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旅行・地域

February 13, 2017

淡路島・洲本

2月6日の第51回スーパーボウルは素晴らしゲームだった。ペイトリオッツのQBトム・ブレイディはイケメンですね。トム・ブレイディがベン・ハー主演のチャールトン・ヘストンに似ているような気がするのは私だけか…。

8日、病院にこの前の大腸内視鏡検査の結果を聞きに行き、5つ出来ていた大腸ポリープは良性との結果にまずは一安心。

9日から一泊で母の誕生日祝いを兼ねて淡路島の方へ行って来ました。
大阪駅のJR高速バスターミナルから淡路島まで高速バス。久し振りのバスの旅。バス乗車中はあいにくの雨降りであったが、洲本高速バスセンターに着くころには雨も止む。淡路ごちそう館御食国(みけつくに)で昼食後、淡路島の城下町・洲本の街を散策。

「洲本レトロこみち」を歩く。

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手芸倶楽部栄

二階部分が分かれている変わった構造のお家。
中に入るとこの店のおばあさんが出てこられ色々お話をうかがう。手作りのかわいい小物がいっぱい置いてある。あと着物類もかけてあった。こちらのお店は趣味でやっていて、住まいは別にあるとのこと。手作りの小物があまりに可愛いので、手芸品を一つ購入。

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淡路島唯一の映画館「洲本オリオン」
地元の方からイベントの時とか今でも不定期で上映されているとお聞きしました。

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立て看板が映画館の脇に立てかけてある。

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高田電気

レトロ感満載のお店が並ぶというレトロこみち。行った日が悪かったのか、開いている店がほとんどなかった。中には廃業している店もちらほらある。

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「洲本レトロこみち」の突き当たりに旅館風月の看板が・・・。

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風月旅館の御宿泊の案内を見ると「A二食付 B朝食付 素泊 御休憩 \1800」となっている。

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厳島神社の参道、弁天銀座。
この少し先に「新開地」と呼ばれる洲本一の歓楽街がある。なお、洲本には弁天新開地とは別に海岸通(旧・漁師町)に遊廓があった。また、昭和29年の『実話雑誌』には兵庫県の青線として淡路島が次のように記されている。

「特ダネは最近の離れ小島、通う千鳥や恋の辻占の淡路島です。港につくと六カ所の船着場の女は汽笛の音で迎えにきてくれます。洲本に二百人、その他五箇所で千三百人。まるで青線の女でういているような極楽島です。それがお泊りで飯つきの千円です。」(『実話雑誌』 特別増刊3月号 昭和29年3月 全国青線地区案内)

新開地や旅館風月を見た後だと妄想してしまうが、「まるで青線の女でういているような極楽島です。」とか、本当なのだろうか??

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新開地の出口にもスナックが。

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左海屋醤油醸造本店

説明板を読んでみる。
「江戸時代の商家
古い商家の面影をとどめる左海屋は、万治元年(1658)に創業。代々酒、しょうゆうの醸造を家業としてきたが、藩政時代は蜂須賀藩の御用商人として繁栄した。
 当家の初代堺屋吉左衛門(1617-1660)の父は、もと泉州堺の豪商であったが、当時、堺は戦乱のため居を洲本に求め、以後ここに移り住むこととなった。
 重厚な家の造りのなかに、城下町と共に栄えた商家の昔をしのぶことができる。」

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海老商店

この店は昔から変わっていなさそう。

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洲本市民広場。

冬咲きチューリップショーが開催中でした。
淡路島で冬の花めぐり。帰りに淡路夢舞台にも寄ったが百段苑にはほとんど花が咲いていなかった(;ω;)
後方にレトロな赤レンガ造りの建物が見える。おしゃれな洲本アルチザンスクエア。かつてこの地に日本有数の綿紡織の工場があった。それは近代化産業遺産のひとつ鐘淵紡績(現カネボウ)洲本工場である。

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「洲本温泉 ホテルニューアワジ別亭 淡路夢泉景」でゆったり贅沢な島泊り。
海と隣り合わせの絶景の露天風呂を満喫。
夕食には淡路島の名産品タマネギが出る。淡路タマネギの違いまではわからない(>ω<)

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帰りは洲本から島内路線バスを利用。
淡路夢舞台、明石海峡大橋を経由して帰りました。
和田浩治主演の日活映画『くたばれ愚連隊』(1960年)で淡路鉄道(淡路交通)の電車が走っているのを見たことがある。淡路島にも鉄道があったんですよね。

January 12, 2017

郡上八幡

9日、海老蔵さんと小林麻央さんの特番があった。小林麻央さんが、がんと診断されたのは2014年10月。その同じ月に自分も癌と診断されて翌11月に手術。彼女の頑張りにはいつも励みになります。QOL(生活の質)維持のため昨年の10月に抗がん剤治療は中止したままです。でもこうやって元気になって旅行に行けたことに感謝。

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ホテルを出発して、郡上八幡市街へ。
郡上八幡城を見学した後、郡上八幡旧庁舎記念館前のパーキングに車を止め、風情ある古い町並みを散策開始。吉田川にかかる新橋そばに「宮ヶ瀬こみち」があった。正面は食事処「新橋亭」。“水の町”と呼ばれるだけあって川の水が青緑色で美しい。夏になると子供たちが12mの高さのこの新橋から吉田川に飛び込んで遊ぶことが知られているが、昨年の8月には飛び込みによる死亡事故もあったとか。さすがに真冬に飛び込む子供はいないようである。

