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十三ミュージック

September 12, 2017

5年振り十三へ

9月9日(土)、大阪・十三でストリップに関するイベントがあるということで久し振りに阪急十三駅に降り立った。十三ミュージックが閉館した2012年11月以来なんと5年振りである。イベントが始まるまで時間があったので劇場があった場所まで商店街の変化を確認しながら歩いてみる。

十三東駅前商店街、十三東三仲町通商店街、十三東本通商店街を通り木川本町商店街へ。あぁここのコンビニ入店前によく寄ったなあとか思い出す。「喫茶 もみの木」「渡辺金文堂書店」とかは全然変わっていない。「野口商店」が、かき氷でひときわ賑わっている。木川本町商店街に入ると花屋さんの阪本園芸とか潰れた中山酒店とかは変わっていなかったが、大きなマンションらしきものが中ほどに出来ていてびっくり。商店街の雰囲気が変わってしまった。

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聞いていたとおり大衆演劇の木川劇場に変わっていた。

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ぐるっと建物の周りを回ってみると木川劇場と書き換えられている中一箇所だけ「十三ミュージック」を残してくれている。

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劇場の前にはのぼりを立てないんですかね?
中にも一度入ってみたいがまたの機会にしよう。

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レトロな商店街を引き返し、会場の西口を目指します。

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十三西口のSAKAEMACHIアーチを潜って会場があるサンポードシティにやってきました。

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サンポードシティの裏に回ると「アルサロ ふうりゅう」があった。
今時店名に「アルサロ」を冠しているのは珍しい。

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会場は5階の「淀川文化創造館シアターセブン」。
お目当てのイベントは『御前珠里/レゾンデートル』です。
大股戒次郎さん自主制作のストリッパードキュメンタリー映画の大阪上映。
大股戒次郎さんのブログサイトで私のブログ「荷風歡樂」にも言及してくれていたことがあって、Twitterもたまに見ていたことから今回のイベントを知った。
なお『レゾン・デートル』は、「存在意義」「存在理由」「生き甲斐」という意味。

9月9日(土)のイベント内容は以下の通り。

(1) 参考上映『MIHO ODORIKO2015』(出演・若林美保)
(2) 本編上映『御前珠里/レゾンデートル』
(3) 御前珠里さん&創作舞踏家・飯干未奈さん(渡辺理緒) 対談イベント
(4) 御前珠里さんのショートパフォーマンス

お客さんは30名程の入りでした(9月8日(金)は、10名だったとか)。

若林美保さんのドキュメンタリー作品『MIHO ODORIKO2015』中の彼女の演目は、『ロマネゴシック』『雨月物語』で、2015年の道後ミュージックで撮影のものかな?

本編『御前珠里/レゾンデートル』の御前珠里(みさきあかり)さんの演目は自縛というのか緊縛というのか、劇場の天井から降ろしたロープに縄をつないで自ら吊り下げられながらも、縄を巧みにそして自在に操り芸術として魅せ観客を魅了する。

一人の女性に恋して振られるという経験、ストリップへの関心、SMへの目覚め、そんなことを経て、御前珠里さんは2012年、池谷しずくの名前で浅草ロック座所属としてデビュー。しかしアイドル志向のロック座らしくないアングラな独自の演目は周りからバッシングを受けた。SNA、仙台ロック、川崎ロック、浜劇とロック系の小屋をひととおり回って、その後お呼びがかからなかったという。その後フリーランスに。フリーランスのストリッパー(兼AVモデル、舞台女優、ポートレートモデル)というのはフリーランスの外科医・大門未知子のようでなんかかっこいい。本日の若林美保さんの映像を後ろ席で見ていて泣いたそうです。フリーランスとして他の劇場には出られなくなった時、力になってくれたのが若林美保さんだったとのこと。浅草ロック座を辞めた踊り子はいつ他の劇場に出られるかわからない。そんな時連絡したニュー道後ミュージックの人から自分がやりたい好きなパフォーマンスを好きなようにやって良いと言われた。一時期十三ミュージックや関西ニューアートともチェーン店関係だったニュー道後ミュージックは、所属の劇場がなくなりコースのなくなった踊り子さんやフリーランスのストリッパーにも優しい劇場だった。彼女が道後温泉駅に着いて駅前に立つとホームに帰ってきたようでほっとするのであろう。ニュー道後ミュージックでは物販も担当している。年に3・4回ぐらいしか出演しないけど、道後ミュージックだけでも出たい、ずっとここだけで踊っていたい...と。今後は、四国各都市を回る、四国ツアーを企画しているそうです。

若い御前珠里さんと元十三ミュージックの伝説の踊り子・飯干未奈(渡辺理緒)さんの対談は、二人の世代がだいぶ違う分ぎこちないところもありましたが良い対談でした。客席に元・十三ミュージックの風見愛さんの姿も。風見愛さんの名前はどこかで聞いたことがあるなぁと思ったら、以前記事に書いた「十三ミュージック 素顔の踊り子たち」に出演されている方でした。

これも以前記事に書いた「踊り子伝説」のイベントで当初予定していた木川劇場(元十三ミュージック)が使えなかったことの理由について、飯干さんによると「家主さんから直前になって止めてくれないかと言われダメになった(踊子伝説と謳っていたので、いかがわしいことをされても困る)。」とのことで、長く疑問に思っていたことが解決。なお、あの十三ミュージックの巨大なミラーボールは現在「座 三和スタジオ」にあるそうです(座 三和スタジオと木川劇場、天満座は同じ経営とか)。飯干さんが、舞台で合わせるのに、ストリップ、大衆演劇、宝塚のこの三つはちょっと顔を合わせただけで呼吸が合う、というようなことおっしゃっていたのも印象に残った。

