぶらっと
歩いていたらスカウトマンに声をかけられて…」話す彼女、
どうして沖縄から出てきたのかも聞いてみたかった
彼女は今どうしているんだろうsign02

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April 30, 2011

十年一日

GWですね
天王寺あべのにキューズモールがオープンしたと聞き行ってきました
阿倍野の再開発はうらめしく思いながらも気にはなっていた
そう、あべの銀座商店街はどうなっただろう
痕跡を探そうってね!
しかし・・・当然でした
あべの銀座に隣接していた青線的な雰囲気の残る古い町並みも
まるごとキューズモールに飲み込まれている(涙)
よく見るとあべの銀座商店街に近い北側は
「ヴィアあべのウォーク」と呼んでいるようです
以前のあべの銀座商店街の商店の方もこちらでオープンされてるのかな!?
キューズモールの中は入り口からちらっと覗いただけでそこそこに
「ヴィアあべのウォーク」の一番北側の細い通りを歩く
あそこに「錦飲食店街」の入り口があり・・・
あそこに「市羽」の建物があり・・・
そこに阿部野橋温泉があって・・・
と確かめながら感慨深くあるく私
A1104301
名残というものは、「立呑み処 あべの銀座」という居酒屋さんに
「あべの銀座」という名前が刻まれているぐらい
あべの銀座の名前が残っているのは嬉しかった
T1104303
北側の細い通路を抜けると西側で出れ、
元あべの銀座の通りを反対側から眺めることができます
今はまだ工事中で封鎖されているこの道路はどうなるのだろう
まだ一棟正面に大きなビルを建設中です
T1104302

道路を渡って続く旭町の「あべのポンテ」や「あべのマルシェ」
の商店街は相変わらずのようでした
再開発されたからといって、トビタへと続くこの道が
かつて青線を形成していた時代とは違って
賑わいを取り戻すことはないんだろうなぁ~

その後は、飛田新地、今池コンパを経由して萩之茶屋、花園、鶴見橋へ
久しぶりの関西ニューアート
レナちゃんのブログを見て気にはなっていた
だからといって自分には何もできない
せめて彼女の顔を見に行ってあげるだけ
10年前の3/1があさくらさんのデビューの日で
まる10年の記念日だったので行きたかった
その頃にゆきちゃん(マリンちゃん)、あおいちゃんが入って
その年の後半にはレナちゃんも入ってきた
十年一日
何も変っていないようにも見える
変ったのは今日レナちゃんとも話をしていたけど
校長先生がいなくなったことかな!?
↓私の席から見た校長先生の頭(当時の雑誌の切り抜きより)
K1104304
私とも仲のよかった先生は当時警察の手入れに遭い
その後ぱったりと姿を見せなくなりました
10年の間には自分も色々と経験をしました
人生浮き沈みがあって、
いい時もあれば何をやってもうまくいかない時もある
それでも生きること、旅をつづけていくしかないのです

January 15, 2011

いつの日か

仕事をしているといつも順調な時ばかりとはかぎらなくて
不調なときもあり思い通りにいかなかったりするし、
日々悩みはつきない(*_*)
それはそれでいいと思っている
山あり谷ありその中で自分が成長していければとね…
今という時悔いのないように

昨日14日は引越し先のマンションの内覧会でした
初めて完成したばかりのマンションに入りました(^ω^)
これが自分の終の棲家なのかω
いよいよ引越し日がまじかに迫ってきて
捨てるもの持って行くものの選別や荷物づめやらで
追い詰められています
あと1ヶ月半・・・

そんな状況ですが気にせず久しぶりに関ニューへ(^ω^;)
レナちゃんいるかなぁ~
いやたぶんいないだろう
電話で聞くの野暮だし…
去年1月~5月の土曜日に行っていたけどことごとく逢えずじまい
その後ぱったりと足が遠のき
もう逢えないと思っていた
そうこういている内
早1年の歳月が過ぎまた歳をとってしまった訳ですwww
いましたO(≧∇≦)o
1年ぶりにレナちゃんに逢えました(*^ω^*)
彼女のショーを観て根っからのストリッパーであるという事をあらためて感じました
おまけに禁断のオアシスに誘っていただきありがとうございました(^ω^)♪
またいつの日かこの場所で逢いましょう!

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