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新橋を渡った右手に折口信夫歌碑がある。
設置された歌碑の説明を読む。
折口信夫は古典学者、民俗学者として高名であり、また釈迢空の名で詩人、歌人として活躍。大正8年8月に柳田国男のすすめで郡上に来遊したが、あたかも7月16日の北町の昼火事に町の目抜通りをはじめ、ほとんどが焼け亡んでいた。焼け跡に立った氏が、その情景を歌に詠んだ。

「焼け原の まちのもなかを行く水の せゝらぎ澄みて秋近つけり」

郡上八幡の家々に見られる袖壁は延焼を防ぐための防火壁の役割を果たしているが、この大正8年の北町の大火が教訓となっているのであろう。

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柳町の古い町並みの入口。みはらや旅館の向いで、旅館備前屋の隣。
「歴史ある用水清く古き町並み 柳町町並み保存会」

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宗祇水(別名白雲水)にいたる石畳の路地の入口。
ここは郡上八幡でも一番有名な観光スポットなのか観光客が次から次へと訪れます。ここでも外国人が多い。

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連歌の祖である飯尾宗祇が、この泉のそばで庵を結んだことから名付けられた。
「日本名水百選」の第1号に指定された湧水ですが、近寄って覗いてみてもそう綺麗にはみえない。なんでこんなところに観光客が大勢集まるのかよくわからない。

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夜になって石畳に灯りが灯ると昼とはまた違い雰囲気が出てくるのでしょう。

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「やなか水のこみち」
柳の並木、大きな家屋敷、玉石を敷きつめた小路の脇に透き通った水路が流れロマンチックな風情をかもし出しています。

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野中稲荷神社。
由来看板を読むと、次のような説明が書かれている。
江戸時代の初め、この一帯に郡上藩主遠藤氏の藩屋敷と、三筋の町並み(現在の稲荷町一~三丁目)をつくった新長屋・中長屋・片長屋と呼ばれる長屋群があり、野中(やなか)稲荷神社はその遠藤氏の屋敷と土地を守る屋敷神であったとされる。また、「やなか水のこみち」は昭和63年に小公園ポケットパークとして整備され、野中稲荷(やなかいなり)神社にちなみ命名された。

奥が料理居酒屋「花むら」。

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稲荷町一丁目。稲荷町は、東から一丁目・二丁目・三丁目と三筋の平行な通りを中心に綺麗に四角に囲まれて町が形成されている。郡上八幡は小京都と言われるだけあり、どことなく京都の町並みに似た風情がある。

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稲荷町の路地にある田舎料理「喜代竹」。左隣が一棟貸しの町家「やなかの大助」。市街地にある町家を1日1棟1組様限定で貸してくれる宿泊施設とのこと。この稲荷町界隈だけでも「花むら」や「喜代竹」「古富美」といった料理屋に、スナック「M」などがあり、かつては置屋のある花街であったのか、稲荷町から日吉町にかけては旧色街の雰囲気を漂わせている。この「喜代竹」のある通りを南に向いて、左手はお寺の立ち並ぶ寺町で、右手のサイトウパーキングのある辺り(日吉町)一帯は、かつて裏田と呼ばれ、明治中期から昭和前期にかけて歓楽街として栄えた。明治35年頃に八幡座という劇場が開業。一旦大火で消失したが、その後八幡劇場や日吉劇場が開業し、映画演劇のメッカとして賑わった。八幡芸妓のいた郡上八幡の花柳界や映画街はなくなったが、今、長良川鉄道で舞妓列車(舞妓ランチ列車、舞妓カフェ列車)が郡上八幡駅・美濃太田駅間で運行されている。

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みどり美容室。その隣の隣に「いなりや」がある。

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稲荷町商店街を抜け、上日吉通の商店街。
郡上八幡には市街地の全域に渡って古い町並が残る。
袖壁を持つ格子づくりの町家と街の中を流れる水路が郡上八幡の古い町並みをつくっている。

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酒処「みさを」

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立町通り。
「宮田帽子店(ボーシの宮田)」

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乙姫川沿い。
「FLOWER SHOP赤垣」

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常盤町「いがわこみち」。
水量の多い用水が流れていて鯉が泳いでいる。

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常盤町の街中のところどころに共同井戸がある。
不老長寿乃天然湧水と書いてあるので水が出るのか恐々さわっていると、正面の家の方が出てこられて親切に井戸の使い方を教えてくれた。最初何度がポンプを押して水を少し流してから飲むといいとのこと。水が軟らかくておいしい。宗祇水よりお勧めの観光スポットです。

明日は内視鏡検査です。また何度もおえっおえっと苦しい思いをするのかと思うと今から憂鬱。。。

January 10, 2017

モネの池

三重県を後にして岐阜県に入ります。

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途中、川島PA(各務原市)で休憩。
オアシスパーク内のあおぞらベーカリーで昼食。和風茸あんかけオムライスセット。食事の後、木曽川水園をぶらぶら。

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何の予備知識もなく「モネの池」と言われて連れてこられたのであるが・・・。
場所は岐阜県関市板取の南端。
池のそばに駐車場があって、そこから観光客が池の方に向ってぞろぞろと歩いていく。
何なんだ?( ̄□ ̄;)
みんな池の周りで一生懸命に写真をとっているぞ。
遠めにはただのため池にしか見えない。
近寄って見ると透明度が高いからか後ろの木が池面に逆さに映っていて神秘的な美しさがある。生憎の曇り空で綺麗な色合いで撮れなかったのが残念。
それにしても冬休みに入っているからか、次から次へ観光客が来る。
今話題の観光地らしい。