ストリップを「未来に大衆の文化として残す」ということが主催側のテーマで、それに対して未来の踊り子さんに向けてのメッセージをと言われても難しいですよね。ストリップは今にも消え行きそうな斜陽産業。数少なくなってきた今いる踊り子さん達が、舞台の上で記憶に残る素晴らしいショー(パフォーマンス)を見せること、それをストリップファンがささやかながらも応援していくこと、ということが大事なのかなぁとは思う。

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対談の後、御前珠里さんが予定外のショートパフォーマンスを披露。
撮影OK、SNS・ブログ公開OKということで撮ってみました。

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前の席じゃなかったのでうまく撮れなかった(>_<)

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レゾンデートル上映会終了。

一スト客が自主制作した作品なので映画作品として見るとつまらなく退屈に感じられるが、自力で生きる事を決めた一人のフリーランスの踊り子の生き様や存在意義(レゾンデートル)を描いたドキュメンタリー作品として見れば興味深いものがあり、 日本ストリップティーズ70年の歴史の中の現在のストリップの映像を後世に記録に残すということでは意義のあることと感じた。しかし、若林美保さんの作品もそうなのであるが、演目中のダンスやベッドの曲が実際に劇場で使われている音楽でなく、BGMに置き換えられているのは違和感を感じるし劇場の生の臨場感が伝わってこなくて残念(音楽の著作権の問題?)、つまらなく感じる要因の一つになっているのでは…。

十三やKNAにも自縛ショーをする女の子がいたなぁー。
御前珠里さんには叶わぬこととはいえ十三ミュージックの綺麗なステージに上がらせてあげたかったなぁー。
飯干未奈さんにはまた「踊り子伝説」のようなイベントを開催して欲しいです(^ω^)

July 25, 2016

一時帰宅

ちょっとだけ入院していました。
今一時帰宅中です。
入院時の様子はコチラに書いています。

http://plaza.rakuten.co.jp/newart/

そういえばニフティの@homepageサービスが9月29日をもって終了とかで、トップページを移行しました。
ブックマークを以下に変更お願いします。

http://kafu.la.coocan.jp/

といってもコンテンツはないし、10年以上さわっていないんですけどね(汗)。

話はかわり十三ミュージックの照明だった前川さん、7月7日の「列島警察捜査網 THE追跡」他、違法DVDで逮捕のニュースになってたんですね。
2012年6月頃に下地さんが辞めた後、閉館まで一人で照明を黙々とこなし(西条さんも手伝ってはいたが…。代わりの照明がおらず休めないので月曜日が休館日になったようにも記憶している)、私にはさわやかな好青年のいい印象しかなかった。

https://vid.me/bTx7

さて、今週の手術どうなることやら(>_<)

「約束することは未来に向かって生きること」

February 21, 2015

私のステージ

二つ前の記事で六面鏡ヌードのことを調べていたら、2010年8月の産経新聞の記事に以下の内容のものがあり、兵庫県の条例により兵庫県内全域でストリップ劇場の営業が禁止されていたこと知った。

「条例改正へ意見募集 県警、出会い系喫茶など規制で 兵庫

ストリップ劇場は現在、有馬、城崎、湯村地区でのみ営業が可能だが、平成20年12月に城崎地区で最後の1店が閉店。温泉協会や地元観光協会からの要望に加え、ストリップ劇場に名を借りた違法な風俗営業を防ぐため、除外地域をなくし、県内全域での営業禁止を盛り込んだ。」

スペシャル五百円のモグリ・スタジオへ行くとおさわりご自由という、昔あった城崎のヌード小屋なんかも違法営業のたぐいなのでしょうね。

違法な風俗営業といえば、1000円のチケットでおさわり、1000円のチケット5枚で個室に行くことができた十三ミュージックも違法営業だったのか、摘発を受けた2012年9月25日の朝日新聞朝刊の切り抜きを見てみた。

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個室で性的サービス/踊り子にさせた容疑 十三のストリップ劇場

 踊り子に個室で性的サービスをさせたとして、大阪府警は24日、大阪市淀川区十三東3丁目の老舗ストリップ劇場「十三ミュージック」の運営会社長、○○○○容疑者(46)=大阪市淀川区木川東1丁目=ら3人を風営法違反(禁止区域営業)の疑いで逮捕したと発表した。
 保安課によると、1階で観劇した客は、別料金を払うと2、3階の個室で性的サービスを受けられる。劇場は1954年に開業。過去に踊り子が下半身を露出した公然わいせつ容疑などで計6回摘発されたが、個室サービスでの摘発は初めて。
 ○○疑者ら3人の逮捕容疑は、今月上旬、店舗型性風俗店の営業禁止区域内にもかかわらず、男性客(42)らに対し、踊り子2人に個室で性的サービスをさせたとされる。(小池暢)
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判決が出た後の2012年12月26日のキャストのニュースも見てみた。

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踊り子に個室で違法な性的サービスをさせた大阪の老舗ストリップ劇場の経営者らに対し大阪地裁は、執行猶予付きの有罪判決を言い渡しました。風営法違反などの罪で判決を受けたのは、大阪市淀川区のストリップ劇場「十三ミュージック」の運営会社社長○○○○被告ら2人です。判決によりますと○○被告らは、踊り子の女性らに店内の個室で性的サービスを提供させたほか、舞台上で過剰に下半身を露出させるなどわいせつな行為をさせました。判決で大阪地裁は「劇場は過去にも摘発を受けていて、被告人らは違法性を認識しながら営業を続けた」として、○○被告らに懲役6カ月・執行猶予3年などを言い渡しました。
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ふーん、やっぱり風営法違反(禁止区域営業)という違法な営業ですね。2007年の摘発の時は公然わいせつ容疑のみだったので、2012年の摘発ではあきらに個室のサービスの違法性が問われていますね。再開後の個室の復活はむずかしかったわけです。

2007年の摘発時にただ一人捕まらなかった社長さんはあえて伏字にしたが本名と違う西条(せいろく)さんの名前で親しまれていて、あまり怒らないやさしい人という印象があった。えらい太ったと思ったら再開後は激ヤセしたりと心配していたら、判決が出た翌年の2月に糖尿病が原因で亡くなられたとお聞きした。

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(写真はいずれも今はなき十三ミュージックのHPより拝借)

ところで十三の素人大会は、1999年7月から始まって、2000年1月6日以降は素人専門館になった。今考えるとプロの合間にお立ち台をやっていた素人大会をはじめたばかりのころが絶頂の時代だったのかも。一番最初のころの個室とかはどんな感じたったのでしょうかね。私が十三に行きはじめた2000年頃は個室そのものに興味がなかったし、おっかない感じかして女の子に声を掛けられてもまだ入る勇気がなかった。

私は2000年頃から関西のストリップ劇場に足を運ぶようになったのですが、関西ニューアート、晃生ショー、九条OS、ナニワミュージック、神戸第一、奈良スターミュージック、八光ミュージック、DX伏見には少なくとも個室またはピンクルームがあった。その個室が消滅していくきっかけとなったのが、2002年の末に「ソニー」と呼ばれる手配師が不法就労の外国人ダンサーを「借金」を負わせてストリップ劇場に送り込んでいたことから逮捕されたことをきっかけに、2003年2月17日には全国の24カ所のストリップ劇場が一斉摘発された事件で、当時人身売買が問題となった。このあと閉館する劇場が相次ぎ、営業を再開しても個室と本板は復活させなかった劇場が多かったが、その後もしばらくは個室と本板を続けていた劇場もあったようである。本板劇場の最後の砦であった七峰座が2008年2年20日に閉館。一方、十三ミュージックは三つあった1階の個室を「カーテン一枚でしきった個室をもうけてはいけない」との警察からの指導で廃止したものの、2階、3階の人目につかない隠れた個室を2012年の摘発まで営業していた。確か2階に2部屋、3階にも2部屋あったが、プロ興行時代は踊り子さんたちの楽屋や寝る場所だったのだろう。場内のポスターもピンクサービスに関する案内のものはいつの間にか消えていた。2階の長い廊下を歩いた先のどん詰まりにあった元楽屋の個室が好きだった。2階、3階の個室はあくまでも踊り子さんとお話しをする場所という建前だったのでしょう。

しかし、今にして思うとお立ち台時に個室争奪戦の異様な光景が繰り広げられていたことを懐かしく思い出す。 

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お立ち台・個室人気ならでは十三ミュージックの日常光景。
お立ち台は1000円のチケットでお客さんが女の子を指名し呼ぶのであるが、女の子と常連のお客さんの間にはあらかじめ約束ができているのか開始と同時に女の子が場内のお客さんのもとに一目散に降りていく(私は逆指名と呼んでいた)、その後個室の予約に女の子が従業員のところに走る(プライベートダンスもしていないのに個室予約に走るのも見かけたことがあった)。従業員は場内の後ろにあるフロントカウンターにいて壁にかけたホワイトボードに4室の個室の予約を埋めていく。マグネットとマジックを使って、女の子の名前と10分単位で×1とか×2・×4とか書いていたのか、その辺はよく覚えていないが、女の子の個室人気が一目瞭然でわかったのです。

十三は本来踊りやショーが売りの劇場であったのが、ストキャバと呼ばれるようになり個室部屋でのヘルス化がいつのまにか進んでいった。確かに今ステージでダンスをしていたお気に入りの踊り子さんと個室に行くことができるのは、魅力的で面白いスタイルではあった。

2012年9月23日にガサ入れがあり、往年のストリップ復活とうたい11月1日に再開。個室なし、お触りなし、お立ち台なしのダンスショーのみの営業再開となった。しかし、11月27日が最後の興行となり、12月に入りほどなく廃業が決定。11月27日、十三最後の興行の日。最後という事で一夜限りの復活となったお立ち台ショーで盛り上がり、社長と照明さん、女の子一人一人が最後の挨拶をする涙のフィナーレ。13年におよんだ十三素人大会が静かに最後の幕をおろした。昭和19年3月31日、永井荷風が足繁く通った最後の別天地・オペラ館が押し迫る戦時下の影響により取払いとなった日、20時過最終の幕レヴューの演奏が終り、涙する踊子や芸人の前で館主の告示があり寂しく終焉をむかえた感動のラストシーンと重なる。ストリップ劇場のしきたりや暗黙の了解があって、素人専門館となったことによりプロの踊り子さんのコース切りとのパイプがなくなったことにより、おいそれと系列のプロの踊り子さんを呼びたくても簡単に呼ぶこともできなかった。ヘルス小屋として利益を個室営業にたよっていたので、もう元の儲けは期待できないし、純粋なストリップ劇場にももどれない。晴れて個室営業がなくなりダンス志向に回帰してくれたと嬉しく思っていたがはかない短い復活であった。