入口に説明板があったので戻って読んでみる。

「名もなき池 通称「モネの池」
水-湧き水のみ
湧き水の出所-橋の周辺や前辺り
湧き水の水温-夏も冬も14℃位
水温14℃による影響-
(夏)
・スイレンの開花が朝でなく11時頃
 (25℃位)閉じるのが夕方となる。
・開花期が5月下旬~10月下旬
 (最盛期6月中旬~7月中旬)
(冬)
・スイレンの葉が枯れずに赤く紅葉します。
・鯉が湧き水の出所に集まります。
池底-この辺りは白っぽい岩(石英質)が多く、地底で湧水により有機物が流出後に石が残り、白っぽくなりました。
植物-橋の前部の湧水部は土中を水が動くので植物が根を張りにくく、あまり繁殖しません。池の両端は湧かないので、よく繁殖し、花も多く咲きます。

根道神社(ネミチジンジャ)
※この地元(白谷地区)の氏神様」

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それにしてもなぜこんなに観光客が多いのかわからずそばの案内所の方にお話しを聞いてようやく納得。観光案内所も観光客が爆発的に増えたので後からいかにも作ったというような感じで、商魂たくましくモネの池のおみやげを売っています。

関市板取にある名もなかった小さな池が、写真雑誌に投稿された写真がきっかけに、SNSを通じて話題になりはじめ、フランス印象派画家クロード・モネの代表作「睡蓮」に似ているという評判がSNSやメディアを通じて拡散、“モネの池”として訪れる人で賑わうようになった、とお聞きしました。

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さらに、モネの池にいるハート模様の鯉を見つけると恋が成就するかも、という情報も・・・。
早く言ってよーー、ということで池に引き返し鯉を探す。

あっ、それっぽい鯉が右上から来た(^ω^)

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頭の部分にハートのような模様のある鯉、これですね!
無事撮影\(^^)/

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モネの池を後にして、本日の宿泊地・ホテル郡上八幡に到着。
館内施設も充実していてかなり豪華なホテル。お風呂は郡上温泉「宝泉」という日帰りの天然温泉施設を併設していてかなりのお客さんで賑わっていました。

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夕食タイム。
夕食後は館内の「ふるさと広場」で郡上おどり体験が開催されていました。

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翌朝ホテルの周りを散策。千虎公民館や千虎白山神社、長良川沿いとのどかな集落を巡る。長良川ラフィティングの施設、レストラン、台湾料理の店、喫茶店などがある中、ホテル千虎というラブホテルもある。地名は郡上市八幡町吉野となっていますが、この辺りは千虎(ちとら)と呼ぶんですかね。

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ホテルのそばを清流・長良川が流れる。
大阪の川と較べるとさすがに綺麗ですヽ(;´ω`)ノ

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朝食タイム。
今日は郡上八幡を歩きます。

January 09, 2017

御在所ロープウエイ

二日目、いよいよ御在所ロープウエイに乗ります。

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御在所ロープウエイ湯の山温泉駅到着(標高 約400m)。

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出発しました。赤いゴンドラが特徴です。
真下に湯の山温泉街を見下ろせるspa

御在所ロープウエイは全長2161m、標高400m地点の山麓から御在所岳(1212m)山上まで、高低差780m、所要時間12分の空中散歩が楽しめる。

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雪だーーーsign03
途中岩場の横、5号柱(805m)を通過。

ロープウエイからは岩場に野生のカモシカがいたり、登山客が歩いていたりするのを真下に覗き見ることがきるeye

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奇岩や岩場を眺めながら急な角度で上昇するので、まさに飛行しているような感覚を楽しめる。ゴンドラの窓からは四日市市街地や伊勢平野、伊勢湾、知多半島が一望でき、まさに絶景。大パノラマに感動しますhappy01

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山上公園駅に到着。
御在所岳頂上の方に目をやると樹氷越しにスキー場のリフトが見えるski

写真では木に隠れているがこの左下手にかつては御在所山上ホテルがあって私も泊ったことがある。今ホテルはやっておらずレストランアゼリアになっている。

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展望台のある朝陽台広場は下界では想像もできない白銀の世界snow
白銀に輝く樹氷が何とも言えず幻想的diamond
最初着いた時はちょっと吹雪いていて、おまけにガスっていて展望台からは何も見えなかった。めちゃくちゃ寒いので手がかじかんでカメラのシャッターが切れないwobbly

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冷えた身体を温めるために食堂でしばし休憩をしていると晴れ間が見えてきた。チャンスとばかり展望台に引き返し先ほどは断念した富士見台展望台に。名古屋市街方面まで見渡すことができる。空気が澄んでいたので運よく富士山まで遠望できたfuji

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このすばらしい景色をずっと眺めていたいのであるが、次の目的地移動のため山を降りますcar

January 08, 2017

湯の山温泉~その二~

湯の山温泉に入る手前のところにアクアイグニス・片岡温泉というおしゃれな複合温泉リゾート施設ができていた。寄ってみると流行っているのかかなり賑わっている。買い物をしたり食事をしたり、いちご狩りもでき、宿泊も出来る今時の日帰り温泉施設も併設されている。昔に比べ廃れた湯の山温泉に行くよりも、綺麗なこちらの方に客足が取られているのではと感じずにはいられなかった。