純粋にダンスが好きで踊りたい、ショーが好きという女の子もいたことは事実。先生に指導してもらったり、自分で振りを考えたり、ダンスの基本であるステップを勉強したりと、初出しに向け真剣に練習し、夢みるステージにかけていた子もいた。一度でも十三のスポットライトをあび照明の光に輝くステージで踊っていた女の子が、もう一度だけでいいので踊って見たいと夢にまで見るとよく聞いた。みんなそれぞれにいい思い出が残っているのでしょう。

私と親しかった某嬢さんは「学校が終わった後の放課後のような雰囲気で、お客さん、女の子同士がみんな仲良く和気藹々と楽しくやれた職場は他にはなかったのに、それが突然失われた寂しさは計り知れない。」とのことを辞めてからよく言っていた。

アイドルブルブリ系、かっこいい系、セクシー系、癒し系、楽しい系と色々あったストリップショー、抜きありの個室、プライベートダンス、ラウンジ、果ては女の子との恋愛ごっこと常にワクワク、ドキドキした桃源郷であったとともに忙しい仕事の合間をぬって通った休息の場所でもあった。

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十三でお気に嬢と出会えたこと、同じ時間を共有できたことは大切にしたいと思っている。

十三ミュージックはこれからも永遠に夢の中に生き続ける。

(続く)

January 01, 2015

生きた証

あけましておめでとうございます。
2015(平成27)年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

特に今年は目標みたいなものは作らないでおこう。

生きること。
自分が生きた証を残したいと思う。

たった一回の人生なんだから悔いなくがんばる。
後悔したらつまらない。
後悔しないこと。
人生歩き続けること。

それだけです。

年末29日は近所の中華料理店「なむ」で妹の家族と忘年会。
フカヒレスープがおいしかった。

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本日元旦はこれまた近所の成田山不動尊に初詣。
マンションの自分の部屋からは初詣客が成田さんにぞろぞろ向っているのが見えます。

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本堂にたどり着くまですごい行列。
出店を眺めてる方が楽しいです。
夕方には雪が降ってました。

12月後半に読んだ本から。

「労働者誘拐」(江口渙 昭和52年8月 新日本文庫)

江口渙のめずらしい文庫本があったので購入。
「労働者誘拐」は、プロレタリア文学作品の中でも私がもっとも好きな一編。
江口渙らしいあふれる正義感と作品の底をつらぬくヒューマニズムに感動させられる。

「セクシー・ガイド」(岡部寛之 昭和35年7月 新流社)
「セクシー日本史」(岡部寛之 昭和36年3月 新流社)

岡部さんの残り2冊読む。

「セクシー日本史」は予想外に面白かった。
「セクシー・ガイド」の方はHowtoものでかなり退屈したが、岡部先生のありがたいお言葉なので頑張って読み通しました。

「浮気にはもってこいのダスホール」の一節に次のようなことが書いてあった。

 ダンスは決してみだらなものではないが、しかし結果からみると男女が親しくなるキッカケがダンスであることが多い、というのは私見によると男女の関係はまず接触に始まる。女の感情は本来肉体のちょっとした接触によっても急速にたかめられる。肉体がふれあったとたんに精神的興奮が強くおこる。それは感情にもっとも影響されやすい自律交感神経を刺激し、自分の意志とうらはらに興奮の度をたかめる。そしてこの興奮状態か少し長く続くとだんだんに興奮が硬化し、そのために意志的な行動がまったくとれなくなってしまう。こうした接触をもっとも自然な形で、長時間にわたって行なうことのできるのがダンスである。男女の仲は接触にはじまって接触に終わるものであるが、その最短距離を行くのがダンスである。

この一節をよんで今はなき十三ミュージックを思い出してしまった。
廃業前の十三ミュージックは、ダンスホールでも純粋なストリップ劇場でもなくストギャバと呼ばれていたのだが。
最近昔の掲示板の書き込みをあさっていたらこんなことを自分が書いていた。

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荷風散人? さん 投稿日:2001年11月24日(土) 09時40分

「のりこちゃん」は火・金が多かったようですが、9月下旬より、
「ふぶきちゃん」は8月上旬より、
「なみちゃん」「ちえちゃん」も8月上旬より、
「ひなちゃん」は日曜が出勤日だったかな、7月中旬より、
それぞれ見ておりません。どうしたんでしょう?
「なみちゃん」「ちえちゃん」の伝説のWブランコショーは、
天才少女「はづきちゃん」の伝説のポールとともに、
私の中ではベスト2に入ります。
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以前出勤していた女の子の出勤情報が最近なく、みんな見ていないという話しから、私が情報を提供したのでしょう。まこちゃんのダンスは別格としても、私が当時ベスト2に入るとあげていた、なみちゃん&ちえちゃんの伝説のWブランコショーとはづきちゃんのポールは本当に素晴らしかった。それは今でも記憶に残っている。
誰でも自分が生きた証を残したいと思うもの。
彼女たちはダンスショーで生きた証を残した。

March 25, 2014

加藤てい子さん

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三月も無事終りそう(^ω^)


そんな休みの一日大阪天満宮に梅の花を見に行ったのが3月11日でした。

月の輝きは晴れたる雪の如し
梅の花は照れる星に似たり
憐れむべし金鏡転じ
庭上に玉房香れるを

昨日「失恋ショコラティエ」終った。
好きな人からインスピレーションを得て何かを創り出すというのはわかる気がする。好きな人を思う気持ちがあればこそ仕事が頑張れている面が自分にもある。誰かのために頑張ろうっていうね(^ε^)♪

3月19日は久しぶりにデート!
1ヶ月遅れでチョコをもらった。

3月は、加藤てい子さんの本を三冊まとめて読んだ。

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遊郭という特殊な環境の中で育った著者でなければ書けない小説なんでしょうね。幼き日妓楼で育った娘と遊廓の中で働く妓との交流が詳しく書かれていて興味深く読める。チャン刑と呼ばれた当時の風俗営業係の刑事と女楼主たちの生態もおもしろい。残念なのは物語の最後の方の廃業が唐突すぎるのではと感じた。肝心の廃業にいたる経緯、心の葛藤が書き込まれておらずそっけない。頑固に反対していた養母の心変わりも突然変異にしか見えない。西口克己さんの「廓」のように長々と書かれても困るのだが・・・。

著者の「夜の報告書」の略歴には「福井県生れ。事情あって幼時他家妓楼のあととりとなったが、太平洋戦争の起った年、抱え妓全員を解放し、廃業すると同時に福井新聞社にとびこみ社会部記者として十数年すごす。文学への志望やみがたく、日本一理想の夫と死別したのを機に上京、劇団民芸にはいり表方、制作の仕事、時計会社の宣伝部勤め、フリーで化粧品、酒の宣伝を担当した。かたわら、初の作品「廓の子」を発表、作家生活にはいり、こつこつ勉強のさなか。」とあります。

作品では、さつき遊廓の古琴亭<鳩のいるうち>としか出てこないのですが、福井市にあった栄新地が舞台となっているようです。現在の福井市有楽町あたりで、作中のあしびき川が足羽川、あしびき神社が足羽神社にあたるのかな。お勧めの一冊です。

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『夜の傷』(昭和34年 東西五月社)

書き下し長篇小説叢書第三巻とあります。異常な性的場面とか私にはつらい本でした。今のドラマの原作とかに使えそうな気もします。昭和35年7月20日に加藤てい子さん原作の「野ばら」(スリラー劇場 夜のプリズム(第79回))というドラマがNTVで放送されていたようなのですが、原作が『夜の傷』だったのかな?

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『夜の報告書』(昭和40年 秋田書店)

こちらはおもしろかったです。東京の盛り場、谷間の特殊地帯をたんねんに著者が歩いて探った夜の街の実態が描かれています。赤線廃止後、業者のなかには、しばらくのうちにはまた赤線は復活できるかもしれないとの甘い見方を持ちつつ、摘発を逃れるためにあの手この手で暗躍していたのでしょうね。途中、著者自身の北陸の妓楼での思い出話しなんかが懐かしそうに出てくるのが微笑ましい。しかし、女性でありながら男性の喜びそうな夜の街のルポを書く加藤てい子さんのスタンスは以前当ブログで取り上げた神崎清さんと同じです。売春はよくない、そういった道にはいってしまった女性には更生の道をという、きっぱりとした姿勢を示し、そして自ら行動を起します。

加藤てい子さんは次のように書きます。
「たしかに、(売春婦を立ち直らせることは)安価な同情や、あまったるい感傷では救えないことは知っている。過去に三人ばかり更生の手助けをしたことがあるが、なかの一人のために身も心もずたずたに傷ついた経験がある。傷ついたから、もう、こりごりというのでは、はじめから踏みださなければよい。もう一度その傷が血を吹きあげようとも、踏みだしたら歩き続けることしかない。トウシロウがむだな努力を重ねていると、その道の専門家に嘲笑されても平気である。彼女たちをみちびくには高度な専門技術がいるだろうが、いちばん必要なのは愛情である。
 だれもがほしい人間の愛を、彼女たちはとくに欲している。飢えかわいている。彼女たちを導くなどという高い場所からの構えでなく、同じ女性同士として話しあい、その眸が、はっきり生きる目標をみつめることができるようなきっかけをつかみ、ひとり歩きができる、その手前まで支えてあげたい--それが私の念願であり、人にも望むところである。」

ここまで書いてきて十三ミュージックに最後までいたある女の子のことを思い出した。その子とは個室に数回だけ入ったことがあった。その時話しをして印象的に記憶しているのは「こんなところに引きづられていてはダメ!」とわかっていても、やめられない、でもやめたいと思っていると言っていたので、罪悪感とかうしろめたさを感じながらも仕事をしていたのかなぁーと今さらながら思うのであるが、彼女は大事なことには気がついていたし、自分なりの目標をしっかりと持っていた子なので今はしあわせに日々を送っていてくれていると信じています。

4月からのテーマは決まりました。

December 11, 2013

水の上の家

12月ですね。そろそろ今年一年を振り返らないといけない時期が迫ってきました。
それはまた別の機会にということにして、その前に甲子園ボウルと旅行があります。

今月読んだ本から。

『なつ 樋口一葉 奇跡の日々』(領家髙子 平凡社 2013/4/12)

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私は樋口一葉の愛読者でもないのですが、本のカバーに「なつ」とオレンジ色で大きく書かれているのに惹かれてつい買ってしまった(*^^*)
十三ミュージックで応援してたのが、「なっちゃん」だったからなんです。

樋口一葉で思い出すのは十数年前の東京時代には井戸の残る一葉旧居跡とか本郷の菊坂周辺は休みの日によく歩きました。ホームページにその名残が今も残っています。→コチラ
Panasonic CardShot NV-DCF1という1997年3月に発売されたパナソニック初のデジタルカメラで撮影して、その頃初めてホームページまがいのものを作ったんですね。あの頃は私も若かったし、東京中をよく歩きました。