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アクアイグニスにはパティシエ辻口博啓による洋菓子店がある。
辻口博啓が手掛ける砂糖不使用のチョコレートを買う。
6枚入(ビター×2,ミルク×2,ホワイト×2)で1080円です。高っか(゚0゚)
味はというと、近所のスーパーで100円台で買える明治の「おいしいoff 砂糖ゼロ」と変わらない気がしたが(;д;)

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涙橋は、湯女(ゆな)が湯治客と涙を流して別れを惜しんだことからその名が付いたと、湯の山温泉公式ホームページには書いてあるが、この涙橋縁起には、大石内蔵助良雄が愛人小柴太夫(阿軽)と涙ながらに別れを惜しんだのがこの涙橋の由来と書いてある。どっちなんだ??

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「和風観光旅館 翠月」
昭和初期の面影をのこす、全5室の昔ながらの純和風の温泉旅館。
映画「男はつらいよ フーテンの寅」(第3作 昭和45年1月 公開)の舞台にもなっている。

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ここにも何か建っていたんですよねぇ。
涙橋の正面に湯の山では最大規模の「新湯の山観光ホテル」が聳え建っていた。「新湯の山観光ホテル」は温泉街の中心とも言える目立つ場所に建っていたので、さすがに他の廃墟群同様廃墟のまま放置するわけにもいかず解体したのであろうか。場所的にはその今はなき「新湯の山観光ホテル」のちょうど裏あたりなのでホテルの遺構にもみえる。
すぐそばに「喫茶 翠明館」がある。翠明館は旅館をやめて喫茶店に転業した模様。

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杉屋東店(お土産屋)。旅館寿亭のすぐとなりにある。
ちなみに旅館の「杉屋」はとっくに廃業していて、鶯花荘と同様、廃墟・心霊スポットになっている。

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居酒屋「おとし」の看板の読めなかった文字は、やはり「わらび餅」のようですね。
昔は「わらび餅」が湯の山名物だったのだろうか?

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タイル貼りの何だかわからないものに「スギヤ」の文字がみえる。
「杉屋」は湯の山温泉の中で最も古い老舗旅館だったんですけどねぇ。

「湯煙りに 夕暮杉屋 ほととぎす」

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「ペンションきんこんかん」
壁の破損状態からこちらもやってなさそう゚゚(´O`)°゚

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映画「男はつらいよ フーテンの寅」のロケ地、蒼瀧橋に到着。
映画では、旅館の美人女将役が新珠三千代で、湯の山温泉の芸者を演じるのが香山美子。

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老朽化のためか蒼瀧橋は渡れないようになっていました。

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こっちも古い建物です。

私が子供の頃は湯の山温泉駅まで近鉄特急が乗りつけ、観光客も多く温泉街はもっと活気があって賑やかだった。それが今や廃業した旅館の多くが廃墟になっていたりするのを見るにつけ、ずいぶん寂れてしまった感はするが、そういった昭和の臭いのするひなびた温泉街の雰囲気が逆に好きだったりする。

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明治7年創業の老舗旅館・寿亭。

見上げると昭和4年に建てられた国登録有形文化財の別館「水雲閣」が聳えたっている。

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道路沿いに寿亭の玄関への入口があった。左側に上へ行くエレベーターがあったが、右側の石段を登っていく玄関に至るまでの道中が素晴らしい。まるで古い城の大手門にでも向かうような構造になっている。

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上に上って反対側を見下ろす。
大正4年に築造された寿亭の松仙閣には、昭和8年に文豪志賀直哉が滞在し、短編『菰野』を執筆している。また、伊藤左千夫もここに宿泊した。

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雪が舞ってる、寒い(ρ_;)
朝食前の散策、そろそろ帰ろう。

湯の山温泉にも「湯楽園」と呼ばれる赤線があった。
「だが時間をさいてもいちど行きたいのは湯の山温泉です。四日市から電車でやく一時間の山奥ですがバスのほうが早くて便利です。奇巖名朧で名高い風光明美の温泉郷でありまして、時鳥の声をきき、桜と紅葉は全国的な山境で『湯楽園』には七軒ですが地方情緒の女がいます。
天下の奇岩名勝を美でながらお湯と、おぼこ娘。四日市下車、電車とバスの便」
(『実話雑誌』 特別増刊3月号 昭和29年3月 全国主要赤線地区案内)

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湯の山ロッジの朝食。

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(おまけの写真)

今から46年前、昭和46年10月9日。
僧兵まつりの行なわれている湯の山の様子。
私(6歳)と今は亡き祖母(一番右)

一年に一回の三岳寺「僧兵まつり」だからか、かなりの人で賑わっている。後ろはグランドホテル向陽(現、彩(いろどり)向陽)ですね。1階部分がグリル向陽になっている。Googleマップのストリートビューと比較すると、建物自体は変わっていない模様。右側の斜めの電柱もそのまま。ただし、左側の「いこい」「大安」というお土産屋さんは見事に消えている。昭和55年5月24日に、昭和天皇、皇后両陛下がグランドホテル向陽に宿泊されている。

この後、御在所ロープウェイに乗ります(o^-^o)

湯の山温泉~その一~

本日の宿泊地、湯の山温泉の国民宿舎湯の山ロッジに到着。
湯の山温泉は小さい時から何度も来た事があるが久し振りである。

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湯の山ロッジは、年末にもかかわらずお値段はリーズナブル。
お風呂は天然鉱石温泉で露天風呂もないが、温度設定がちょうどよくゆっくり入ることができた。