「詩のかミの子宣言」とか「奇跡の十四ケ月」とかすごい人だったんですね。
五千円紙幣に採用されたのも納得。

「我れは人の世に痛苦と失望とをなぐさめんためにうまれ来つる詩のかミの子なりをこれるものをおさへなやめるものをすくふべきは我がつとめなりされば四六時中いづれのときか打やすミつゝあらんや我がちをもりし此ふくろの破れざる限りわれはこの美を残すべくしかしてこのよほろびざる限りわが詩は人のいのちとなりぬべきなり」

本郷丸山福山町の終焉の家は、西片町の高台の崖下にあり、回りには岩清水が細流をなし、あちこちに池(ひょうたん池)をつくり、辺りを見回せば、まるで水の上に建っているような家であった。本郷台地の崖下にある新開地には、周りに怪しげな娼家(銘酒屋)が立ち並ぶ。その柳町銘酒屋街の奥、本郷区丸山福山町四番地。鰻屋「守喜」の離れで、隣には銘酒屋「浦島」や「鈴木亭」が並ぶという場所にある「水の上の家」にひっそりと暮らす一葉女史。銘酒屋「浦島」から一葉が救い出した小林愛からの手紙には笑いを誘う。「だんきりこんたびたんしどうでん(散切り頭に紺足袋の男子同然)」

『女学雑誌』『文学界』と『硯友社』『民友社』という対立構造。また、『早稲田文学』と『めさまし草』という対立構造。明治文壇というのも奥が深いんですね。自分には大正文壇の方があっているかも。

半井桃水との恋は有名ですが、馬場狐蝶とのひそやかな「恋」というのは初めて知った。
馬場狐蝶は明治29年4月初めには彦根から帰京しお土産を持って一葉に会いに行くと言いながら何故行かなかったのだろう。待ち焦がれた狐蝶は4月になっても訪れず、儚い約束は果たされなかった。
にえきらない。自分もそう、草食系男子ってよく言われてしまうのですが…。結局男って臆病、卑怯なものなのかも。。。

August 22, 2013

踊り子伝説 -永遠の舞姫たち-

昨日21日(水)に開催された「踊り子伝説 -永遠の舞姫たち-」行ってきました。
9ヶ月ぶりにかつての聖地・旧十三ミュージックの中に入ってみようと前売りのチケットを予約し楽しみにしていたのですが、1週間前なって公演会場が、やむを得ない事情により十三・木川劇場が使用できなくなり、同系列の大衆演劇劇場である尼崎・座 三和スタジオに変更することになったとメールで連絡があり残念無念。公演の主旨でもある元・十三ミュージックの舞台を使用できなくなったことは、飯干さんはじめ出演者の方々が一番残念に思っていたのだろうなと推し量るばかりです。自分達が巣立ち育った劇場の舞台にもう一度立つということに意義があったし、長く果たすことのかなわなかった夢でもあるから…。
そういえば忘れていたのですが、十三が廃業になっていなければ、営業停止期間が先月の27日で切れていたので、めでたく今頃は再開となっていたのかもしれなかったんです。

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ところでやむを得ない事情ってなんだったのでしょうか。昨年の手入れの記憶がまだ生々しく残っている元・十三ミュージックの舞台で元十三の踊り子さん達が「踊り子」や「舞姫」をキーワードにした公演を実施するということは、ストリップでないエンターテイメントショーとうたっていても一見ストリップまがいのことをやるのではとらえられかねないし、何らかの上からのお達しや圧力があったとしも不思議ではない訳です。そんなわけで「木川劇場」と同系列の大衆演劇劇場である「座三和スタジオ」で色々な制限つきながらも何とか実施でききるようにと持っていったのかなぁ・・・と推測。

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阪神尼崎駅からアーケードを歩き、アーケードの出口に座三和スタジオはあります。
開場の18時に到着。ちょうど開場が始まったところだったようで行列ができてました。

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元々はパチンコ屋(スロット屋)さんだったようです。十三ミュージックを「木川劇場」として再建したのが「座 三和スタジオ」のオーナーさん(吉田社長)だったのか。

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場内はこんな感じです。開演後は撮影禁止となったのでこの一枚のみ。
箱椅子に座椅子を載せたような席になっていて、まずまずの座り心地です。
当然ながら舞台にはお盆もミラーボールもありません。舞台は板張りのようですね。
十三で使っていた緑のレーザービームを使ってました。
お客さんは70人ぐらい入ったか盛況。女性のお客さんも多かったです。
元ひまさん、ありゃまぁ~さん、LASERさん…と濃いお客さん多数(^ε^)
リボン、タンバもあり。桜吹雪入りのリボンが舞ったり、合同ポラでの踊り子さんとお客さんの駆引きとか完全にスト小屋の乗りでした。

4人組の「Dance Company BLUE ROSE」のお一人の方は、参加しているとお聞きしていた元関ニューのいずみちゃんです。

音楽を聴いているとまたもや十三ミュージックを思い出すわたし(;ω;)

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当日のポスターも十三ミュージックの写真と地図が上から紙が張られて見えなくなっているのが悲しい(>ω<)

木内雪美(ゆきみ愛)さんは、さすが現役の踊り子さんですね。ダンスは、ピンクラメの衣装、ベッドは黒のシースルー、黒の扇子。脱ぐとまずいので、ブラ外すとこまでです。ベッド着と扇子で固くガードされてました。
去年11月十三が再開した直後、K察の内偵を警戒してか、まったく脱がなかったことを思い出した(じき解禁されたんですけどね)。
ゆきみ愛さんは、1994年3月11日に当初十三ミュージック所属の木内雪美として十三ミュージックでデビュー。渡辺理緒さんもゆきみ愛さんと同じ日3月11日に十三ミュージックからデビューしています。19年前のことです。みなさんブリッジの立ち上がりが美しい。オープンショー(脱いでいませんよー)の曲が十三のフィナーレ曲、クイーンの“I Was Born To Love You”なのもうれしい(*^^*)。翌日から若松出演が決まったとかで合同ポラを先にして、最終の新幹線で東京まで帰って行かれました。お疲れ様です。

yu-kky(小雪)さんも元十三ミュージックの方ですね。何年か振りで踊られたのか、緊張しているのが手に取るように伝わってきました。

飯干未奈(渡辺理緒)さんはラストの演目以外は創作舞踏という感じが強かった。
それと友情出演・傳谷望さんとの創作舞踊・大衆演劇コラボですね。
扇子の投げ渡しがもう少しうまく決まっていればよかったのになぁーと。
飯干さんのトリの出し物はさすが貫禄というかかっこよかったです。
次は、ピンクマーメイドでお願いします。

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終演時の送り出しでいずみちゃんとしばし言葉を交わしました。「ご無沙汰しています」「お元気そうで」・・・・。こうやって何年か経ってもお互い憶えていて話しが出来るのはうれしいことです。

また次開催されることがあれば観に行きます。
今度こそ十三・木川劇場で(^-^)/

斜め向かい側は、かんなみ新地ではありませんか。
かつての横浜黄金町ガード下の風情を残す貴重な場所。
三和ミュージックというストリップ劇場もこのあたりにあったんでしょうね。
入る気満々でかんなみ街を二周も回る。
いました、…と入ろうかと悩んでいる間に先を越されました(;´Д`)

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無事香里園に帰ってきました。
賑やかな尼崎と違って香里園にはこの一軒のみ。

July 16, 2013

お立ち台

2013年、夏sun

この祇園祭、天神祭り、善蔵忌、河童忌にかけてのころが夏という感じがする。

盆踊りの行なわれる8月が来るともう夏の終わり。

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『盆踊り 乱交の民俗学』(下川耿史 作品社 2011年)

まじめに読んだcoldsweats01

男女の性関係のきっかけと民族行事との関連、盆踊りとそれにまつわる性風俗の流れを探る本書。かつて盆踊りと乱交は表裏一体と関係であったという。なるほどと納得think

歌垣(嬥歌)、踏歌、風流(風流踊り)、雑魚寝、夜這い、踊り念仏、念仏踊り、伊勢踊り、小町踊り、亡者踊り、盆踊り、等の民族行事が、男女の性関係と深く密着したかたちで伝承され、「盆踊り」という呼び名で定着していったのですね。

そう考えていくと、十三ミュージックのお立ち台ショーも風流(風流踊り)がかたちを変えながらたどり着いた一つの形態だったのかもしれません。舞台(お盆)と客席で好きな男女同士か惹かれあうという意味で…。もともとお立ち台のルーツはバブル時代のディスコである『マハラジャ』や『ジュリアナ東京』あたりになる。お立ち台という新しい風流ともいえる文化を創り出し、一時代のブームをおこした。

筆者の言葉を置き換えて言うならば、十三ミュージックの踊り子(女の子)は新しいアイデアを競って、変った出し物(ショー)を出すために少なからず努力していた。お客さんも女の子も生き生きとし和気藹々と楽しんでいたのです。そんな中でみんな新しい文化や時代を作ったという自負や連帯感みたいなものがあったのではないかなぁー。2chのスレが100に達していたというのもそれでないと納得がいかないcoldsweats02

お立ち台ショーはじまります!

お立ちの時のミュージック、ラスト曲Pumpin'

バンヘイレンの曲によるオープンフィナーレ


June 14, 2013

ストリップ★トリップ

こんばんは!
もう過ぎた日のことであるが、昨年4月3日強風で十三ミュージックが休みになった日、K察が個室を見に来てたのを今頃思い出した。脅迫まがいの連絡もあったとか。終わりの日が近づいているのは確かだった。

長く13に通っただけあって今もわずかながら13出身の子とお付き合いがあり、懐かしい昔話が出ることもあり、懐かしい女の子の名前が出てきたりもする。

そこで、以前紹介した
難波金融伝 ミナミの帝王 欲望の街」(1995年)
十三ミュージック 素顔の踊り子たち」(1994年)
la VENUS de japon VOL.2 大阪・十三ミュージック編」(ZYXプロモーション)
に続くビデオシリーズ第四弾です(笑)

ストリップ★トリップ15
ストリップ★トリップ27

いつもようにDVDのジャケットをスキャナで読み込ませて貼り付けようかと思ったのですが、よく見るとこれはやばいと気がついた。画像のサイズを小さくしても気になる。
@niftyさんにお叱りを受けるのを避け今回は掲載は見合わせ。

ジャケットは赤系統と緑系統のものがあるようです。緑系統のものは、メーカーが1919GOGOとあり、赤系統のものはネット流出となっている。どっちにしろ流出ものですね。
入手困難となっている「十三ミュージック 素顔の踊り子たち」や「la VENUS de japon VOL.2 大阪・十三ミュージック編」に較べると二作品とも簡単に手に入ってしまいます。

この「ストリップ★トリップシーリーズ」は、東寺の素人大会や十三のプロ興行時代に有料でビデオ撮影を許可していたものが多いようです。
ストリップ★トリップ15・27とも、あまりの画面の激しい揺れに船酔いしそうになります。