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夕食。夕食のあと「なばなの里」のイルミネーションを見に行く計画を立てていたが、ロッジの従業員の方が、この遅い時間から行っても車がめちゃくちゃ混むので避けた方がいいとアドバイスしてくれ断念することに。

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「なばなの里」の代わりに宿の前のイルミネーションで我慢ヽ(´▽`)/

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翌日早朝、温泉街を探索開始。
湯の山ロッジを出て「いこい橋」を渡り、坂道を少し下ると廃墟や心霊スポットで有名な「鶯花荘寮」があった。ネットで検索すると怖い話がうじゃうじゃ出てくる。「中に入ると近日中に必ず事故を起こす」とか。怖い(lll゚Д゚)
塀の上に白い物が載っているのが何箇所か確認できる。富士山の形に見えるのは清めの盛り塩だよなぁー。入れそうなところはないが裏からでも入れるのだろうか。とてもじゃないが中に入る勇気はないので即退散。なお、ここからずーっと坂道を登って涙橋の少し先の切り立った山肌に建っている「四季のホテル 鶯花荘」も同じく廃墟状態である。

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隣の家を何気無く覗いてみると芸妓置屋らしい「花乃家」という表札がかかっていた。
もう一軒「三慶園」の住所のところに「鈴乃家」というのがある。気になって昭和54年度版の全国芸妓屋名簿の湯の山和幸連芸妓芸妓屋組合の項を確認すると、14軒記載されていてその中に「鈴の家」の名前はあった。
昔は菰野芸者がいたけど今はいなさそうですね。
歌人・伊藤左千夫と菰野芸者の恋物語か…。

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湯の山ロッジから温泉街の中心までは少し離れているので、県道577号線を歩いて登る。
途中、古ぼけた看板発見。
「ナイトパブつどい」「焼き鳥串みつ」

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道路沿いでニホンカモシカに遭遇w(゚o゚)w

御在所岳には野生のニホンカモシカが生息していて、国の特別天然記念物に指定されている。まさか温泉街の下の方で会うとは。御在所岳山上に日本カモシカセンターがあったが2006年に閉園したようです。

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三滝川にかかる橋の向こうの建物は何だったのでしょうか。
廃墟スポットで有名な温泉地だけあってこういった物件がいたるところにある。

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湯の山パーキングセンターがみえてきた。突き当たりのお土産物屋さんが湯の山パーキングセンターで、湯の山温泉街の玄関口にあたります。

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グリーン工房。木工体験ができます。
上り坂がずっと続く。

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反対側から。ここら辺はおみやげ屋や飲食店が並ぶ温泉街のなかでも賑やかな通りになっています。「どんぐり」という喫茶店はなくなり更地になっていました。

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居酒屋「おとし」の壁の大きな看板に、上部に湯の山名物と書いてあって、左は「大石焼」で判別できるが、右側が消えかけていて読み取れない。湯の山温泉名物といえば、大石焼きと並んで有名なのが僧兵餅。しかし、僧兵餅には読み取れない。一番上の「わ」と一番下の「餅」は読み取れるので「わらび餅」??湯の山名物でわらび餅は聞いたことがないが…。

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居酒屋「おとし」。
中菰野に方に移転してやっていないようです。

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居酒屋「えん」。湯の山温泉協会がある。

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三瀧家。何の店だったのでしょう。

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湯ノ山温泉(『日本温泉事典』より 昭和32年 日本交通公社)

三重県三重郡菰野町。三滝川上流の山地。一名菰野温泉ともいい、西に御在所(ございしょ)山・鎌ガ岳・国見岳、東は遠く展けて伊勢湾を望む。標高約460m、避暑の適地。付近の桜は一目千本といわれる。共同浴場1カ所。(歴史)718年(養老2)僧浄薫が薬師如来の夢によって発見したといい、その後9世紀頃伝教大師が来浴し、17,8世紀頃大石良雄も来遊し、芭蕉も名吟をのこしている。(泉質)放射能 14.5~27°。(交通)(三重交通)湯ノ山 西約3kmバス。(名所)大石・長石・蒼滝・御在所岳・鎌ガ岳・三岳寺・百間滝・三滝川渓谷・凌雲渓・涙橋。(行事・行楽)花見(つつじ・しゃくなげ)・スキー・キャンプ。(名産)桜の塩漬・山ふきの佃煮・ながもち・入道糖。(旅館)寿亭・湯ノ山ホテル・文月館・鶯花荘・近鉄観光ホテル・杉屋・三滝荘

January 06, 2017

四日市

年末に三重・岐阜方面に旅行に行ってきました。
今回は妹の家族と一緒で珍しく車での移動。

途中、私が生まれてから中学二年生までを過ごした四日市に寄る。

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昭和45年から10年間住んだのが笹川団地。
笹川東公園に車を止め卒業した笹川東小学校、住居跡、4号公園とめぐる。
4号公園は近所の仲間と毎日のように草野球をしていた場所です。
行ったときは子供の姿が見えず寂しい。家の前の道路も野球場にしていた。
近くの家の表札を覗くと同級生の名前がそのままあって懐かしく色々と思い出す。

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八王子から室山まで歩く。

羽田結納店。三重県でよく見かける結納店の看板。

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ヰセキ東海

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私が通っためぐみの園幼稚園四日市キリスト教会(日本長老教会、当時は日本基督長老教会)に寄る。
四日市キリスト教会はプロテスタントの教会で、当時の牧師は堀越暢冶さんでした。
教会のそばに住んでおられる草野さんがおられたので当時の話をしていると、息子さんが私と同級生(めぐみの園幼稚園、1972年3月第九回卒園)であることが判明。

めぐみの園幼稚園の小さなグランドから笹川団地の方をのぞむと亀山製紙室山工場の建物がそのまま残っている。瓦屋根が一部崩れかけているようで不安、文化財として何とか保存して欲しいものであるが…。四郷地区にはかつてはトーヨーニットの工場があり、酒造所(神楽酒造、ナカムラ酒造部、笹野酒造部)や味噌・醤油の醸造所(ヤマコ醤油)のある黒壁の町並みが広がっていて、醤油の濃い臭いが漂っていた中を歩いて幼稚園や教会まで通ったものである。

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続いて5歳まで住んでいた西日野の社宅に寄る。
当時は、松下電工第一松福荘と言ったが、現在はパナソニック株式会社の四日市社宅B棟が住む人もなく当時の面影をそのまま残して現存している。それと、幼かった頃3人兄弟で一緒に遊んだ社宅前のブランコやジャングルジムのある遊園地がそのまま残っているのに感動。子供の多かったあの頃の賑わいは夢か幻かだったのであろうかと思わずにいられない。

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十七軒町のカトリック四日市教会に寄り(小学校時代にプロテスタントの教会からカトリックの教会に転籍した)、鵜の森公園近くの「どんぷく」で昼食。
鵜の森公園にある丹羽文雄句碑。
「古里は菜の花もあり父の顔」

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四日市駅前近鉄百貨店。四日市はジャスコ(現・イオン)発祥の地で近鉄百貨店よりもジャスコの方でよく買い物をした記憶がある。そういえば笹川団地の中にも近鉄ストア(近鉄サンビーム)とオカダヤがあった。四日市駅前で思い出すのは、休日に家族で食事をした「角源」(うどん屋)、「青苑(セイエン)」(中華料理)、不二家、白楊(はくよう)書店など。

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一番街商店街にある「おもちゃのぺんぎん」は昔のまま。
しかし四日市駅東側のアーケード商店街は、空洞化が進んでしまったのか寂れてしまった感じがする。

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諏訪公園近く諏訪栄町の歓楽街を歩く。諏訪公園近くの回転寿司屋さんとラーメン屋さんに家族で食事によく来たが今はどこにあったか見当がつかない。

諏訪公園の南西側、居酒屋「お半」や中華料理「四日市飯店」 のあるあたりは「港楽園」と呼ばれた赤線地帯だった。熟女キャバクラ( ̄Д ̄;;

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少し北上。奥にはソープも見えてくる。こっちは姉キャバですよ(;;;´Д`)
諏訪公園の西側(諏訪栄町から西新地にかけて)も「春告園」呼ばれた赤線地帯。
港華園という赤線もあった。
四日市名物トンテキと書いてあるけど肉は今自粛中なので食べれず残念(;ω;)

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路地を覗いてみる。バー、スナック、居酒屋、カラオケ…。いい感じですね(*^-^)

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異色作家・清水正二郎(胡桃沢耕史)の「東海道お色気五十三次」(昭和38年 第二書房)に四日市のことがでてくる。

初めて訪れた四日市の「みつや」という喫茶店の女の子が色々教えてくれた。
「この先のスワ町に、小さい飲み屋やバーがぎょうさん並んでいる小路があります。そこで遊ぶようです。」
「スワ公園裏の暗い所に、夜中になると、たくさん客引きが出るそうですよ。でも、見たわけじゃないから知りません」
早速探検に出た二番街の小路の角に“性具・性楽・男女サック取扱所”の看板をあげている「あかもん」(東大には関係がない。持続性塗り薬や感度高揚薬などを売っていた。)という“四つ目屋”を見つけはいってみる。店を出た後、キャバレーのネオンがつきはじめたので、喫茶店の女の子に教えてもらった外国人や船員にも有名な国際キャバレー“クイーン”をのぞく。キャバレーをあとにして“スワ百貨店”の横から、飲み屋のある西部小路を通り過ぎスワ公園に前に出るとポン引きの婆さんに声をかけられた。この婆さんに赤線の建物を利用したらしい“トルコ・かま風呂旅館”という妙な旅館に連れて行かれたという話である。

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スナック、パブなど。レクサスIIはフィリピンショウパブと書いてあります。

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あっ、駅に近鉄電車が止まっている。ク260形という新型車両。
近鉄伊勢八王子戦、近鉄内部線ではなく今は四日市あすなろう鉄道八王子線、四日市あすなろう鉄道内部線と呼ぶそうです。
昭和49年7月25日の集中豪雨により天白川・鹿化川・内部川が氾濫して決壊。それ以降、八王子線の西日野・八王子間は廃線となった。八王子・室山・西日野は家屋浸水などの被害がひどく、高台に造成された笹川団地から大量の水の流れてきたことが原因ともいわれ、笹川団地の住民は各家庭にあるものを支援物資として出して被害地区に届けたということがありました。