わたしが気になったのはいつ撮影されたものかという一点だけ。

ストリップ★トリップ15

①1回目&2回目女の子全員によるお立ち台ショー
  まこと、なな、あきら、なつ、ゆきな、みさき、ともか、はるな、あすか、えみ…

  ※1回目と2回目のお立ち台の映像が混在しているようにみえる。
  ※以下たくさんの女の子が登場しますが一部の方しか名前がわかりません。

思うに13に行きはじめた2000年はまだ常連でもなかったし、まだ顔と名前が一致してなかったのでしょうね。それに13年もの年月が記憶を風化させてしまったのか、当時は覚えていたとしても今となっては誰だ誰だか思い出せない。かのんちゃん、しおんちゃんとか懐かしいと思ってもお顔が浮かんでこないでのある。

②まことちゃん ベッドショー。まことちゃん&みさきちゃんオープンショー
③?
④はるなちゃん ベッドショー、オープショー
  ※このはるなちゃんはお目目がクリクリした感じで可愛い過ぎる。
   はるなちゃんは当時ラウンジの子だと思っていたが・・・??
⑤?
⑥あきらちゃん 自縛オナニーショー
  ※あの頃、あきらちゃんは一番に私の顔を覚えてくれた。「今日は何のショーをする。」
   と聞かれ、自縛ショーをお願いしますとリクエストしていたものです。
   2年前消息をお聞きしました。
⑦あすかちゃん&みさきちゃん 女体盛り?
⑧ビンゴゲーム
⑨?

たしかにそこに十三ミュージックはあった。
この映像で当時の雰囲気を味わうことができる。
立ち見が出るくらいの盛況さとか異様な熱気とか。
女の子も自らチケットを求めて、動きまわっていたんですね。

十三は一日4回目のステージで、2回目までが昼の部、3回目から夜の部です。

「ストリップ★トリップ15」は昼の部の映像で、
「ストリップ★トリップ27」は途中から夜の部に入った模様!
夜の部は女の子が大人っぽくなる(悪く言うとケバくなる)のは当時の定番。
ゆりちゃんがいるところをみると土曜か日曜だったのかもしれませんね。
お客さん多すぎです。

ストリップ★トリップ27

①ゆりちゃん ダンスで始まる。おーおー、懐かしい!
②めぐみちゃん ベッド。ん?、ん?、初代めぐみちゃんがいたのか!?
③1回目女の子全員によるオープンフィナーレ
  ともか、あきら、あすか、さら、まこと、みさき…
④4回目(二部)お立ち
  ひな、さら、せな、あい、ゆり、あかね、じゅん、ともか…
  ※女の子の雰囲気がらっと変ってます。
⑤あかねちゃん&じゅんちゃん ダブルダンス
  ※モー娘の恋のダンスサイトです。この頃の使われている曲は、
  浜崎あゆみやモーニング娘。が多かったのか時代を感じさせる。
  この時代から15年前がおニャン子クラブ、10年後がAKB48ですね。
⑥レンズショー
⑦?
⑧ともかちゃん ダンスショー
  ※地味な顔立ちだけど清楚な感じが好き。
⑨ゆりちゃん場内後方のポールにつかまり暇そうなシーン
⑩2回目女の子全員によるオープンフィナーレ
  ※この映像どういう順番ではいっているのか最後までわからず(涙) 

さて、問題の撮影時期は結局よくわからずじまいなのですが、さらちゃん、あかね、じゅんちゃんらが2000年11月頭ぐらいまでに九条に移籍と推測、私が以前書いた記事中に埋め込んだ「十三ミュージック一期生素人嬢」のリストより、えみちゃんが2000年11月12日に辞めたとし、また、なつちゃんやゆきなちゃんの入った時期を考慮、そしてお客さんの服装が完全な夏服、冬服でもないことから秋と推測。
よって、2000年10月ということにしました(笑)。
みなさんのご意見お待ちしてます。

December 27, 2012

高岡

二日目はサンダーバード20号で津幡を経由し、高岡に到着。
高岡大仏、土蔵造りの町並みが残る山町筋、千本格子の家並みが美しい金屋町通り、赤レンガの銀行と市内をぐるっと散策。

世間一般では明日が仕事納めかな。自分自身振り返ると今年1年の仕事はそれなりに成果もあり充実していた。失敗もあったけど自分なりに頑張ったと思っている。1年を通してこれといって病気にもならず健康で仕事ができたことがなにより。両親には感謝しています。

昨日13の社長さんの判決のニュースがあった。判決内容にはなるほどと納得。今思うに平日の1部に通っていた自分がいつ警察のお世話になっていたかも知れず、運がよかっただけの自分にも責任の一端はあったのでは感ずるところがある。社長さんは自分より一歳年下の同世代だし、今後この業界から離れた仕事で地道に頑張って欲しいと願うばかりです。

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落ち着きがないとよく言われる私。
大仏さんのようにどっしりと構えて仕事ができないものかしら。

高岡大仏の近くに金沢万国堂を発見。
臨時休業と貼ってありました。普段営業しているのかな?

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福尾商店は、1900年(明治33年)建築の建物。素晴らしい。

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森田商店(せいろ ふるい製造卸・金網各種)も私が好きなフォルムを出してます。

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金屋町は、高岡の鋳物発祥の地。千本格子の家並みと銅片を敷き込んだ石畳の町並みは明治・大正時代を彷彿とさせます。

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私の曽祖父が舞鶴から鋳物の仕事でよく高岡に行っていたと聞いた。高岡鋳物発祥の碑を前に遠い昔を憶い感慨に浸る。高岡を後に魚津に向います。

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