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駅前の十三質店。渋い(;;;´Д`)ゝ

湯の山温泉に移動します。

March 14, 2016

河口湖温泉・船津

掛川に宿泊した翌日は河口湖へ小旅行。
新幹線で三島に到着。

バス出発の時間まで三島駅南口のカメヤをのぞいていたら、すぐそばに愛染小路飲食商店街のアーチ発見。

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三島から富士急行バス・河口湖ライナーに乗車。
富士山の裾野を北上し、富士急の河口湖駅に到着。
駅から河口湖方面に少し歩くと河口湖通り(御坂みち・国道137号)の歓迎のアーチ。

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早速、河口湖畔を散策。
宮森の道入口を入ると渋い建物があった。お茶漬け・おにぎり「小柳」。

いつものように渡辺寛さんの「全国女性街ガイド」(昭和30年)より河口湖の章を紹介。
「今や脚光を浴びたキャンプ地帯。
 はじめは富士吉田から芸者を呼んでいたのを、夏中甲府から芸者の長期出張を仰ぐようになり、最近やっと、七軒二十五名の現地徴収が成功した。時間三百円、泊り二千円。
 アチラさんを配し風光は明美。日本男性のレヂスタンスだと芸者を呼んで騒ぐ人間もいる。」

今は寂れた感じの河口湖畔にも戦後の一時期小さな花街が存在したのですね。

船津地区は、旧河口湖町の中心で4つの湖を結ぶ東西軸と御坂みち(鎌倉街道)の南北軸が交わる交通の要所。湖や富士山を利用した観光地・保養地として、大正時代から発展。今も湖畔には多くのホテル・旅館・お土産屋さんといった観光商業施設が集まっています。富士山を信仰の対象としていた富士講信者たちは河口御師(参拝・宿泊などの世話をする者)の家がある河口湖の北側(北岸)から船をつかって、南側(南岸)へ渡り、船津口登山道から富士山に登拝を行っていたのだろうかと遠い昔に思いを巡らす。

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宮森の道は整備されていて歩きやすい道。
少し先の高い所に出ると富士山の頭がちらっちらっと姿を見せます。

奥に民宿旅館「一富士荘」、和洋民宿「山尚」、民宿旅館「ながやま」…とあったようなのだが、一富士荘以外は営業していなさそう。

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いい感じの建物。井出自工と看板に出ている。
このあたりは井出という名前のついた、醸造店、歯科医院、デバリ商店、電気、酒類販売(株)、整骨院、造園などがあって、井出本家四脚門や井出家長屋門の史跡があるということからもわかるように、井出家は地元の古くから続く名家のようです。

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和洋民宿「山尚」

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富士博物館(河口湖郷土資料館)。
入ってみたいところであるが、現在リニューアル移転の為長期休館中。
2017年オープン予定です。

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河口湖ハーブ館、自然工房石ころ館に寄って、北原照久氏のミュージアムに併設のおしゃれな「Happy Days Cafe」で昼食。ほくほくライスコロッケハヤシ。カリカリの衣の中に、アツアツのチーズがトローり。

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宿泊は、時悠々楽游。
全室禁煙、7歳未満のお子様の宿泊はご遠慮とかで、落着いてゆっくりと出来ます。
河口湖温泉は、平成に入って河口湖北岸で開削され開湯した比較的新しい温泉だ。

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宿泊した「時悠々楽游」は天上山公園カチカチ山ロープウィエのすぐそば。
たどり着くまでにおそろしく急な坂を登らないといけないのが難点。
しかし、高台から望む雄大な河口湖の景色は素晴らしい。

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夕食。食事は口コミの高評価通り器までこだわっていて楽しめた。

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カチカチ山ロープウェイ。タヌキとウサギがいたるところにいる。
太宰治はここを舞台に小説「カチカチ山」を書いたと言われていて、近くに太宰治の文学碑『惚れたが悪いか』まである。

「これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、今の船津の裏山辺りでおこなはれた事件であるといふ」(太宰治著「お伽草子 カチカチ山」より)

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カチカチ山の展望台から見渡せる雄大な富士山の絶景。

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河口湖駅前から帰路に就く。「モ1号」。富士急行の前身である「富士山麓電気鉄道」が1929年(昭和4年)の開業に際して新造した車両。モ1号からモ5号までの5両が制作されたそうです。

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短い旅でしたが温泉も良かったしゆっくりできた。

また仕事頑張ろう!!

March 09, 2016

掛川を歩く

掛川吹奏楽団の第10回定期演奏会があり、久し振りで姉の住む掛川に。

天気もいいし、一人寂しく掛川城周辺を散策しよう(T_T)

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掛川城天守閣。
最近はどこへ行っても外国人観光客が多い。
掛川も増えているみたいですね。

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梅かな?見事な枝ぶり。

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今回は天守閣に登らず。眺めるだけ。

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大日本報徳社大講堂。
二宮金次郎(二宮尊徳)さん。
当初は「遠江国報徳社農学社公会堂」と呼ばれていて、現存する公会堂としては最古の建築物とのこと。

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昨年オープンしたステンドグラス美術館を勧められたけど、入る人いるのかなぁー。
冀北(きほく)学舎。
もともと倉真地区にあった私塾「冀北(きほく)学舎」の古い木造二階の建物が今も保存されている。

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逆川(さかがわ)沿いのピンクの桜が見事。
2月末の今頃なんで桜がこんなに咲いているのと、みんな不思議がっていました。
『掛川桜』と呼ばれる新品種です。

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連雀名店街も寂しげ。
いとや呉服店の隣の桃源郷食堂兼旅館も気になる。

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新幹線からも見えるやきとり街

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おおー。いい感じの飲み屋が並んでいる。

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ルパン掛川店。
10年以上前にはピンサロが何店舗かあったのが、今や店舗型の抜きの店は1軒もなさそう。
かなり昔にはお城の近くあたりにかなりの数の芸者置屋さんがあったそうです。

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紺屋町。ショーパブと書いてあるが、普通のバーみたいですね。
連雀・肴町・紺屋町界隈がかつての盛り場だったのか。

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バー「NINE」の裏側が「みわく」になっていた。

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掛川城から生涯学習センターへ抜ける道すがら、平松農場の石碑を見つけた。
掛川市立第一小学校の沿革をみると、昭19年7月7日、平松奨学農場創設とある。

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子角山(ねずみやま)。掛川古城があったところみたいですね。
上に登ると家光の霊廟である龍華院大猷院霊屋がありました。

姉の家で食事をしたあとは掛川グランドホテルに宿泊。

December 21, 2015

山中温泉-脂粉の香り-

二日目の宿泊地は山中温泉。

旅館の送迎バスを山中温泉の湯元・菊の湯前で降ろしてもらい「ゆげ街道」をのんびりと旅館まで歩いていくことにします。

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山中座。
この中で山中節の唄と踊りを鑑賞できる。えらい格調高い造りになっていると聞いたので中を見学したかったが、準備中とかで残念ながら中には入れなかった。

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総湯・菊の湯。こちらは女湯の方です。
男湯は別にあって天平風の力強い建物。
かつては旅館に内湯がなかったため、周囲に宿が軒を連ねていたという。

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漂泊の詩人松尾芭蕉さんも山中温泉がいたく気にいったそうです。
「奥の細道」の途中、山中温泉に9日間の長逗留をしています。

『北海の磯づたひして加州山中の湧湯に浴す。此處は扶桑三名湯の其一なり。まことに浴することしばしばなれば、皮肉うるほひ筋骨に通りて、心神ゆるくひとへに顔色をとゞむる心地す。彼の桃源も舟をうしなひ、慈童の菊の枝折もしらず、山中や菊はたをらじ湯の匂い』と芭蕉は奥の細道に書いている。

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「芭蕉の館」の建物の前には、芭蕉と曾良の別れの石像があります。江戸深川から一緒に旅に出た芭蕉と曾良はここ山中温泉で別れることになった。

説明板より

奥の細道
芭蕉と曾良の別れ
元禄二年、俳聖松尾芭蕉は、弟子の曾良を伴い江戸から奥の細道の旅に出て、山中温泉に入泊九日滞在した。四ヶ月にわたる二人旅は、この山中温泉で終わりを告げることとなる。別れに際し二人はそれぞれの思いを句に託した。

ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原  曾良
今日よりや 書き付け消さん 笠の露  芭蕉

苦楽を共にした二羽の鳥が、今日から一羽一羽になって雲間に迷うようだ。笠に書いた「同行二人」の文字を、落ちる涙で消すことにしようと、芭蕉の寂しい心が伝わってきます。

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途中、南町ゆげ街道沿いのお店に何度も脱線しながら、こおろぎ橋に到着。
鶴仙渓の上流に架かる総檜造の橋で山中温泉を代表する名勝地です。

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あいにくの雨の中、自然の豊かな鶴仙渓遊歩道を歩き「あやとりはし」まで散策。
「あやとりはし」は勅使河原宏氏デザインのユニークなS字型の橋。

山中の代表的な景勝地である鶴仙渓は2キロほどの変化に富んだ小径でかつては女中と客の恋のプロムナードとして名高かったが、それも山中の芸者や女中がシシと呼ばれた時代のことなのです。残念ながら渡辺寛さんが感じたような脂粉の香りをかぐことは今は望むべくもない。

参考に松川二郎「全国花街めぐり」(昭和4年 誠文堂)には、「山中で「シシ」山代で「太皷の胴(たいこんど)」片山津では「鴨」粟津へゆけば「小鳥」此の地方の温泉場にはそれぞれ異名を取つた一種の妓(おんな)がゐて、温泉場繁栄の鍵を握つてゐる」とある。

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山中温泉の入り口付近の消防署の裏のほうに山中節に歌われた桂地蔵というのがある。
残念ながら桂地蔵まで行けなかったので写真はない。

「こほろぎ橋と反対側に桂地蔵というのがあるが、ここも芸者や女中が客を送ってきた別れの場所で、縁結びの役を果たしてくれるという。「桂地蔵さんにわしゃ恥ずかしい、別れ涙の顔をみせた」で、この地蔵さんは客と女の涙を何百年来黙って見続けてきたわけで、粋な地蔵というべきか。」(『日本列島マル秘温泉旅行』 昭和42年 伊能孝 桃源社)

「桂地蔵さんにわしや恥かしや、別れ泪の顔見せた。」(山中節)

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無限庵(加賀藩武家書院造り)への道。紅葉が美しい。

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宿泊は、お花見久兵衛。
2002年5月にリニューアルする前は山水閣という館名だったそうです。

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レストラン「TATTA RIGOLO」で夕食。
まだ前菜しか出ていませんが…。鰤のしゃぶしゃぶが出ています。

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加賀温泉駅に「加賀温泉慕情」が掲げられている。

川西美智子 唄
岡畑佐民 作詞・作曲

作詞作曲は元国鉄職員の岡畑佐民さん

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短い旅も終わり、サンダーバード24号で帰路に着きます。

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